・・・させていただきました。
[日本語・外国語]

・・・となっております。

1999/5/7
2日は休日となっております。
飲み物は別料金となっております。
この言い方で質問者に答える時、具体的に資料を確認するといった行為があれば自然に聞こえる。
「2日は、(カレンダー上では)休日となっています。」
しかし、直接回答として使用するのは無責任な発言に聞こえる。
 → 「2日は休日です。」
 → 「飲み物は別料金です。」
と比べると、発言者の「意志」を感じさせない。
既にそうなっている=自分が決めたことではない、というような責任回避的響きがあってなんとなく不快になる。
(99.5.7)
<後日付記>
2000.5.24付の新聞によれば「ぼかし言葉」が広がっているという。
例として挙げられているのは:
 「お荷物のほう、お持ちいたしましょうか?」
 「とても良かった、みたいな・・・」等。
断定を避け、責任回避を計る心理と理由付けされている。

断定を避けて口調を和らげるのは日本語の語感として別に奇異ではない。
私が気になるのは業務上の回答等、きっちりと明言しなければならない場面でも、機械的にこの「ぼかし言葉」を使おうとする傾向があることだ。

ついでにもうひとつ気になるこの「営業用ぼかし言葉」を上げておく。
電話で自分の名を伝え、「失礼ですが?」と言ってそのまま答えを待つ。
「失礼ですが、お名前をお聞かせ願いますか?」の後半を省略したものと推測はつくが。
しかし本当に失礼だよ、これは。

「お名前を頂戴できますか?」というのにも遭遇した。
よせやい、名刺だったらあげないこともないんだが。
人の名前をもらってどうするんだ?
明日からその頂戴した名前で立派に生きていく覚悟なんだろなぁ?
(00.5.25)
<更に付記>
上記の記事を書いてから久しいが、「となっております」の横行はいよいよ目に余る。
当初は若い女性の話し言葉の中だけだったのだが、最近ではとうとう書かれた文章にもこれが見られるようになってきた。
いろいろあるのだが、やり玉にあげる相手として南禅寺サンを名指しさせてもらう。
(京都 南禅寺山内掲示)
↑尻がむずむずするような落ち着きのない日本語である。

さすがに「となっております」ではなく、より書き言葉に近い「になっています」となっているが、軟弱な精神構造は変らない。
この日本語がおかしく感じるのは、禁止になっている根拠 明示されていないと感じるからだ。
この文の提示者の意思ではなく、他の根拠から既にそうなっているので、という口調に聞こえる。
「何故禁止なんですか?」と問い詰めれば「さあ?私が決めたわけではないので・・・」という逃げ口上がすらすら出てくるような心理が透けて見えている。
もうすこし座禅修行し、書き手の主体性が感じられる文章をものする精神になって欲しい。

当山の業務遂行要領により、室内の撮影は禁止になっています。」なら、精神の軟弱は感じるが日本語がヘンとは感じない。
根拠を示さないのなら「室内の撮影は禁止します。」とし、提示した当事者の意思を明確にしなければならない。

こんな軟弱な文に守られて室内の虎も悲嘆の念にくれているのだが、その姿を見せることはなぜか禁止になっているのである。
(07.01.17)
・・・させていただきました。