「地球にやさしい」
「環境にやさしい」
このコピーを最初に作った人はエライ。 大ヒットですよ、これは。
本来下積みで目立たなかった地球を擬人化し、ひょいと隣人のような身近な視点で扱った意外性が面白かったなぁ。
でも、この爆発的ヒットが追従され、コピーがコピーされていくうちにだんだん鼻についてきてしまう。要するに、もう新鮮な意外性はなくなっているのに、
せっせとお守りのように使いつづけているコピーのコピーしかできない人達が煩わしくなってきた。
「何々にやさしい」という言い方もこれだけワンパターンで繰り返されれば、 発話者の語彙の貧困が露骨に感知されようというものだ。
もっと言えば「環境にやさしい」と唱えさえすれば、とにかくなんかいいことをしてるんだという表明になっているというコトバに対する甘えも見えてくる。
社会のキーワードが「環境」に変わると、とたんに「環境」という語が蔓延するのもおそろしい。
「地球にやさしいお料理」
「環境にやさしい課」(大阪府池田市)
「環境にやさしいバスの紹介」(東京都営バス)
「環境にやさしい自動車の展示会」(運輸省)
なんだい、キミ達は?あんまり安直に他人の作ったコピーを流用して恥ずかしくないの?
もともと地球は人間じゃないので、自分で「やさしくしてくれ!」なんていうはずはない。
擬人化というのは立派な「ウソ」である。もともと人でないのに人のごとくいう、その「ウソ」の面白さを楽しむモノである。だから、最初面白かった「地球にやさしい」という言い方も、ここまで流通してくるとフィクションとしての面白さなんてもうとっくになくなっている。
「環境にやさしい」というのはもともと「ウソ」だということを、みんな忘れているんじゃないだろうか?
「環境にやさしい自動車」(運輸省)って、そんなものあるわけが無いでしょう?
運輸省の言っているのはせいぜい以前よりも排気ガスが抑えられ、消費燃料が少ない自動車のことのようである。
冗談じゃないよ、それって「以前よりも悪くはない」だけのことじゃない?マイナスが少ないというだけで、「やさしい」なんて言えるのかねぇ?
いかなる排気ガスも出さないことでマイナスがなくなって0になり、走れば走るほど空気を清浄化できて初めて「環境にやさしい」というんではないの?
でも、いくら排ガスをださなくとも、騒音や振動、交通事故はなくならないんでしょうから自動車が「環境にやさしい」なんて私には信じられませんね。まあ、せいぜい「環境をやさしく破壊する自動車」ってくらいの意味ではないか。
環境 「いたいよ。自動車でなぐらないでくださいよ!」
運輸省 「だからぁ、ちゃんと やさしく なぐってるだろ!」
ささいな偽善を容認していると、いつか確信犯的悪に成長していく。
(2002.2.1)
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