選ぶのが面倒なので、久しぶりにこの作家の一冊を読むことにした。
かなり量産していた時期の作で、一定の水準だが量産品という枠内でのアイデアと構成でそこまで面白くはなかった。
定評ある作家の水準作とだけ。
最初に出会った作曲家モノの新鮮な視点やエンターティンメント小説を少しだけ越えた思いがけぬ人間の暗さの洞察に出会ったインパクトには程遠い。
何も読書のモチベーションがない時にはまた読むかもしれないが、もうそんな時間はないだろう。
あまり関心のなかった現代米文学の佳作。
書棚から手に取り一瞥した最初の頁から何かが引きつけた。
『いま語れ、手遅れにならないうちに。そして期待しよう、もう語るべきことがなくなるまで語りつづけられるようにと。何といっても時間は終わりに近づいている。もしかしたらここは・・・』
私と同年代の詩人。
先ごろ、半世紀ぶりに会った中高時代の友人が書き始めた自叙伝の評を頼まれたことがあった。実直なこの技術畑の友人の淡々とした叙述に、文によって回想することの老人にとっての意味を考えさせられ、自分の来し方を書くということへの刺激を受けた。書くことができるのはこの時だ。後はない。
『明らかに君は、欠陥を抱えた、そもそもの最初から自分の中に傷を負った人間なのであり(でなければなぜ、大人になってから生涯ずっと、紙の上に言葉を血のように流しつづけて過ごしたりしたのか?)』
「傷」は欠乏だ。私は世界に欠乏し、それを埋めようとして私は書く。
老境に入った詩人・小説家の自伝・自叙伝だが経時的記述ではなく、自由連想の繋がりを二人称体で綴っていく手法。書き手と読者の、文字を媒介とした時間は錯綜し、生涯に起きたイベントがフワリと姿をチラみせては消えていく。しかし、違う時間角度からの別の回想が一つのイベントに別の位相から色をつけ、次第に具象化し、陰影を付ける。
あらゆる角度からの連想が回想に入り込む。住んだ家、手が行った動作・・・詩人が表現する生々しい自慰の記憶の私にとっての生々しさ。
本意ではなく、ただ世界に迎合し、拒否できなかった差別の記憶。
このように、複雑な自他の検閲をすり抜け文字に起こし読者の目に露わに提示すると、読者のその光景の自分バージョンをストレートに引きずり出されてしまう。
饒舌だが新鮮で、時として笑いを取る文の面白さ、このノリは古典文学ではあり得ず、やはり現代アメリカの感覚か。単語の選択やちょっとした形容、比喩によって思わぬ方向に拡がる饒舌なイメージの豊かさ。
他人の生涯にそれほど関心はないのだが、この作家の語る生涯の光景の叙述は読者の生涯でもあるという普遍性を持つ。
いや、私の生涯とは既に年代やフランス在住体験という共通項はあるのだが、他のあらゆる生涯の光景も、仕掛けられた文の枠組みでは実は全て読者の光景と共有可能なのだ。
よく大阪シティバスで大阪駅から大回りし、現代美術館のある田蓑橋からの中之島のビル街の夜景を抜け、如何にも大阪らしい商業ビルと住宅・店舗の混在した浪速筋を抜け帰宅する。私の記憶の古層からガキの頃の光景が絡みでてきたり、見知らぬ町筋を見た時の感じが気分連想ともいう攪拌作用で思わぬ異国のある地点に居た感覚を呼び出したりする。
同じような気分連想がオースターの回想からも盛んに投げかけられてくる。もちろん私はブルックリンの街角を見たことはない。しかし書き手が連想から回想する心理の枠組み、システムが、つまりは内容そのものではなく、心の動き方が読者の同様な心理システムを連動させる。
かくて、読書は読者の実体験に組み込まれる。
オースターの回想する光景はいつか読者の回想庫にも忍び込んでいく。
饒舌な詩人の豊穣な普遍。
訳者柴田元幸の日本語も秀逸。
この訳者も相当な書き手。
追記) 一月に入り、病の気配が支配し、親しい方々の「遠くから、呼ぶ声」を聞いた。
P.オースターの文章にかなり精神を共振させられたのは、ほぼ同世代という時代の感覚でもあっただろう。
読後、この作家のデータを調べた。
