さあ、どうする? >温暖化 ... どこに行くのかポイント本位制...
[時爺放言]

さあ、どうする? >温暖化 (3)

2011/05/27
原発が残っている。
 
被害者がいらっしゃるときには、被害者側に立ち正義の味方面をして加害者の責任を追及するのがこの国のメディアである。
遠くは原子力の平和利用といい、近くは環境問題への切り札という電力会社・政府の言い分をそのまま報道し、率先して原発推進の音頭をとっていた、という印象しか私にはない。
 
本屋に行くと震災の記録の報道出版が山積みされている。
特に原発問題を特集した雑誌で、これまで東電の原発推進のCFに出た有名人の名を網羅して告発するような記事もあり、ショックを受けた。
 
これ、コラボだね。
フランスでは第二次大戦中、ナチスやその傀儡政権にcollabore(協力した)者を戦後に批判し、「コラボ」と蔑称した。
卑劣な売国奴の戦犯というようなニュアンス。
で、大多数の国民はレジスタンスで、もしくはレジスタンスを密かに支援しつづけた、というのだが。
しかし、人間とはそのような○か×かというような単純なものではなかっただろう、と私は思う。
 
ドイツでは以前から環境問題を政策として主唱している「緑の党」の勢力が強く、日本で原発がCO2削減の切り札とこぞって言っていたときに、ドイツは原発を廃止する方向の政策を決定していた。
日本でも原発反対運動が展開されてはいた。
 
それでも原発は稼働し、その電気で我々は生活を営んでいた。
 
福島原発周囲での生活を奪われた方達は紛れもなく被害者だろう。
中には原発に反対だったが、転居することもできず、やむなく住んでいた人もいるだろう。
当然、原発推進派であった人も、現に「協力会社社員」つまり原発の下請け会社で職を得ていた方もいる。
 
もし、東電が絶対的加害者とするなら、原発誘致を容認し、原発の電力を享受していた方は加害者に少しは協力していたことになる。
大多数の人々は原発問題にはニュートラルで、ただ政府や大企業の言い分をある程度は信頼していた善意の大衆とでもいうことだったのではないだろうか?
 
しかし、考えていなかったということが、弾劾される時代もあるようだ。
東電のCFに出た、たとえば星野仙一氏はどの程度原発の安全性について認識されていてのか?
多くの人と同様、あまり深くは調査研究することなく、公式な宣伝文句を善意で信用していたのではないか?
しかし、今では「コラボ」ということにもなってしまう。
たとえ明確に被害者であっても、今まで加害者を容認していたということは絶対になかっただろうか?
 
全員が引きずり出された姦婦に石を投げつけられるのだろうか?
 
この例えが気にいらないなら、高橋和己が書いてたロシアのコントはどうか。
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 政治犯二人が処刑場に連行されていく。
 一人が言う。
 「私は何もしていない。何故私が処刑されるんだ!」
 もう一人が言う。
 「まさに君が何もしなかったので、今我々が処刑されるようになってしまったのだ。」

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100パーセントの加害者や100パーセントの被害者なんて本当は存在しない。
全員がどこかで加害者で、どこかで被害者というのが世界というものの実体だと思っている。
 
地球温暖化論が正しいのか誤りなのかは私にはどちらでもいい。
多少は正しくとも、多分世界はそれだけで動いているワケではない。
それよりも、自分が正しいと主張し、他人に強要することを人間はすべきではないと思う。
そんなことは神サマにまかしておけばいいのだ。
 
温暖化論も「想定外だった」といつか弁明されるハズである。
いや、別にそのとき私は政府や推進企業の商業主義を責め、土下座させようとは思っていない。
私も消極的にでも温暖化論を容認し、みっともなくも世間体をつくろって生きている。
ただ、ますます鬱屈する自分自身をもてあましているだけで。
 
blog upload: 2011/5/27(金) 午前 3:29
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