須賀敦子の彷徨 お知らせ ..
[団塊の段階的生活]

奈良公園を散歩し、人に酔う (注:あまり面白くない^^;)

2009/1/26(月) 午後 7:46
この週末はおかしな天気だった。

朝は晴れているので、さあ行こうと気合を入れて寒気の中を歩き出す。
私はプール(8:30〜)へ、ヨメは西友食料品売り場(24Hオープン)へ。

しかし、10時に帰るころには雪が舞っていて、近所の空き地にはうっすりと積もっていたりする。
雪はすぐ止んだので、昼から何とかバイクで出かけようとする。
とにかく一番寒い季節なので大騒ぎして防寒具を着込む。

前回のバイクの記事に「皮のライダーパンツ」を物色中と書いたところ、どこからか「皮のつなぎ」
一式の寄贈を受けた。世の中には奇特な人がいるモンだ。

しかし、クシタニ製の特注はやはりサイズが微妙に合わず、つなぎの上はヨメのパッセンジャー服に。
まあ、皮のライダージャケットは思っていたほどには防寒性がなく、返ってカワの感触は厳冬期には冷たいということなので、同時に寄贈していただいたオーバーパンツを厳冬期には着用することにした。
で、寒さ対策は万全なのだが、といって、雪のちらつく中を走り出そうとは思わないのは当然。
装備を着込んで、さてバイクを出そうとするとまた雪がちらつきだす。

「しゃーないから、もう一回このまま西友に行く?」バイクを残念。
「そりゃあアンマリ、ナ・ン・やから、登美が丘のジャスコにでも行くかぁ」バイク案浮上。
行きつ戻りつの末やっとバイクにまたがる。

すると、急に天気が変わり、日が射してくる。
「ありゃ・・」
「途中にどこかいいとこ、ないん?」
「この方向だと、奈良公園しか・・」

で、しかの奈良公園に再び到着。
昨日の土曜には若草山の山焼きがあり、枯れ木が黒く焼けている。
その後、いつものように奈良公園を一周、国立博物館無料エリア、奥村記念館(ツーリストインフォメーション)屋上等を経由し、夕刻まで過ごし、登美が丘のジャスコに行った。
実は昨日も中途半端な天気だったので、所用前に結局バイクで奈良公園に来たのだった。
昨日の夕方の若草山の山焼きで、お巡りさんが大勢出て通行制限があり、いつもの東大寺参道角のバイク駐輪場(非公認)へは入れなかった。

探して、奈良ホテルの駐車場にバイクを置く。
このホテルでは開館100周年の記念展示があり、アインシュタインも弾いたという古いピアノ等を見学。

ホテル本館の設計には辰野金吾もかんでいて、明治の代表的な和洋折衷様式の建物である。
古い手すりのある階段を上がって、古色蒼然とした木造のロビーのソファーで休憩していると、100年の深い落ち着きに包まれる。
しかし、この奈良の代表的クラシックホテルの格式をじっくり楽しむというには、私は明らかに格不足である。

ゆっくり座っていると徘徊しているホテルの従業員に見咎められるような気がして、なんとなく
落ち着かないのだ。
まあいわば、私はジャスコのイオンラウンジ程度の品格、とでも(笑)。
志賀直哉の奈良の居宅はすぐ近くにある。

この人の「小僧の神様」のことを、こういう場所ではいつも思い出す。
小僧(商店の使い走り)が思い切ってすし屋に入るという小説だ。

入ったはいいが、とった寿司の値段を聞きすごすごと寿司を戻し店を出ていく。
そのときい合わせた客の誰かが見かね、ふとした出来心で寿司を小僧におごるということをする。
世の中には奇特な人物もいる。それが「小僧の神様」というわけだ。

こんなもの、どこが面白いんじゃ!というド級自然主義小説。

小説では、おごった客の自意識の呵責がメインテーマだが、私にはこの小僧の、
場違いなところに来てしまった、という困惑の場面が痛いほど身にしみるのである。
しかし、もう現役を退いて人生もそろそろマトメに入ってしまっている私が、あいかわらず
場違いな世界に困惑してしまうのは、小僧よりもチトしまつが悪い。