1947−2024。 昨年77才で逝去。
やはりこの作家からも私は確かに呼ばれたのだった。(25/1/31)
⇒昨年逝去していたオースターが今年がその予定年齢である私に呼びかけ、手にとらせた後期の作品「冬の日誌」には、オースターはオマエ(私)であるという感覚を確信させる文学的”共振”があった。これを私は”狂信”と言語化してしまい、突然私を成立させているのは「世界のアナグラム」「自分のアナグラム」「時間のアナグラム」という言語世界であることに気づかされた。
しかたなく、オースターの初期の作品から読み始める・・・
「散歩がうまく行ったときには、自分がどこにもいないと感じることができた。そして結局のところ、彼が物事から望んだのはそれだけだった-どこにもいないということ。
ニューヨークは彼が自分の周りに築き上げたどこでもない場所であり、自分がもう二度とそこを去る気がないことを彼は実感した。」
⇒三人称体で書かれている”彼”は作家が作中の自分として書こうとしている主語なのだが、そこに突然、読者としては作者として暗黙の内に認知している「ポール・オースター」が自分だとした電話がかかってくる。物語としてはマッドサイエンティストが自分の狂信によってクロノスのように息子を殺す(あるいは自分を殺す)ことの阻止を主人公が依頼される。この衒学者が作家自身の研究の一部(言語学・文学・深層心理)であることは読者には自明なことである。従って主人公が自分(作者・語り手)であり、自分と現実に対決するという虚実の境が明確でない世界のアナグラムが試みられる。
物語が進行するにつれ、彼は私であり、作者本人であり、つまりは「自分がどこにもいない」ということを確信する意識の上の狂気を自分の世界とするが、突然、今度はそれを記述している小説の書き手が、いままで語り手であった『私=作者』を、も、作中人物として語りだす。その語る作者が小説中のポール・オースターに面談し、共同して小説の主人公である自分を探し始める。
これが私(このブログの書き手)が命名した”私のアナグラム”である。
⇒「とはいえ、時間が経つにつれて、クインはいつしか、外出しょうとしている男をまずまず上手に模倣していた。」
この世界が私に要求している”私”であることを私は模倣しているだけ、という→意識。
衒学者スティルマンの「失楽園」から言語の二重性が開始し、世界のアナグラムが始るという考察。
スティルマンが主人公クインの文字通りのアナグラムを幾通りにも試みる→場面。
⇒オースターの最後期の作品に私が感じた「私とは何か」の言語化表現は、私とは私と世界とのアナグラムのランダムな組み合わせにすぎず、ただ私はランダムな世界の中でランダムな私であることを選択され、その世界のなかの私を演じているだけであるという→感覚。
「ほかに何も思いつかないので、クインは目を閉じた。これまでは時おり、世界を消滅させることで気持ちが安らいだりもした。けれどいまは、頭の中に何も面白いものは見当たらなかった。・・・呪文を唱えるような、白痴的な声が、同じセンテンスを何度も歌っていた・・”オムレツは卵を割らずには作れない”。言葉を止めようと、クインは目を開けた。」
⇒ほとんど無意味な短いセンテンスが不思議なほどのんきに(白痴的に)頭の中で繰り返し再生され、自分が見ている世界とはまったく別の位相から意識している私の相を開き、しきりとこの世界が虚でソチラが・・いやソチラも虚であると・・いう感覚の→記憶。
クインが主人公であった物語の最後の方で、クインが自分の失いただニューヨークの街を彷徨う場面。ぎっしりと何の意味もないクインの足取りを、まったく即物的に、つまりこの世界の現実の実体を、ただ書き連ねている場面。「ブロードウェイを72丁目まで歩いて行き、東に曲がってセントラルパーク・ウェストまで行って、公園沿いを59丁目とコロンブス像の角へ下って行った。そこからふたたび東に曲がって、・・」三ページにぎっしりと。
そしてボードレールに言わせる:
