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[団塊の段階的生活] |
おじいちゃん試験準備講座(1) |
2008/10/9(木) 午前 11:51 |
序論) もちろん「おじいちゃんになる練習」と私が言うのは、自分の死に向かって軟着陸するための肉体的・ 精神的な準備をするということのおふざけなんだけど、分かってくれてるよね? 人間の一生を簡単にマトメるとこうなる: 誕生(0) → 成長 → 生殖と絶頂(30) → 衰退 → 死(60) 注:括弧の数字は年齢の期待値。 古来からのDNAのプログラムではそういうハズだったんだけど、諸事情により現在20年ほどずれてしまっている人が大半。 単に環境的な誤差範囲内でズレてるだけなんだけど、60になっても終り方を考えない人が増えている。 長い間宗教が「死に方マニュアル」だったのだが、どうも忘れちゃった人が多く、どうやって死んだらいいのかよく解らんのではないか。 だからわざわざ勉強し、準備する必要があるのだ。 死に方がわからんし、できるだけ考えまいとする人が多いのは、拡大成長モデル以外の考え方にはわれわれ慣れていないからでしょう。 これは20世紀に生きてきた人間にとっては当然の感じ方だ。 死とか衰退とかの縮小モデルには馴染みがないので、以前の拡大成長モデルをできるだけひっぱり、自分に適応し続けようとするのである。 拡大成長モデルを崩さないためには「若さ」ということが欠かせない。 富と健康を維持し、自分の若さを自分にアピールし続ける必要がある。 せっせとジムに通い、身体にいいという何とかエキスを通信販売で購入し、アンチエイジング化粧品を試し、脳力開発ドリルを一日一課題やり、というヤツですね。 私だってプールで密かに体力を誇ったり、大和郡山城ホールで大声を発したり、BMWのバイク見せびらかしたりして「力」の自己顕示するの、実は大好き(^^; けど、力の衰えが心理的ストレスには全くなってないもんね。 生物学的にはもともと無理してるっての、お勉強してわかってるもんね。 自分の「力」のメンテナンスもいいけど、ちゃんと「おじいちゃんになる練習」もしときましょう。 確実にソコに来ている自分の老醜ぶりが楽しみになりまっせ。 |
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