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[静かな生活]

 「末摘花」と住吉大社


'22 10月29日(土)
晴天だが風は適当に冷たい。
防寒用オーバーズボンとかの手配しているうちにもう13:50に。
講演は14:00から。ちょいとやばい。
自宅からヨメを積み込んでバイクをすっ飛ばし、5,6分。
・・・なんとか間に合ったようだ。

ご近所大国町高校で源氏物語「末摘花」と「蓬生」の講義聴講。

講師は前回「筒井筒」の私見を少々伺った芦田氏。
前回同様、ご近所なんで散歩がてら・・・と思ってたのだが、本日はヨメが居るのでバイクに同乗してもらい、講演終了後そのままどこかに行く、という予定に。

タイムスリップし、高校の一室で高校の古文の授業を受けているような一時間。
「末摘花」とは紅花のことで、源氏物語のヒロイン中では異色の”赤鼻”の醜女。
この異例のアンチ・ヒロインを物語に登場させた意図は、エンターティンメントとして”笑いをとる”目的ではなかったか、というのが芦田氏の見解。
そういえば”赤鼻のトナカイ”も似たような役割だよな、とか思う。

で、終了後バイクで到達したのは大阪南の住吉大社。

光源氏は26歳から28歳(本居宣長釋)まで都落ちし、須磨・明石に隠遁する。
その間も末摘花は荒廃した屋敷で一人一途に光源氏を待ち続け、その純朴さが物語のオチに懸かっていくのだが、この間光源氏は都に復権出来るようこの住吉大社に常に願かけていたという。
当時、住吉大社が大阪湾越しに直線的に望め、明石からでも毎日願かけが可能だった、との芦田説(実は師匠筋情報らしいが)を拝聴してきたばかりだった。
そういえば、今でも大社の表の住吉公園前には石灯台が残っている。
昔は「住吉浜」だったのだ。

住吉大社はことほど左様に歴史的文化的大メジャー大社だったのだ。
「へぇ〜?知らんかった」とヨメ。

大阪に暮し小60年のヨメだが、住吉大社に来たことは一度もなかったという。
大阪キタの住人には「住吉さん」というより「天神さん」の方が親しみがあったのか。
私の母校釜小(釜ヶ崎小学校)の一年生最初の遠足は「住吉神社」だった。
大阪ミナミとキタでは明らかに文化圏が違っている。

小学校の遠足より前、大阪ミナミでは正月には「住吉さん」に詣でるのが当然だった。
私の記憶ではこの太鼓橋には当時踏み段がなく、子供の私は最初の勾配は這って登った記憶がある。

しかし私も太鼓橋以外の記憶はあまり残っていない。
正月の記憶はやはりにぎやかな参道の屋台か・・・

太鼓橋から見える神域はそれなりの厳かな気配がある。

しかし、左手橋上には少々安っぽい集合住宅棟、右手橋向こうには駐車場の車が見え、平安神宮・春日神社並みの壮大な神域とはちょいと比較にはならない(^^;

内陣へ。

この葺屋根の勾配とピンと張ったシノギは紛れもなく古住吉様式。
日本最古の神社建築が見せる、天の神が降るアンテナの力強い感度がそのまま形になった意匠が思わず首を竦ませさせる。
(あ、この解説他言無用。恥かきまっせ(^^;)

まあ、そんなでたらめな感想をでっち上げれるほどには整然として凛とした内陣の建築群。

なかなかすがすがしくも美しい建築美である。

それでは私もここで凛として片足立ちを。

はよ撮ってくれ、倒れる(^^;

おびただしい絵馬群発見。

昔は「家内安寧・長寿健康」が庶民大多数の願だったのだが。
現在では圧倒的多数が「合格祈願」。
中には「ぱぱとままがおかねもちになりますように」という拙いひらかな絵馬もあった。
何時の頃から日本人の主たる願が学歴と金に変わったのか。

社務所横の静かな植え込みにて。
その後ろ側には車止めの内側のハズなのに車が停まっている。

自動車のお祓い場だった。
前後左右に神力バリアを張り巡らしている。
上からの直撃には盲点アリかも(^^;
新しい車を所有する、というったイベントに際し、お祓いをしてもらうという心理はわからんこともない。

ここだけはとり残されたような静かな一角。

二重に橋が見えるのでそこでポーズ、お願いします。

実はここ、トイレです。

鳥居前で私は吽と。

お嬢ちゃんは唖っと。

はい、充分コワイです(^^;

帰りは混雑する26号線はイヤなので玉手から南港通を伝って新なにわ筋まで。
往路も26号線を避け新なにわ筋の住之江公園角経由だった。
本日は前回の大渋滞で懲りた木津川大橋ルートのもう一本先の大浪通りルートを試すつもり。

タンデムなのでヨメが後部席から南港ループ橋(新木津川大橋)を撮影していた。

夕陽の木津川。

なみはや大橋の二重路線。

正面に弁天町の51階ベイタワー群が見え、ここから三重ループで下るのだ。

土地の狭い大阪工業地帯の苦肉の橋造り三重ループ(^^;
これで住吉区から大正区に着地。
タダなのでなかなか楽しい(^^♪
住之江からこの大正区域が平安時代は海、明石から住吉大社が直視できたのだ。

ちょいとイケア鶴舞で休憩。
もちろん120円ドリンク飲み放題(^^♪

ちょいと売店で菓子を仕入れ、帰路に。

大正区千歳橋を経由し、大浪通りをそのまま直進し道なりに右折。
こちらのルートは全く普通の町道で繁華街も通らず木津川もすんなり渡れ、自然にウチの街区ブロックに接続できた。
大正区からはこのルートに合流するのがいちばん無難、と言う印象。

(付録) ヨメ撮影新木津川大橋
up:2022/11/1(火)12:21
vo:smsy/hk2022/68388556.html
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