「私はつねに、私がいまいない場において幸福であるように思える。あるいは、もっと露骨に言えば・・私がいまいないところがどこであれ、そここそ私がいまいる場なのだ。さらにまた、恐れずに言うなら・・どこでもいい、この世界の外であるなら。」
⇒世界のアナグラムとその結論。否定でしか名指すことのできない私の居場所。
---> Anywhere out of THE world
「(運命)それは”it is raining" "it is night" と言うときの"it"が指すものと似ている。その”it”が何を指すのか、クインはこれまでずっとわかったためしがなかった。・・・物事があるという状態。それ以上具体的には言えない。でもそもそも、自分は具体的なものなど探し求めていないのかも知れない。」
⇒余計なことだが、私は"it"よりも”is”の意味の方が気になるのだ・・・
Da sein・・か。私はドイツ語でその辺りに踏み込んだフライブルグでの記憶があったのだが・・・
この辺りにしておく。書評として書くことではないな。
ノーベル賞級の頭脳がその頭脳で理解した量子力学を文系頭脳にも分かるイメージで理解させようとする試み。
語り口はなるべく日常語で、普通の会話のように適時思いついたジョークを交え、時に名作の一場面を借りて文系にも親しそうに、それでも理系の頭脳での確信をしっかりと伝えようとする本。
実は私は未だに量子力学をきっちり理解するに至らず、しかし量子力学こそが現代考え得る最終に近い真理であるとの確信を抱いている。従って、分からんが量子力学に関する本が目につく度に思わず読み始めてしまう。
確かに平易な文に分かりやすいイメージを散りばめている。
確かに毎日数ページの定時読書であっても、それなりに楽しく読み継げられる。
しかし、さすがに作者が「ここから先は少々我慢が必要、だが次に進むには避けて通れない」とかの前置きで始る部分は我慢せずにスキップさせていただいた。
私はエンターティンメントとしての読書しかしていないのだ。
区分所有法であるとかマンション管理センターの配付記事だとかは机上でマーカーやコメントを書き込みながら読むのだが、これは読書の範疇ではない。
要するに私の必要とする知識は実用ではなく、気分や日常の固定した感覚を攪拌していただければいいのだ。
著者は量子力学は純粋な理論であり、実証ができない思考だが、実際にその応用でメーカーは莫大な富を築いている。合衆国のGNPの約半分は量子力学がなければ生産できていない産業に由来する、とまで書いている。
直感を基に数学的証明法を構築する方もいる。
とても私にはそのような・・・
2ヶ月も費やし、この本からしかと次の定式を教えていただけました。
結局、「私は物理も分からんし、詩人でもない」。
アルザスについての出版物があれば目を通してきたが、いずれも公共図書館の書棚に並べる一般書で、単なるアルザス紹介的なものばかりだった。
この書は近代史に於ける”アルザス問題”をまともに取り扱った論文が骨子になっていて、一般向けに編集しなおして装丁した読み応えのある見事な作品で類書の群を大きく抜いている。
我々多少”アルザス問題”に関心のある層、つまりドーデの「最後の授業」の一方的なショービニズムに「はて?」と首をかしげる類の層だが、そのドーデ批判のもう一つ向こう側にある”アルザス問題”の本質を明らかにしていき、その根底にあるもっと普遍的な国家という面妖な存在への「はて?」に繋いでいこうという快著だった。
ドーデ以前のドレフュス問題等は扱っていないのだが、ソチラの分野の専門書なら多いだろう。
ドーデから今日までのアルザスを典型的な3つの事例で追い、その子細な報告がある。
アルザスのイメージを視覚的にフランスに広めたL'Oncle Hansi(J.J.ヴァルツ)。
・・・なるほど、名前は知らなかったがアルザス土産店で氾濫しているアルザスの少女はこの画家がこさえたイメージなのか。ウンターリンデン美術館の館長も。
