〜のホウ 「ふれあい」
[日本語・外国語]

「まごころをこめる」

1999/5/7

   「まごころをこめる」
  「心が通じる」


なかなか日常的に使用するには、ちょっと気恥ずかしい美辞麗句である。
しかし、テレビのCFではいとも簡単に使用してらっしゃる。

某消費者金融のCF:
「私達は毎日、まごころ込めてティッシュをお渡ししています。」と言うセリフ。
ティッシュをもらった男がニコリと笑う。
「心が通じたとき、この仕事をして良かったと思います。」

ま、多少のコミュニケーションは成立したんでしょうよ。しかし、それが「心が通じる」と表現されたとき、当方は唖然としてしまう以外にない。

ティッシュを笑顔で配ってもらったら、私も喜んでいただいてますが、「まごころ」がこもっていたのかどうか知りませんし、別に「心が通じた」なんて思いません。単純にモノもらって得したな(^^)、と思うだけで。

もちろん、こういうCFは単なるビジネスを美しく表現し、企業イメージを上げる目的で作られているので、誇張があるのは承知している。とにかく、「我々はもうけたいんだよ。お金を出しなさい。」という本音だけ見せてもどうしようもないというものだ。

ここしばらく未曾有の経済的停滞がつづき、現に私メも失業してしまいましたが(^^;、各企業では必死に生き残ろうと、いろいろ手段を講じているようだ。よく聞く中には社員の「モチベーション」を上げる、というのがある。
つまり、仕事に積極的に取り組ませる、個人的な動機づけを行うのである。企業にとっては当然の手段だと思う。同じ給料支払うなら、もっと働いて欲しいと策謀するのは当然だ。
イヤイヤ働いてたのでは生産効率があがらない。
だから、仕事というのは日々の糧をあがなうためにイヤイヤするものだ、という意識を捨てさせなければならない。仕事の目的はそんな卑小な個人的なものではない。
もっと豊かで高尚で、社会の役に立つことなのだ、という意識を社員一人一人に持たすことが肝要ですね。

昔、某企業の工場で働いていたときには毎日必ず、社提を斉唱させられた。
「ひとつ。産業報国の精神。」
等々。(←どこか分かった?(^^))
しかし、こんな文言はラジオ体操と同じ、タダの気勢を上げる呪文で、意味なんて別に誰も考えてはいなかった。要は集団で行動するという条件付けができれば良かった。
しかし、最近の「モチベーションを上げる」というのは、もっと個人の内部に入り込んでくるまで指導されるようです。

しかし、どうして「金を稼ぐために働いてる」という素朴な理由ではモチベーションが上がらないというんだろうか?
「まごころが通じる」とか、「社会に貢献する」とか、なんでそんなに回りくどい動機付けをせねばいかんの?
金以外の目的が主だったら、慈善団体や親睦クラブ、あるいはNGO活動なんかに参加すればいいと思う。会社では「もっと働いたら給料があがる」だけが勤労意欲の源であったとして、いったいどこがいかんの?
ひょっとしたら、何か「金を稼ぐ」ことを前面に出すのは、ヤマしいという意識があるのかな?もちろん、金ではなくて、「仕事が好きだから」とか、「勉強になるから」だとか、個人的には労働にいろんな動機があっても良い。でも、それは正に個人的な動機であって、すべての同僚諸氏に共通するものではない。企業の中の労働者の共通の勤労動機としては「金を稼ぐ」為という正当かつ公正な理由だけが唯一の最大公約数として存在するだけだ。
まして、企業の側が「利潤追求」あるいは「企業・社員の利益を守ること」以外の労働への動機付けを行うとしたら、それは入社した社員への労働契約不履行ということになるのではないか。

例を挙げて申し訳ないが、「産業報国」の社提の斉唱をさせることがこのような意味なら問題だ。
「君達が働いているのは金のためではない。産業を通じてお国に報いているのである。だから、給料が上がらなくとも、もっともっと働くべきなのだ。」
おいおい。会社自体はそのような高邁な精神に基づいて設立・運営されているのかも知れませんが、私は単に「この労働でこの給料」というだけの契約で就職したのである。
そのような「報国」が条件だとは一切聞かされてませんでしたよ?
(お断りしときますが、これはあくまで例示のための虚構です。この社提を持つ企業での実際の勤労体験ではありません。念のため。)

企業があまり美辞麗句にこだわると、どうも私は茶化したくなってしまう。ごめんなさい。

でも、小声でぶつぶつ。

ささいな偽善を容認していると、いつか確信犯的悪に成長していく。

付録)「まごころ」云々以外にも、どうも消費者金融系企業のCFには抵抗がある。

その1)
妙齢の女性が愛想のよい笑顔で愛嬌をふりまく。要するに、しきりと「金を借りにこい」と勧誘してくれるだけなんだけど。多分歯並びが理由でCFの主役に抜擢されたこの女性タレントは、30秒間ずっと固定した笑顔で通し、それがまるで顔に張り付いたとしか見えないのである。

もちろん、「もっと気楽に消費者金融を利用してください」というメッセージを体現しているのであるが、ぼくの感覚ではやはり「金を借りる」のは絶対に気楽ではない
どうしょうもなく、困り果てた末に門をたたくのだ。昔の質屋は堂々と入るところではなかった。質屋の方も派手な宣伝などはしなかったものだ。
だから、女性の笑顔に誘われて、なんて、そんな単純な理由で金を借りに行くとは思えない。質屋の親父は閻魔様のような顔をして「きちっと返済しなきゃ、質草流してしまうぞ」という警告をするのが正しいと思う。

このCFの女性は満面の笑顔で「金を借りてくれ」というが、それは企業の真の目的ではない
「返済に伴う金利を支払え」というのがこの企業の利潤の源であり、企業活動の目的だからだ。
しかし、その真の目的は、この女性の笑顔が覆ってしまってまったく見えない
笑顔が完璧であればあるだけ、金を借りるというのはそんな簡単なコトではないぞ、という警告がぼくの内部に発生し、女性の笑顔がいつしか「金利支払え」という閻魔サマの醜怪な顔とダブって見えてくるのだ。

その2)
以前「がんばる」という言葉の無目的的用法が気になると書いた。
その意味でもテレビで放映されていたこの消費者金融企業の、別のCFのセリフが引っかかっていた。
「わたし達はティッシュ配りでがんばってます。あなた達は踊りでがんばってください!」とティッシュ配りのお姉さんが、ダンサー達を激励するヤツである。

この会社はがんばってるのだ。その後顧客の盗聴を指示したとしてこの会社の会長が逮捕された。そして、便乗でもなかろうが、元社員が役員に人権を傷つけられたとして告発もしている。ニュースで報道された、役員の社員への叱責の録音の罵倒のありさまは、この会社の体質を体現していると思われた。
会長も役員さんたちも「がんばって」るのだ
、この会社は。まあ、無目的的にがんばってるワケではないんだろうけど。

(2004.3.9)

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