幻想曲(第2楽章) ( .. ちょいと長めの前奏曲 ..
[ピアノのお稽古]

バラード第4番へ短調 (ショパン)

2010/6/25(金) 午前 0:36
アマチュァピアニストとして生涯に一度、ホールでリサイタルをしたい、と考えていたこともある。
そのために真面目に先生につこうともした。
しかし、結局私は人前で演奏できる性格ではない、と再認識しただけだった。
他人を意識すると私は自由になれない。
どのような自分を他人の前にさらすのか、その解答も出せないまま幕が降りてしまう。
 
どう開始していいのかまだ分からんのに、もう人生終わって下さいって? ちょっと!
 
私は他者の前でピアノを演奏する計画を最終的に残念した。
これからは自己完結型ピアノ練習家として生涯を終えるだけだ。
 
頚椎症で右腕がしびれる。
時に神経的な冷たい感覚も走る。
単に肉体の衰えいうことでは、ヤなことはヤだけど、泰然と受け入れ、トシだね、と自嘲すれば済む。
しかし、 ピアノ練習家としては、腕のマヒの悪しき予感に追い立てられてしまう。
急いで結論を用意しなければ、という気分。
ピアノ練習家としても「まとめ」に入らねばならない。
 
しかしまあ、多分右手がダメになっても、私は左手のための曲を練習するだろう。
左手だけのピアニストならいる。(館野泉リサイタル9・13びわこホールのチラシあり)
では、私は世界で始めての、左手だけのピアノ練習家になる(^^)/ 
(ついでに言うと、右手だけのピアニストについては聞いたことがない??)
 
   早く、マトメろ!
   はい、はい。
別の言い方をする。
世界が終わる日にもピアノを練習してすごすだろう。
はいこれで終了です、という瞬間に弾いている曲を決めておかねば。
 
私はショパンのバラード第4番だな。
 
ピアノの練習を始めて10年間は「英雄ポロネーズが弾ける」ことを目標にしていた。
アレが弾ければ「ピアノが弾けます」と言ってもいいだろうと。
10年目にこれはクリア。と、いっても完奏できたということではなく、暗譜したということだ。
まあ、いつでもサワリだけなら弾けるだろ。
 
クラウディオ・アラウのバラード第4番をいつかラジオで聞いた。
アラウの演奏は見事だった。
たった一度聞いただけで、この曲の驚くほど豊穣な情感のすべてをくっきりと聞き取ることができたのだ。
そして、決まった。
人生の最後までにこの曲が弾けていれば、ピアノ練習家としての生涯に悔いはない
 
ショパンの技法と情感のエッセンスのような曲である。
ということは、ピアノ音楽のすべてがここに凝縮し、一つの曲になっているということだ。
 
さりげなく時が流れるように語り始める序で、どんなにすばらしい物語が続くのかと期待させる。
しかし、おもむろに出てくるのは重苦しく、不器用でいくぶん大げさなテーマである。
ところが、この不器用なテーマが、まるで魔法のように色とりどりに変化していく。
 
最初に瞬間芸で高揚させてくれるが、後の展開がどうも凡庸なシューマンとはまったく逆。
 
各大楽節ごとに違ったピアノの技法と情感を詰め込んでいるくせに、しかも全体がほどよく抑制され、
過去回想風の情念での統一感があるショパンの音楽の集大成的作品、と言わせていただく。
 
当初は例によって各所の符例を挙げ、私の思いいれのタケを仔細に語らせていただこうと
していたのだが、譜面をスキャンしていると、殆どすべての楽句を挙げなければならないことに気づいた。
とてもいちいちやってられない。
 
この2小節だけ挙げておく。
3つのリズムが交差し、複雑な川の流れからひとつの情感が浮かび上がってくるような、眩暈のする光景。
このような瞬間が数回でも私の回想の中にあった気がするなら、まんざら捨てたものでもないか、この人生。
 
ということで、コレがこの世の終わりに浸っていたい曲。
終りはすぐそこだ。
急ぎ装いせよ、わが魂。
 

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