第一次世界大戦から第二次大戦のアルザス人の無名の小学教諭の日記。
出生から没するまで自分の国籍を二転三転させられた典型的なアルザス人とその2国に引き裂かれた家族の記録。
戦後のMargre-Nousを掲げたアルザス人の運動。
私も4年間ストラスブールで過ごしてきた訳だが、ソコまでの経緯も知らず・・当然だが知らされることもなく、知ろうとすることもなく、ただ「最後の授業」のパロディで遊んだくらいの底の浅さだった(^^;
しかし、当然だがそれは大きな屈辱・恥辱・汚辱の悲劇の記憶として地域では語られず、研究者・史家は民族差別という大問題を論じるだけで、単なる旅行者には簡単に見えるものではなかったろう。
著者の目で捉えた問題意識は鋭く、”アルザス問題”の本質は”国家とは何か”である、と喝破するに至る。「なるほど。」
付記1)
「はて?」「なるほど。」はNHK朝ドラ@「虎に翼」より
付記2)
大阪市立中央図書館蔵書のこの本の各ページをよく見ると、どなたか前に借りた方が時折薄い鉛筆文字でさりげなく文字の誤り(日本語・仏語共)を正規の校正記号を用いて記してあった。このようなマイナーな図書館蔵書を熟読し、さりげなく鉛筆で後続借読人に送ったメッセージ、確かに密かな共感者として受け取らさせていただきました。
ついでに私も同じように鉛筆で仏語綴字の校正を追加しておきました。
拡げよう著者激励大阪市中央図書館読者の和(^^♪
副題:現場で考える和解への道
私が選んだのではないが、散歩で行った浪速図書館でヨメが借りた。
ヨメにはそのような遠くの野次馬的な性向がある。
今年の春先より25年前に行ったボスニアヘルツェゴビナ他の旅行記を整理し、時折アップしているのと多少シンクロしているということもある。
その旅行もヨメが”行けるようなので行きたい”と自分で出してきた企画だった。やはり遠くへの野次馬・・だったな。
しかし、私には読む気にはならないタイトルだった。
「・・の歩き方」は例の旅行ガイドシリーズのノリで、いわばシロート相手の安手のガイド本のイメージ、更に「紛争地の」と來るとヨメ風の野次馬をあてこんだキワものめいてくる。
読む気は無かったのだが、ヨメが読む前に私が読んでしまったのは、本文一行目にもっと懐かしい本の引用があったからだ。
⇒高坂正堯「世界地図の中で考える」(1968)
これは新潮選書で版型は違うがこのちくま新書と似たすっきりした殆どモノクロームの装丁のシリーズだった。
著者名・タイトルが瞬時にその装丁を呼び出し半世紀前の読書のちょいとした知的興奮気分を再現してくれる。この京大教授の話は解る・・という読書の喜びか。いや多分高坂は当時は助教授だったはずだ。
あの本を巻頭に引用するくらいなら、この著者の話は解るはず・・・
そのような共通の読書体験への信頼感が当初の敬遠気分を払拭してくれた。
で、やはりこの先生の話はよく理解できました。
・・・とこれで今回の書評は終了したい(^^♪
ところだが、そうもいくまい。
著者はもちろんヨメ風野次馬ではなく、国際問題、特に和平交渉の外交や国際支援の専門家・研究者である。
当初のこの手の分野への敬遠気分というのは”国際支援”とかいう分野は人道主義という一枚岩、一切の異論を許さない清廉潔白の論客・活動家の何となくウソくさいイメージを、まあ、失礼ながら先ず抱いてしまうからだろう。
紛争解決なんて机上で空論に耽る表向きだけ、口先だけの・・・とかなんとか(^^;
もちろん、そのレベルで書かれた本なら読む必要はない。
そのような一本調子のめでたい世界ではないのは現地に行けばいやでも解ることなのだ。著者は学者としてだけではなく、当事者として紛争地を歩き、考えたようだ。
「人間社会には、対立を好む者、敵を作り、敵を攻撃しないと気がすまない人間、自らが被害者意識に取り憑かれ、相手を許すことや過去を水に流すことができない人々がいる。(略)・・そのような人たちが、いなくなることはない。
