12月点景 鳴かず飛ばずの二..
[団塊の段階的生活]

おい、老い!

2013/1/22(火) 午後 2:48
え?そろそろ高齢者ですか?この私めが?
我ながら出世したもんだ。
こんなとろろまで来なくてもよかったのに。
 
書斎から居間にモノを取りに行き、しばらくして書斎に戻り、はて?一体何しに居間に行ったのだったかと自問する。
そのような人間力の低下なら大歓迎。望むところなんだが。
 
最近、いとも簡単にキレるようになった。
キレるというか、怒り発作に向かうアドレナリンの沸騰を押さえるだけの理性・知性・分別がなくなってきている。
子供の頃にすぐ激昂したように、今、ごく簡単にムラムラっと怒り発作に陥ってしまう。
世間との付き合いがない状態では、このムラムラ感を無理して収める必要もないんだろう。
 
自由に怒り、自由に荒れ狂う。
もうこっちとらは高齢者だい。 勝手にやらせてくれよ。
 
というものだが、周囲には迷惑この上ない。 すんません。
 
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この年末に珍しくヨメが会社からトラになって帰り、そのとばっちりで派手に夫婦ケンカをした。
いや、私が派手なだけで、ヨメは小憎らしいほどしゃあしゃあと。
それがまた憎たらしい。
テーブルの食べかけの食器が全て無人の台所に向かって飛び、破片で足の踏み場もなくなった。
 
子供の頃、親に怒り食卓の食器を叩き落して割った記憶が蘇ってくる。
私はそのように激しやすい子供だったワケで、なんとか今まで押さえに押さえて普通の人間を演じていたわけだ。
 
しかし、まったく子供じみた激情暴発が今頃になって再発するという事実を認識させられるのは惨めである。
 
独り食卓に座り、台所の惨状を見ていると、そのおぞましさに身が震える。
もともと自分には合っていなかった人生を無理やり誤魔化し、誤魔化し今まで生きてきただけだったのか。
やっと世間から抜け出し、もう無理に演じることもなくなったというのに、相変わらず私の本性は相変わらず荒れ果てたままだったのか。
 
激情にまかせて放りなげた食器に、大事に使っていたコーヒードリッパーも巻き込まれ、粉々になっていた。
破壊の快感なんて元からなかった。
激情に身を任せた、といっても、水まわりがしっかりした台所なら大事にはいたらないだろう、とか、安物の食器だからいいだろう、とかの多少の計算もこすっからしく入っていたのだ。
自分が引き起こした惨状を見るのはおぞましく、悲しい。
 
この歳にして悟りには程遠く、それどころか逆に理知的な押さえがどんどんなくなり、手のつけられない小児性が露わになってきている。
相変わらずどうにも収めようもない、バカげた人生の真っ只中にただ居るのだ。
 
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ここで、思わぬ別の発作が私の奥底から湧き出してきた。
涙の気配を通り越し、うめき声がもれ、ついに嗚咽してしまった。
 
一度嗚咽の声が露わに出てしまえば、そこから幼年期の激情の記憶への突破口が開き、すべての感情がとうとうとその方向に流れこんでいく。
思いもかけず堰を切ったように慟哭発作にかられ、うめき、息がつまり、しゃくりあげる。
 
なんだ、この!
この歳になって、ガキのようにエンエン、しゃくりあげて泣くな。
 
五十年以上も埋もれていた慟哭技術が細胞記憶から戻ってきた。
号泣の大きなうねりがすべての未処理な感情をおしながす。
それは最終的に快感そのものに他ならない。 突然やってくるカタルシス。
 
これでやっとおとなである自分を止めることができるのだ。
ただの無力な子どもになり、そして無防備な胎児にまで返っていく。
幼児が泣き声を上げるのは母親を呼んでいるいるのだ。
私は自分がもう自分ではどうしてもコントロールできない感情の波に流され、ここで絶対的な保護者を呼んでしまったのだ。
 
私を産んだ母よ、このどうしょうもない私を助けよ、と。
 
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もちろん、この時は私の異常に気がついたヨメが母になり、私を助けに来てくれた。
ヨメはいみじくも、「泣く子を前にしたときの無条件の母性本能」と後で述懐する。
 
そして「これから我々の夫婦喧嘩は、夫が泣いて決着が付くんだろう」と、笑いに誤魔化したのだが。
 
この時の慟哭発作の記憶は鮮烈に残っている。
私は自分がどうしようもない不安な感覚に堕ちこみ、どうしても逃れられない時が来るのが解ってしまったのだ。
そして私はもう自分では何も処理することができなくなり、ただ泣くしかなくなってしまうのだ。
 
もう自分では生きられず、絶対的な庇護者に縋る他はない、という無条件で完全な自己放棄。
 
 
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三年間参加していた合唱団を止めることにした。
合唱することが趣味の一つなのだが、三年以上継続してひとつの合唱団に在籍できた経験はない。
 
3年もすれば、もう新入でもなく中堅メンバーとなり、団の運営にも多少の意見の相違が顕在化してくる。
実は私は声を出すのが好きなだけで、合唱が好きなわけではない。
それでなくとも日本の小さく行儀よくまとまった合唱音楽とか、メンタルハーモニーだとか、の日本独特の世界に共感するところは私にはあまりない。
若いときにフランスで参加していた合唱団なら、そんな、心を合わせて声をひとつになんてことを言ってなかった。
皆其々自分の声で歌っていた。
もっと大らかに。
 
今度の合唱団では絶対にそんな不遜な自説を洩らさず、出来るだけ大人しくしようと努力していたのだけど。
そろそろ周囲からの違和感が私を糾弾しだしてきたようだ。
未だに新人のままでいるヨメは気に入っているので、もうしばらくは誤魔化して参加するつもりだったのだけど。
 
ヨメと合唱団のメンバーのことを話していたとき、気がついてしまったのだ。
皆が私の声や態度を糾弾してきはじめたのではなく、本当は私が皆を糾弾し、批判し始めてきたのだ。
 
私は自分の傲慢をいつまでも隠しきることができないのである。
自分の小児性が他のメンバーの主張を小児的であるとし、鼻先で笑ってしまうような態度を露見させてしまうのだ。
 
私は慢心すると何かをつい喋ってしまう。
言ってはならないような不遜なセリフを、それとは気づかず洩らしてしまい、真面目なメンバーの顰蹙を買ってしまう。
 
あぶない。そろそろその時期になっている。
せめて自分から前もって逃げ出してしまうことだ。
 
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老いて悟ることは何もない。
ますます自分が手のつけられないわからんどうしょうもない子供になっていくだけである。
 
子供ならいい。
それはまだ人間ではない。
 
しかし、人が老いさらばえ、もう人間でなくなってしまうと鬼になるしかない。
 
 
せめて周囲の迷惑への配慮のあるうち退場するよう、自分にいい含める。
いつかは完全に退場できる時が来るのが、鬼ならぬ人の特権である。
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