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[時爺放言]

さあ、どうする? >温暖化 (2)

2011/04/28
思わず「神」といっちゃったが、私はどちらかというと仏教系無神論者である。
だから神サマの具体的なイメージは持っていない。
 
でも、あの津波は大洪水(delug)をどうしても想起させる。
現実に被災された方がたには申し訳ない連想だとは思うのだが、創世記に描かれたどうしょうもない神が圧倒的な力で世界をリセットしようとしている姿を思ってしまう。
このときはノア一家とそれぞれのつがいの動物だけが生きのびることになる。
 
原子力発電所からの汚染による町の無人化もどこかソドムとゴモラを滅したやり口を思わせる。
このときはロトが除外され、そのヨメが好奇心で町を振り返ると、あっさり塩の柱にされてしまうことになる。
どうしようもない純粋暴力である。
 
ここまであからさまではないが、われわれがどうしても抗えない絶対的な力を見せつけられるとき、逆らうことのできない上位者としての神という概念を想定しなければやってけないのだろう。
 
人は死ぬ。
その有限性を瑕疵と考え、完璧なもの(ominipotent)としての神を想定し憧れる、という見方もできるのかもしれない。
私はそこまで潔癖な倫理意識はないので、地べたをはいつくばる無神論から飛翔する恐れはない。
ただ神を想定できないまでも「一定地獄は住みかぞかし」風に自らの有限性を認識することはできているつもりだ。
 
大地震や津波ではなくとも人は不条理に死ぬ。
むしろ今回の事変で被災された方々は、その不条理を多数の人々と共有したという意味で、不条理の緩和とでもいうべき救いもあったと考えられないだろうか。
 
卑近な話になるが、今回のような大災害では心的、金銭的なケアが広く社会からなされる。
不条理が多量に発生すればそれが日常化し、不条理が認知されるという奇妙なことになるのである。
逆に、一般日常的に個別の事故や事件で被災すると、日常の不条理として闇に切り捨てられる。
誰も知らない自前の不条理。たから不条理なんだけど。
 
大洪水やソドムの暴君的な神は何を怒っていたのかというと、人の傲慢というものだった。
有限なくせに自分が唯一無限と考えてしまう傲慢さ。
 
表面的には、今回の災害を身勝手に環境を破壊していく人類に対しての怒りと見るのかもしれないが、それなら大量エネルギー消費地の大都会に怒りの矛先を向けるだろう。
私のイメージはソレではなかった。
 
地球温暖化論の科学的根拠は私には判然としない。
でもそれはどうでもいい。
ただ、分からんうちに商業ベースでいつの間にか既成事実にされてしまい、政府の政策jからスーパーのレジ袋に至るまで私の日常が温暖化論でがんじがらめに縛られてしまっていたことが恐ろしかった。
理解できないことを、「わからん」と言っただけで石を投げられるような風潮になっていなかっただろうか?
 
地球温暖化?そんなもの、何の関係があるか!という圧倒的な力を今回私は見た。
本当の自然はわれわれがどうかできるような、合理的な対象物ではない。
この世界の根底にあり、われわれの内にも偏在するこの不条理そのものが自然というものだ。
 
それでもまだ自然をいじくろうと考えてるのかい?
そのような傲慢が暴君を怒らせる、と私は思ってしまうのだ。
blog upload: 2011/4/28(木) 午前 3:21
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