(略)・・その嵐のなかでも、右肩上がりの経済成長によって、国民の不満を解消し続けるかぎり、和解は維持されていく。(略)・・だとすれば、アチェの和解の素顔は、経済成長と政治の調整力に支えたれたものといえる。」
恒久平和論とは観念主義内の机上の産物なのか。
未だに処方は一つではない。
むしろ絶えず状況に応じ最適な処方を恒久的に変更していくことが解決策の骨子かと。
(前立腺癌治療のレシピのようなモンか。)
「そのような真実・和解委員会や特別法廷の試みは、希望の星となり得たのであろうか。それとも煩悩の火に蒔をくべただけだったのか。」と本文が結ばれている。
本書でレポートされている”紛争地”だけ挙げておく。
1カンボジア
2南アフリカ
3インドネシア
4アチェ
5東ティモール
6スリランカ
7ボスニアヘルツェゴビナ
8キプロス
9ミャンマー
そうなのだ・・私が生きていた間でも、それだけの見たくない事実があり、死んでからも続いていくのだろう。
しかし、もちろん生きのいい現地で考える学者で、例えばカンボジアでは映画「キリングフィールド」の紹介等、本やメディアの参考書もふんだんに挙げてある。
”現地こぼれ話”的アネクドートコラムもサービスで。
例え独裁者側であろうと、どちらかが勝たないと第三国からの和解の提案は無駄、とか西欧諸国が支援することはウクライナの戦争を長引かせているだけ、とか、適当に勝手に引用して申し訳ないが、とにかく正義だけが和解の道ではないと。
「和解の障壁を効果的に取り除くためには、必ずしも民主制である必要はない。敵対していた勢力が、ともに生きていくことができれば、和解へのイバラの道は開けていく。」とはあとがきの結語。
とにかく実際に現地で歩きながら見聞し実際に考えたというのは充分理解できました。
その上で、南アフリカとボスニアヘルツェゴビナを歩いたヨメに紛争はアレで解決されていたのかと・・訊ねるだけ無駄だな(^^;
オーウェル1984風近未来社会SF。日本の作家にしてはかなりの長編。
巻末に参考文献で塩野七生「ローマ人の物語」を挙げてあり、共和制からディクタトールに至る流れ、特に「独裁官」という名称をソチラから仕入れました、という案内か。
SFとしては不老手術の医学的な根拠が無く、ソチラでまずこれは物語の前提条件でコレを飲まねば物語が始らないので、ちょいと躊躇したのだが、その割には細部のリアリティ、小道具がうまくこさえられているので信頼し、その条件を飲まさせていただきました。
この後に例の新型コロナVs事変がおき、人類全体がウィルスに感染し、社会全体が変化するというリアル世界の展開があり、少しだけ時代を先取した問題提起になっている。
さて、医学的不老不死手術が可能になった社会では一体何が生じるのか?
哲学的な死生観からの人間の考察もチラリと仄めかしているが、大部分はその禁断の技術を持った社会の構造の変化を創造する小説。
書法として場面の展開がかなり映画的、効果的に処理されていて、作家としての腕は確か。久しぶりに朝の小部屋の時間から拡大し、外出時にも本持参するくらいの吸引力はありました。
ネタバレ風にもう一つ参考文献をこちらで挙げれば、ウエルズの「宇宙戦争」。
人類規模のカタストロフへの苦悩と意外な結末。
楽しみました。
文章が多少うまいだけで、ごく普通のあたり障りのないホームドラマ風の連作短編ミステリ。地方行政機関の地方公務員の日常がそれなりに活写され、テレビドラマならこれで助演女優がそれなりなら30分くらいなら見てもいい、くらいの作。
という見極めがつたところで割愛・・・でも最近このようなごく軽いエンターティンメント小説には縁がなかったかも。ま、一応最後まで読ませていただいて・・
と思っていたら、最後の章の仕掛けが意外と意外性があり意外だった。
この作家はこういったごく普通の日常性の裏側に密かに仕掛けられた仕掛けの仕掛け方を仕掛ける作風でまんまと仕掛けられてしまった。
それは作家として書くべき作風があるということだ。
また読ませていただきます、縁があったら。