[読書控 2024 index]

〔読書控〕2024/01/31(水) 14:31

アダム・フランク「時間と宇宙のすべて」 水谷淳訳 早川書房 2012

ひところ量子力学に魅せられていたが、吸引力の正体は全く違った世界の法則を”現実”として理解し実感する時の眩暈のするような脳幹刺激だった。
この書は主として「時間」という現象を古代人の自然感覚から近代の労働時間、ラジオ放送が創り出した社会の同時性、通信衛星を利用したGPSの相対性理論補正、というような筋道を説いていく。しかし、やっと我々は自分達が「時間」として認識している通常の現象が、そのように本来的に普遍的で自明なものではなかったのだ、と気がつく。そして更に電波の伝達が宇宙背景輻射という時間の始りを示す理論実証的証拠となった時代を経過するに至る。しかしそれでも「時間」は確定できず、素粒子の存在位置は通常の連続した時間からは特定できず、更に我々の世界を構成してる量子はこの時間軸上では捉えることのできない存在であるという認識に至る。
著者は更にあるグループの物理学者、哲学者は「時間」という現象は我々の認識の中だけに存在し、本質的な物理としては存在していない、・・・というような説まで紹介していいる。

ひところハマっていた量子論の刺激とは、実はこの辺りの魔訶不思議な、虚と真実の区別がつかず、虚と真とが表裏一体となっているような認識法の身震いするような感覚だった。
ビッグバンとインフレーションから存在が開始したとする時間の起源の矛盾に対し、マルチバース論が有用な回答であるとする見方が主になっているらしいが、そもそも「時間」というものは「ない」とする考え方にはこれまでの「科学的真実」という手法がそもそも正しいものなのかという西欧科学始まって以来の懐疑が科学理論の場から出されているのだ。

『ひも理論は、多様な分野における深遠な数学的洞察をもたらしてきた。最終的にひも理論は、まったく新しい物理学の基礎であると証明され、実験による独自の裏付けを見出すかもしれない。それはわくわくするような進展になるだろう。見えない次元の存在が実験的に確認されれば、わたしたちの「宇宙」という概念の意味合いが劇的に拡大するだろう。しかし逆に、ひも理論は数学以上の何ものでもなく、知性的には豊かだが物理的には実体のない、相互に関連したアイデアの集合体でしかないことが、明らかになるかもしれない。多宇宙もわくわくするような可能性だ。もし実験結果や観測結果のなかにほかの宇宙の証拠が姿を現わせば、人類の宇宙論的想像力の扉が開かれ、真の宇宙の背景に対してわたしたち自身を位置づけるという人類の取り組みの、新たな一章が始るだろう。しかし、銀河の地図にもCMBにも、ほかのいかなるものにも、たった一つの別の宇宙の証拠さえも決して見つからないかもしれない。一世紀前のエーテルのように、多宇宙は、科学者が深く抱いていた願望以上のものではなかったことが、明らかになるかもしれない』

著者は宇宙物理学を教える教授であるが、この科学的宇宙論と文化的・哲学的宇宙論の双方への気配りが行き届き、また、現代の科学論はこのような哲学的・宗教を含む文化的思索をもういちど検証しなければならない根源的な懐疑の淵に差し掛かっているという自覚があるようだ。

なんという楽しい時代なのか?
阿頼耶識がこの宇宙を創り出したと喝破する古代インドの知恵が再び科学に取って代わる時だとすれば。


〔読書控〕2024/03/24(日) 00:24

木村伊量「私たちはどこから来たのか 私たちは何者か 私たちはどこへ行くのか」 ミネルヴァ書房 2021

副題:三酔人文明究極問答
著者も後書きで言うように、大それたタイトルと副題である。
そして著者の密かな自負はそれも宜なるかなとか。
いわば、現在における古今東西の知的遺産の総索引とでもいうような架空の論議がつづく。当然その議論は”どこに行くのか”という究極の、そして永遠に氷解しない問いで消えていく。
著者が示唆する気になる発言を補完する膨大な脚注と引用図書、人名索引が完備され、
読者にとっては非常に読みやすい、要領を得た簡便な知と智のエンサイクロペディアとして使えるだろう。
しかし、簡便といってもかなり分厚い本なのは確かだが。
政治記者から朝日新聞の社長(!)を努めた著者の経歴がこのような要領を得た出典完備の、しかも一般向きの全方向的架空議論の企画を孕ませたのか。

