老検実力養成実践 退院記念初タンデ..
[団塊の段階的生活]

老検実力養成課外レポート 「闘病記2」

2008/11/12(水) 午後 4:09
実は有無を言わせず緊急入院ということになってしまったので、自分の病気について調べるスキがなかった。
後で調べると、慢性硬膜下血腫って比較的単純な頭蓋骨内の出血で、手術すれば劇的に改善するとある。
また、唯一の完治する痴呆であるとの記載もあった。

うむ、それでは私が経験したのは実に得がたい「痴呆」体験だったのか(^^/

今後本格的な痴呆に突入した時、この予習が生きてくるのだ。
何事も予習しておけば、いざという時、あわておののくことはない。
何と私は真面目で勤勉な人生の生徒であることか。うははは。

おかげさまで術後の経過はしごく順調。麻痺・痴呆の症状は劇的に完治。
手術でアタマに穴が開いているので、まだしばらくは入院生活がつづくが、
施術翌日から外出許可をもらい、私用をかたづけさせていただいている。

しかし、楽観は禁物。
現在、血腫を除去した状態だが、実は出血の原因が除去されたワケではない。
場合によってはまた数ヶ月後、再手術という悲惨なことになる。
何事もそう甘くはない。この辺の覚悟もしておいて、今後のイマシメとする。はいな。

さて、手術後一週間、昨日抜糸。
もう点滴はなく昨日より外泊許可も出ている。
午前中の傷口ガーゼ交換の時さえ病室にいればよいだけの「入院」生活。

病院が比較的自宅に近く、散歩程度の距離なので、実際は「通院」状態に限りなくちかい。
3食とも自宅で済ましてもかまわないのだが、ヨメと相談し、食事は病院で、と決めた。
外出自由といっても、アタマに包帯をターバン状態で巻きつけたママなので、
あまりスーパー等をうろつきたくはない。

なにより、この病院の食事が予想外においしいのだ。

「病院食」というと
 (1)量が少ない、
 (2)味がない、
 (3)プレゼンテーションがみすぼらしい、
というのがこれまでのイメージ。

今回三食をいただき、認識を新たにした。
「量」とプレゼンテーションはさておき、各献立が意外と工夫されていてしっかりした味付けが
なされている。ご飯も実においしく炊けている。

はっきりいうと、今まで自分で料理してきた食事より数等ランクが上でございます。
それで一食260円。病院やめて定食専門の食堂に鞍がえしても、絶対ひいきにするからね。

ここで、逆にそれほど我が家の「料理」がマズいのだということが発覚してしまう。
もともと、私は量さえあれば大満足の最下等グルマンである。
味、プレゼンテーションは単なるオマケ、どうでもいいオプションにすぎない。

問題は病院食の「量」だが、「この際ダイエットしたら?」とヨメに言われてしまう。

というわけで朝食だけは自宅で済ますが、朝出勤し昼まで病室のベッドですごし、
昼食をいただいてから自宅に帰る。
夕食時になると、またぞや病院のベッドに戻り、食事のサービスを受けてから外泊許可
願いを出して自宅に戻って寝る、というのが実体「入院生活」。

病院食、家まで出前してくれんのかいなぁ。(^^;

病室では私のベッドがあり、電動ベッドの上部を起こし、背もたれにして布団の上に座って
持ち込んだCDをヘッドフォーンで聞きながら久しぶりに読書にイソシむ。←漢字わからん。

たまたま私のベッドは窓際にあり、三方のカーテンを閉め切り個室状態にすれば、
メシ付の光あふれる快適読書環境になる。

自宅では、契約しているインターネット配信「ひかりテレビ」の海外ドラマシリーズをすぐ見てしまい、トイレでしか読書をしないという状態だった。
そいう本を「ウン庫本」と称することは前にも書いた。

宮城谷昌光「風は山河より」5巻本。
この作者初めての日本史材題もの。
系図がヤヤこしく、じっくり読み込まねばアタマに入らない。
たまたまの選択だったが、こういうベッドの上でヒマな時間を過ごす「闘病生活」でなければ読めない本である。

実を言うと、第一巻を読み始めたのは入院前だった。
この時は痴呆状態だったので、全く固有名詞がアタマに入らなかったのである。

この作者の中国史ものには親しんでいて、新作が出るのを楽しみにしていたのだが。
今回はどうもいけない。
中国古典を彷彿とさせる簡潔で凝縮した表現が、日本中世のややこしい系図、
ころころと変わる姓・名・官職名、おまけに通称でも引用されるという複雑さに
埋もれてしまっている。
それでも第一巻の最後の方まで読み進んだとき、手術になった。

術後、もう一度最初から読み直した。

ああ、そういうことだったのか。
痴呆状態では各場面は読めていたのだが、その人物の係累が全くわかっていなかった。
だから、小説全体のふくらみが全く読めていなかった。

恐ろしいほどの重層的構成を企画している小説である。
そろそろこの人、ライフワークにとりかかり、小説家としてのマトメに入ったのだろう。

自宅以外に自分のベッドがあり、音楽を聴きながら読書に没頭できる環境があるのは
実にありがたい。
本人が痛くも苦しくもないんだから、この「入院生活」による生活環境の組み換えは、今は乗れないバイクに代わって私の日常に多少の変化を付け足してくれる。

急に寒くなったので、大半の時間は一人で暮らしている自宅はいかにも寒々しい。
それより暖房の効いた、私用の万年床のある病院で過ごす方がラクちんだ。

誰もいない深夜の病棟をウロウロ探索するのも楽しい。
この病院、老人施設も併設しているので、外来受付以外にも今日の新聞よんだり、
ハイビジョンテレビを見ることができる場所もある。

昼間は人があふれている外来診療室が並んでいる前の廊下のベンチは、
そこだけ照明が明るく周辺が薄暗く、静かで温かみのある空間に化ける。

つまり私好みの「胎内回帰」風の穴倉になるというわけだ。
この空間でじっとり一晩を過ごす愉悦は、自閉癖がある人にしかわからんだろう。むひひひ。

外泊許可が出ても、このまま病室で夜も暮らすことを真剣に考えたりする。
ましかし、大部屋なので他の人の気配があり、他の人に私の気配を感じさせない
配慮は必要。
で、当分「通院」で入院生活を続けることとする。

一日に2回往復しているが、そのうち一回は50ccスクータを使用させていただく。
頭の包帯でヘルメットは被れない。
裏道横町伝いなので道路交通法でいう道路にはなってないだろう、と勝手に法の柔軟な運用をさせていただく。

本当をいうと、痴呆をやっていた時、ヘルメットを被っていないことも最後まで完全に
気がつかないでスクーターに乗っていたことがあった。
これがヒントになった。

一旦痴呆になれば、ナンだって可能なのだよ。ホケれば勝ちだい。むははは。

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