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[ハワイで]

オアフ島ひとまわり

2016/8/19(金)1:38
2002年7月6日(土)
朝、例によってホテルのパンフレットを見、本日はオワフ島一周と決める。
ホテルのカウンターでバスの案内を請う。
英語で尋ねているのに日本語で応えられる(^^;
別に違和感もなく、このパターンでしばらく会話を続ける(^^)。

バスでオワフ島一周コースに。
所要4時間、しかし料金はたった1ドル50セント。

先ずホノルル湾からパールハーバー横を北上してハレイワを通過する。
途中雨が降ったり白樺らしき樹木があったりし、ハワイらしくない景色。
ふとアメリカの中部のどうしょうもないただの町という雰囲気とも見えた。


ハレイワを通過する。
なかなか鄙びていて、「70年代のサーファーの町」というような雰囲気がある。
もちろん当方はサーファーという種族ではないが、それなりの雰囲気はあり、何かしら惹かれるものがある。
バスは次にノースショアの海岸沿いを走る。
適当な海水浴場で降りて泳ぐことにする。


サンライズビーチに降りる。
20人くらいがただ浜辺で寝そべっているだけのビーチだった。

波が高く、遊泳する気にならない。

太陽は照りつけるが風もつよい。

しばらく写真を撮って退散。

バス停のある場所にいかにも田舎の簡易食堂のピザ屋とよろづやといった雰囲気のスーパーがあった。

コーヒーを飲みたいとピザ屋のネェチャンにいうとスーパーで売ってるという。
水と蒸しピーナツを買う。
夏。

アメリカの田舎のバス停の雰囲気。
ハレイワまで戻って昼食を食べることにする。
バス停にモルモン教の女性。

ハレイワで降りて、ピザ屋に入る。
考えてみるとちゃんとしたレストランに入るのは初めてだった。
なんとかカツサンドとピザ。
ビールも飲む。

店員の半パンツのオネエサンも愛想よく、英語もよくわかる。
HISの事務所では悪く観光ズレした場所かい?との危惧も感じたが、レストラン等の応対は大変よく、下手な英語の客にも慣れているのか、不快な思いは一切しなかったな。


満腹して表を歩く。
が、あまりに暑く真夏の炎天にすぐダウンしそうである。

ヨメがどこかで寝たいというので、とある駐車場の横の空き地の木陰で休む。
すると雨が降ってくる。

かまわずそのまま眠ってしまう。
目がさめれば雨は上がっていた。
戸外の、とある木の下でふわりと眠っていた時間は日常の悪夢から完全に切り離され、ふと幸福だった、という気がした。


もう一度オワフ島一周コースにもどりバスを待って乗り込む。
ハレイワに戻る時に乗ったバスでもらった乗り換え切符を示すと、OKだった。
オワフ島の残りの部分を走破。
ゴルフ場、ポリネシア文化センター等。
切り立った山の風景もあり、冷房も利いていて寒かった。
かなりの距離だった。

ホノルルに帰ると夜になっていた。
せっかくだからというので、バスの基点になっているアラモナ・ショッピングセンターを見学。
スーパーで日本に売ってないような睡眠薬や鼻薬等を見繕っていると9時になってしまい店はクローズ。

ワイキキで迷ったがタイレストランに入る。
ビール、スープ、麺、カレーを分けて食べる。

愛想のいい東洋系ウェイトレスとなかなかの冗談もいいつつ会話を交わしていると、何時の間にかおつりの小銭をチップで取られてしまった。
というか、つい「おつりはいいよ」、と言ってしまったのだ(^^;
ヨメが怒る。 まあまあ、となだめる。
ぼくにはそういうところがあり、ヨメにはそういうところがある。


7月7日(日)
翌日、例によって心地よく朝寝し朝食を自作して食べていると部屋の電話が鳴る。
みんなもう集まっている?
集合時間を間違えた。
あわてて食べかけの食べ物を処分(^^;、身支度をしタクシーを呼んでもらって空港へ。

空港でHISの係りをさがす。
HISの現地バイトと思われる女性も愛想よく、遅滞なく手続きをしてくれた。
まあまあ、慌てたけれども間に合った。

結局、悪い予感が立ち込めていた割にはそれなりに、それなりに楽しめたハワイ旅行だった、としておく。

〈ハワイで 完
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