これだけの材料史的資料が駆使されていると、私がうろ覚えにしていたような故事とも遭遇し、それぞれの原典と完全な形を教示してくれることも数多く有益(^^♪
(「この世は夢よ、ただ狂え」は梁塵秘抄だったのか)

特に最新の量子論・マルチバース・ひも理論にも議論が拡がり、密かに荘子や瑜伽、阿頼耶識までが共鳴してくる宇宙観は私も同様な門外漢的に素朴だが、本質を点く直感(との自認)を抱いていたのを思い出しもした。

現在の米・仏等のポピュリズムが台頭してくる政治状況の分析で、民主主義の複雑で分かりにくい制度とコストに大衆がついていけない背景があるのを指摘する、というところはベテラン政治記者の面目躍如、だが元社長の読書は遥かに政治記者レベルで終わらない。ヒットラーは完全な共和制を実現したワイマール体制の申し子である、とか。

このような形で自分の知的体系を記すというのは発言者(ジャーナリスト)の究極のメッセージでもある。私もそのような書を物することを企図していたのでは無かったか?
いや、今となってはそれは望まない。
ただ、この本を読みながらしきりに、ビールかっ食らいながら一度はこのような議論を本当にやってみたいものだ、という願望と羨望を抱かさせてくれた。


〔読書控〕2024/04/23(火) 23:21

藤沢周平「藤沢周平全集16巻」文芸春秋 1992

収録:隠し剣(全)たそがれ清兵衛
書物より映画化された作品の方で見た回数の方が多いのかも。
安定した上質のエンターティンメント。
江戸期の東北地方と思われる小藩の下級武士の生活がそれこそ映画のように克明に再現され、テーマとは別に風俗考証的興味や文章そのものの味も捨てがたい。

しかし私が藤沢作品の評を今捏造する意味はまったくない。
巻末に収められた向井敏の「白刃一閃の爽快」と題するこの巻の解説が秀逸的確ですべてが語りつくされ何も付け加えることはない。
『従来の剣豪小説との肌合いの違いを読者に印象づけるのは、藩士としての彼らの日常の仔細が、またその哀感がきめこまかく写し取られているこであろう。』
もう一つ付け加えるなら、今回シリーズとして読んで気がついたのだが、特に隠し剣17編は「オール読物」に連載、ということで毎回必ず”濡れ場”がサービスされているのだった(^^♪
昔の連載剣豪小説の定番パターンかもな。
それが妙に突出せず、物語全体の中の必然的な一光景として何とか収まっているのが流石ということだ。


〔読書控〕2024/04/28(日) 14:06

島田雅彦「人類最年長」文芸春秋 2019

人を喰ったタイトル、結局明治から令和までの160年間の要領のいい日本の庶民風俗史を語るシカケだった。なるほど、如何にも小説家の手法。
そのようなおぜん立てが分かってくると、後は作家の語る近現代日本の風俗と政治観という中身をじっくり読ませていただくことになるのだが、これが結構面白かった。
一般普通に回想する各時代のへの懐旧の念もあるのだが、時折見せる関東大震災後の朝鮮人虐殺や軍事日本、政治政策への怒りが作家の生の主張をチラ見みせる。
いや、”生”ではないな、小説的脚色があるし。
小説的脚色では古くは高橋お伝、新しくは井深大とかの時の著名人との関わりを”史実と矛盾しない程度に”織り交ぜてあり、その辺りの小説的主人公と作家の虚実の取り混ぜ方が作りとして面白い。
読み方によってはSFでもあり、近代日本のアナル派的鳥瞰誌でもあり、飽かせず楽しい読書時間だった。


〔読書控〕2024/05/29(水) 12:30

和田純夫「量子力学の多世界解釈」講談社 BLUUE BACKS 2022


和田氏の多世界解釈については雑誌ニュートン等で度々お目にかかっている。この分野での啓蒙書著者としては随一の出版量ではないか?
この書は30年前に著した同シリーズの改定らしい。

もちろんSF的な、いや多分思考実験としてはどうしてもそちらに意識を奪われてしまう魅惑がある。そして永遠に分岐した(Decoherence)世界を確認できることはない、つまり永遠にそれが真実の世界であるという回答は得られないという究極のジレンマを提示する理論である。
そして30年経ってもわずかしか進んでいないのだが、しかし現代ではコチラの方がボーアのコペンハーゲン解釈より支持を得ている状況らしい。

私もできることなら多世界解釈をすっきりと納得したいわけだが、相変わらずすっきりとはいかないのは私の頭脳がそこまでの厳密な論証を確認検証するに足りないことがはっきりしているからなのだが(^^;
しかし、なんとかして、私はこの不可解な宇宙と世界とそして私を超克したいのだ。

何冊読んでも理解できないのだが、それでもこの理論の根底にある全く別の世界システムを理解したい、その好奇心が私の意味だと無理にでも自分で納得したいからか?


