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[時爺放言]

多様な世界・多様な夢(8)

2008/09/02
「環境問題」は私には、個人の認識の多様性を社会がどこまで統一できるのか、という命題になる。

山本弘「”環境問題のウソ”のウソ」には面白い指摘があるので引用させていただく。

-----引用開始---

ひとくちに温暖化懐疑論といっても、4つの段階に分けられる。

・懐疑論レベル1
  「地球は温暖化に向かっているというのは本当か?」

・懐疑論レベル2
  「温暖化が本当だとして、その原因は人間が排出しているCO2なのか?」

・懐疑論レベル3
  「地球温暖化によって発生する被害は深刻なものなのか?」

・懐疑論レベル4
  「地球温暖化を食い止める努力をすべきだろうか?」

この4つの疑問は本来、別々のもののはずだ。なのに、なぜかごっちゃにしてしまう人が多い。

-----引用終了-----

ちなみに著者、山本サンが自分で客観的に出した回答は以下のとおり:

----再引用開始-----

レベル1への回答 「確実にイエス」

レベル2への回答 「かなりの確立でイエス。ただし、まだ疑問は残る」

レベル3への回答 「よく分らない」

レベル4への回答 「あなたの考え方しだい」

-----再引用終了-----

本文では上記に対していろいろ論拠が挙げられているのだが、客観的な各レベルの懐疑論への評価とは別に、個人生活上ではCO2削減に協力しているということだ。

本当はどうだかよくわからない、でももし本当だったらコワイのでトリあえず、というところか。

そうだよねぇ。
専門の学者でも100%の確実性でもって言い切れないのに、100%の人が同じ認識を持ってるとは
とても思えない。

自分が正しいと思うことを主張するのは正しい。
自分が正しいと思うから、他人が間違っていると主張するのは、あんまり正しくない。

ん?ちょっと論理がヘンか?

論理がヘンでも「正しい」と思うことはできるし、論理が正しくとも心情的に納得できないこともある。

バイオ燃料は「資源としての石油の消費量を抑える」試みではあるが、CO2排出という面だけでいうと、少しも「環境にやさし」くはない。
かえって心理的・経済的には害になっていると私は思っている。
しかし、ウチの県の広報(8月)にも「環境にやさしいとされるバイオエタノール」と書いてある。

元来別物の「C02削減」「資源の保護」「ものを粗末にしないこと」「ごみを分別すること」なんやかんや
が渾然一体となって全体で「環境にやさしい」んとちがう?としている人も多いのでは?

一体ペットボトル、本当に回収に協力するのってどういう効果があるの?
本当に生ゴミで出して焼却させたらいかんわけ?

ひよっとして、ただ「もったいない」という精神運動だけなんでしょか?
だとしたら、生ゴミで出してしまっても「倫理的」罪悪感に悶々としなくてもいいわけだ。

なんか、お役所が決めたことに反対したりしてしまうと、善良な市民のフリをしているだけだ
というのがバレてしまうのがコワイ。
blog upload: 2008/9/2(火) 午後 1:25
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