ちょいと長めの前奏曲 .. スカルラッティ ソナタ..
[ピアノのお稽古]

永遠に続くピアノのお稽古

2007/3/29(木) 午前 3:43
ピアノを正式に習ったことはない。
高校の音楽室にあったピアノをさぐり弾いたのがことはじめだった。
和音の知識はあったので、左手で数字の3を作り、その指(234)で3和音を弾いていた。

高校を卒業すると大阪教育大天王寺や池田にもぐりこみ、
学生諸君に混じりピアノ練習室を占拠して盗み弾きをした。
旅行で行った静岡大教育学部でも盗み弾いた。
教育系大学ではピアノ練習室があってぼろぼろのアップライトが10台くらい入れてあったのだ。

そのうち、どういうわけか電子オルガンの講師資格を手に入れ某楽器メーカーの
音楽教室で教え、夜は場末の流しのオルガン弾きをした。←カラオケ前夜のことだ。
しかし、ピアノへの憧れは押さえがたく、オルガンでショパンを練習する
なんて無駄なことをしていた。
ま、当時はバッハの平均率を主に練習したので、ある程度は後のピアノにもつながったが。

結局自分のピアノをもてた時はすでに34歳になっていた。
サラリーマン生活を清算しフランスで貧乏学生をしていたのだ。
近所の楽器屋で時間でピアノを借りて練習していたが、そこのおやじが「レンタルしたら?」
というのでソノ気になった。
下宿の屋根裏部屋にピアノを運びこみ、やっと毎日ピアノの練習をすることが出来るようになった。

盗み弾き時代に買った楽譜を持っていっていた。
音楽の友社の世界音楽全集:バッハピアノ曲集1,2とモーツアルト集だったっけ?
今だにバッハピアノ曲集は私のピアノの上に乗っている。
昭和42年第3刷¥460。このバージョンではハードカバーである。
後に薄っぺらいカバーになってしまった。

その後帰国し、年功序列上最下等サラリーマンになり果てて日本産業構造内に再摂取される。
六畳一間共同トイレ家賃一万に先ず導入したのはヤマハ・クラビノーバだった。
その後やっとヤマハのアップライトを購入、自宅に搬入したときは既に齢50歳。
土日の午後はピアノの練習で日が暮れた。

で、今回リタイアしてめでたく、毎朝ピアノを弾けるめぐり合わせとなったわけだ。
ふう。

34歳、フランスの楽器屋で練習していたのはショパンのバラードNo.1だった。
ピアノの腕前はそれから一歩も進歩していない。嘗て暗譜していた曲も忘れる一方である。
練習が週末だけしかできないような環境では、少ないレパートリーを維持するだけで精一杯。

ここ20年で少しでも新しい分野が開けたのは、インターネットで無料ダウンロードした
スコット・ジョプリンのラグ・タイムにのめりこんだことくらいか?

さて、せっかく毎日ピアノの練習ができる身分になったんだから、じっくりベートーベンの
後期のソナタにでも取り組むか?と企画はするのだが。
残念ながら時間ができると、今度は気力がうせてしまっている。

もうバッハの平均率は滅多に弾かなくなった。
ちょっと柔らかめのアルベニスのスペイン曲集くらいが楽しい。
それにショパンのマズルカ全曲試奏なんてのも最近やっちゃった。
全曲といえばD・スカルラッテイのソナタ全150曲も完了。むはは。

しかし今は新曲に取り組むというより、レパートリーを完全に暗譜することが先決になった。
いつか目が見えなくなっても、覚えておけば死ぬまで弾けるハズだろ?

と、思ってたら、なんと腱鞘炎になってしまった。
↑老人性リューマチスだろとの声あり(^^;
うむ。これから、という時なのに、くそ。
こうなったら、いっそシューマン先生に倣い、作曲に転身してやるか。

ちょいと長めの前奏曲 .. スカルラッティ ソナタ・..