〔読書控〕2024/06/08(土) 20:24

吉村昭「死顔」新潮社 2006

著者の遺作にふさわしい短編集。兄弟の死、自身の死にまつわる自伝的あるいは随想的短編小説に、一遍明治期の資料小説「クレイスロット号遭難」が挟まれていたのが著者の作風を思い出させる。
兄のような派手さはないが、堅実で無駄のない文体で生真面目に資料を漁り、小説として日本の一時代の表情を語った実に真面目な作家だった。
津村節子の語る「後書きに代えて」にも生真面目に自分の死を表現した死に方を残し、見事な表現者の最後という感が伝えられ、静かに瞑目させられる。

この本の読書中に私も脳卒中の発作で病院に担ぎ込まれ・・・というのは演出に過ぎる(^^;・・実は救急車よりもご近所の救急病院に自分で歩いて行く方が早いので、自分で救急入院し、そのまま病院に2泊止め置かれ、いろいろ検査をされた。
結局後日、心臓の外科手術をすることになって着実に私も自分のゴールが見えてきた。実はもう一昨年から大枠は決定していたのだが、今回は脳や心臓とかいう直接ゴールに触れる部位が賞味期限切れと宣告され、今はただ医療で誤魔化して生存しているだけ、とかいう自分の生の実体をくっきりと認識させられるハメになったのだ。

心臓手術を宣告された検査出頭日に待合室で読もうと、読んでいたこの本を一度はサックに入れかけたのだが、病院で開けるにはちょいと差しさわりがあるタイトルなので、急遽イアン・スチュアート「数学を変えた14の偉大な問題」に差し替えたのだった。
フェルマーの予想が360年後に定理となった数学史のビッグイベントが印象深く、ちょいと純粋数学の問題に入れ込もうかな・とか思って読み始めたのだが、とてもやないが、現在の私の頭では無理、それゆえもう私の生涯ではとても理解する時間はないのが確実な純粋思考論理に関する書物だった。故途中放棄・・・因って、読了本の項目には入れられないが、この書評の関連でここに付記しておく、というわけだ(^^;

追記) 吉村昭の著書をこの読書控の著者名索引で確認してみた。
私が一番強く印象に残っている作品は「ふぉん・しーほるとの娘」だったのだが、意外にも私のリストには記載されていなかった。 上下二巻だったことも覚えているので、読んだのは間違いない・・・
私の膨大な読書録文字をGREPで検索し、やっと事情が判明。
単に、この読書控を克明に文字化する以前の1993年以前の読書だったようだ。

ちなみに著者名索引(Authors’List)で「吉村昭」を出してみるとこの「死顔」が10冊目。
一冊目が「白い航跡」で、その記述中に『フォン・シーボルトの娘』(ママ)を引用していた。
この初期の私の読書控の記述はまったく簡単な記録で、とても書評といえるものではない。
思えばこの30年、私は必ず読んだ本の記録は残していたのだった。
そして、ネットに自分のサイトを運用してからはかなりの量の記載をすることにもなり、ある時期には本を題材にし、それについて書くということが私の自己表現の核になっていた。
そして、「書く」ということが私の生活を精神面で支えていたことも確かにあったのだ。

この記述、吉村昭「死顔」で自動カウントの数値が 2024/06/08 現在 1500件 となっていた。
この30年で1500の書物の書評を書いたということだ。
本を読むことは易いことだが、本について書くことはそこまで易いことではない。
自分だけにしか意味のない記録だが、私がこの30年生きてきたことの確認くらいにはなるだろう。


〔読書控〕2024/08/24(土) 20:53

ウンベルト・エーコ 「プラハの墓地」橋本勝雄訳 東京創元社 2016

この一冊を読了するのに三ヶ月・・か。
もう私には読む気力がない、と思っていたエーコの長編だった。
いわゆる衒学趣味の最たる書き手の今回の舞台は19世紀のヨーロッパ、パリである。
やはり、あまり面白くないな、とか思いつつ、そのまま三ヶ月もだらだらと。

実に図太い悪漢小説、というよりピカレスク小説と書く方が雰囲気だが、主人公が偽書作成人であり、更にエーコ自身がこの偽書を作成しているという二重の偽書構造。
更に主人公が2重人格者で、自身とそのドッペルが日記でやり取りしているという凝った構成・・・
そういうのに付き合う気力は元より無かったのだ。

しかし、微かにヨーロッパ史に興味がなくもないコチラとしては、頁を繰る度に水面下の地下近代史の闇の一条の逆光にチラリと浮かび上がってくる本当の姿らしきものを見てみたくもあり・・・いつしか三ヶ月も付き合うハメになっていた。

このピエモンテ人はガリバルディ将軍の動静を探るスパイとして従軍し「キャプテン」と呼ばれ、イタリア共和国成立直前にパリに密かに亡命、以降ヨーロッパ史の裏で、時の権力者、仏・独政府であり、教会であり、時にはロシア関係から内密の依頼を受け、パリコミューン、普仏戦争以後のヨーロッパ社会政治を動かす裏工作文書を捏造していくことになる。
表面的にはドレフィス大尉をスパイ容疑で逮捕させる証拠文書を作成するのが最後の仕事だったか?
ドレフィスはユダヤ人で、これはいわゆる”ユダヤの世界征服陰謀説”を流布させる教会や政府の密かな目論みを担当する部署からの裏金仕事だが、主人公自身も祖父から聞かされたヨーロッパ近代の闇に捉われていた前提がある。
この魏文書作家がライフワークと自負するのが「プラハの墓地」でアンティクリストへのおどろおどろしい儀式が行われているという当時のヨーロッパ人の不安の根源に関わる偽文書だった。

ちなみにドレフィスはアルザス人で、元よりフランス中央から見ればそれだけでプロシアのスパイの疑いは時の世間に当然のごとく受け入れられる下地はあった。
そして当時のパリの表の華やかさと裏で暗躍するテロ、スパイ、各国の思惑が、オスマン男爵の整備した地下道の奥深く流れているのだ。

もちろん、主人公の二重人格にはフロイド医師も抜け目なく関わっている。
19世紀末のパリである。デュマもゾラもプルーストまで関わらせ、エーコの作家としての偽文作りは時の人と気分を絡ませ、虚実入り乱れ・・もっともらしい。
パリの裏側で繰り広げられる怪しげな黒ミサの裸の巫女、パナマ運河で消えた裏金の闇に蠢く権謀術数・・この時のパリが近代の世界そのものだったのだ。

エーコは「主人公を除き、文中の人名はすべて実在した人物である」としゃぁしゃぁと述べ、しかし、「主人公も多くの無数の実在の人物を合成した人物と言える」と付け加える。
正に虚実の狭間で想像力で遊び、いつの間にか読者の実際の史観に入り込み、遊びとしての偽文がいつしか読者における正史に取って代わるような文学世界、それが小説家が持つ現実に及ぼす力である。
ネット上の偽書が世界を動かす現在へのエーコによる警鐘として。
とすれば、読者としては主人公の捏造する偽書・エーコの捏造する小説・現在世界が裏から操られているフェイクニュースという三重構造を見つめざるを得なくなる。

パリ、ドレフィスのアルザス、そしてプラハ。
近代ヨーロッパが形成され現代史となる時点での社会、もちろん、共産主義という亡霊が歩き回る前夜でもある特異点としてのパリ。
嘗て暮らしていたアルザス。
生涯の最後に訪れた異国の町はカフカを産んだゴーレムが未だ地下から支配していたプラハだった。
このタイトルを見た時から私はすでに、この巧妙な偽書に魅入られていたのかも知れない。

橋本勝男の見事な訳業に脱帽したことも付記しておく。
”セーヌ川で元の依頼者が釣りでもしているんだろう”という日本語に(a la ligne)とフランス語のルビを降っておき、後の頁ではセーヌの岸辺で死体の「列に入っていた」と落とすような訳者の言葉遊びが随所にあり、これもエーコの衒学趣味の見事な小道具になっていた。


〔読書控〕2024/09/08(日) 19:42

デニス・E・ティラー「われらはレギオン1」金子浩訳 早川書房 2018

前項の重い読書からの反動で高速宇宙船のように軽そうなSFを探した。
最近のSFは時折試すのだが、殆どがハズレ。
若い頃に熱中したヴォクトの「宇宙船ビューグル号の冒険」やクラークの「2001スペースオデッセイ」のような科学や哲学的思考実験を目論んだ”本格”SFにはもう当たることはない。
2001は廃れ、スターウォーズが風靡する世界になったのだ。
しかし、スターウォーズも嫌いではないのは事実だが(^^♪
今回選択したのは少々スターウォーズ系クラシックへのオマージュを前面に出しているが、そうばかばかしくもない程度に当方のイマジネーションをくすぐる適度な硬度はある。
主人公は3Dプリンタで原子レベルで複製された人物の100年後のレプリカント(クローン)。
いわば人格を持つが能力は量子コンピューター並みという新手の万能ヒーローを登場させ、しかしこのヒーローも自分で自分を無限に複製し、その集合体が副題の”AI探査機集合体”というようななかなか美味しそうなおでん建て。
この自分自身のレプリカがそれぞれ自分自身というアイデンティティを持ち、しかもわずかに複製時の条件で性格が違ってくる。
全てのレプリカは自分は自分であり、しかも他者も自分でもあるという複雑で目が眩みそうなアイデンティティの問題をサラリとスペースオペラに乗っけて飛ばせてしまうのだ。
細部にはオタク系ならすぐソレと分かる小道具が満載され、なかなかの語り手で何時までも読めてしまうのだが・・・
しかし、今の私は主観的にはソコまでヒマではない。
どうやらこのシリーズ早川SF文庫で5冊あるようだ。
大体の感触を掴んだところで、なかなか有望な作と記録して今回はこの巻まで、後は保留とする。


〔読書控〕2024/09/21(土) 11:19

ザック・ジョーダン「最終人類(上・下)」中原尚哉(訳) 早川書房 2021

SF続きだが、これは最後まで読ませてくれた。

何ともプロット細部が矛盾に満ちた粗い造りだが、最後まで読ませるアイデアはあった。何百億年も先の宇宙の各種族・各AI人、各精神集合体の世界にただ一人反抗する最後の人類の話。
この舞台建ての想定年代が最近のSFの中では最遠、その最遠未来の生命やAIの進化宇宙社会の描写が破格なので先ず興味をもたせてくれた。
ただし、安物テレビ映画の何とか星人のごとく、縫いぐるみの中はただのスタッフ、それも現代英語圏の普通の方が透けて見える。それがこの作者の限界とは直ぐ分かってしまうのだが。

この宇宙的規模の社会の構造が各種族の知能レベル階級に応じて権利・義務を果たし、全体が大きなネットワークの中で安定した世界を運営。しかしこのネットワーク事態もいわば最高の知的レベル人格を持ち、絶対者として統治している。
ここでオーウェルのザ・ビッグブラザーを想起させ、大体の物語の仕掛けが見えてくる。各種族の描写は安直なハリボテ気味だが、種全体が宇宙船そのものに進化した形態とか、実体は消滅したた精神集合体として存続しているとか、その限りの色とりどりのコスチュームで現れ一応は飽きさせない。
この階層社会で絶滅した人類は第2階層、その上の第3階層くらいまでは知的に認識できるのだが、第4階層となるとバクテリアが人間を認識できるのか等の比較を出して圧倒的な存在としての階層定義をしている。
そして階層は5から7も存在するらしい・・・とか、現在の学歴社会のような価値観が歴然と支配し、主人公は故あってこの階層を2から5くらいまで昇っていく・・・らしい。

しかし、どうしても西欧人の進化感(科学的・知的進化が唯一の方向性)が想像力に限界を与えている感が否めず、私ならまったく別種の種族をでっち上げられるのに・・との忸怩たる思いも抱く。
⇒私はまだこの分野で一冊の著作も物していないのだ。私にしか創造できない分野がある。とか(^^;

下巻に入り物語が突然妙に疑似哲学的に展開する。
ここでこのネットワーク(神)とオブザーバー類(悪魔)、いやどちらがどちらかなのかは作者が捻くり回すので最後までわからんのだが・・・その善悪の陣営の抗争のハナシになっていく。
このオブザーバーは当然人類に2001年に火を与えた非ネットワーク化種族で、主人公は当然のごとくビッグブラザーのネットワークに反抗し、オブザーバーの意図どおりネットワークの反乱者となるのだが・・
しかし、作者はまだ続編を書く気なので物語は混沌としたまま・・・

この2001の石板を置いた存在を示唆した時点で、まったく素人の作らしいが私は読みたかった本格SFを掘り当てた気がしてうれしかったのだった(^^;

いや、やはり私がこの世の最後でなにか企むとすればソコなのだ。
⇒私にはまだやることがある!
と示唆してくれたこの作に感謝。

final UPdate 2024/09/21