昨日・土曜に奈良公園に行ったのは若草山の山焼きを見るためでも、奈良ホテルの
アインシュタインのピアノを見るためでもない。

合唱団の練習の見学に行ったのだった。

実は昨年から私はご近所の合唱団(平日練習日)に参加し、ヨメはヨメで勤め先のある
大阪で「一万人の第九」の練習に参加していた。

ちなみに水泳は、私は近くのスイミングスクール、ヨメは大阪のスポーツジムの会員で、一緒にプールに行くことはない。
昨年、ヨメはバイクの教習をはじめたが、教習所でコケて骨を痛めてしまったりして、二台のバイクでのツーリングもしばらく出来そうにない。
せめて一緒にいける合唱団はないか、と週末が練習日の合唱団を見学に行ったのだ。
午後6時、若草山の山焼きの景気づけの花火を聞きながらヨメと練習会場に行く。

私は10年前にこの合唱団に参加していたので、さっそく顔見知りに合う。
10年前に一緒に歌った人達や、あろうことか最近加入したご近所合唱団のメンバーもいる。
近況報告、「やあ、やあ、久しぶり」と手を挙げての合図のやりとり。

現在でも変わらず指導を続けてらっしゃった旧知の指導者の先生にも会い、ちょいと挨拶。
練習中に「Hemiさんも帰ってきたことだし・・」と名前を呼ばれてしまったりする。
あの、見学に来たので復帰したワケじゃぁ・・
私の方は10年前に初老性鬱とでもいうような状態に陥り、合唱団というような多人数の集団から突然姿を消すというハメになってしまった。
同時に本業の方でもリストラ転職失業派遣等有為変転を繰り返し、落ち着きがない時期だった。
あれから10年。現役をやっと退くことができ困難な時代をなんとかクリア。
昨年あたりから別の合唱団で歌うこということも復活できた。
もういいだろう。と、思ってた。

会費は安い方。しかし、夫婦二人で参加すると夏・冬の演奏会のチケット代負担がバカにならない。
二回ともオーケストラを雇う形式の合唱団なので、最低の負担は必要不可欠である。
残念ながら、われわれの趣味活動費予算を大きく上回ってしまう。

帰宅して「やっぱり参加はちょいとムリか」と二人で結論する。
「一人でも行ったら?」とヨメは言うが、それなら近所の合唱団でこと足りている。

夜、どうしても眠れなかった。
目を閉じると、先ほど会ったメンバーの顔が次々浮かんできて、妄想での応対が忙しい。
しばらくするとその日には会ってない、10年前のメンバーまでこんな夜中に関わらず来てくれる。

殆ど人に会うことはない生活である。
それが急に一ダースもの旧知に、一度に会ってしまった。
神経が興奮している上に、せっかく以前の仲間に再会したのに、やはり今回も消えてしまうのか、申し訳ない、という軽い自責や、悔やみの念がべったりとくっついてきて離れない。
個々の人から私を見れば、「久しぶりにHemiに会った」というだけなのだが、私の方は
「どう見られたのか」とか、「あの人にはもう少し丁寧に挨拶した方が」とか、
なんだとか、かんだとかの反省がひっきりなしに沸いてくる。

日常での対人関係で引き起こされる自分の感情処理がうまく出来ない人である。
要するに、自己顕示欲とその反省がぐちゃぐちゃになってしまって自滅してしまうのだ。

困ったモンだよ。
他人に対して、どうしても自然体になれない因果な性格。

奈良ホテルのロビーで感じるような場違いな自分という意識が先ずあり、どうにかしてそれを
取り繕おうというアクションが、どうしても自己顕示的に出てしまう。
ヘタな道化であったり、演技過剰のセリフであったり。

場違いなすし屋に入った小僧のように、いたたまれない羞恥を抱いたまま立ちすくむなら、
憐憫する神もいるというものだが、自分で何とか処理しようとするのでもう誰にも救えない。

眠ろうとしてもナマナマしい過去の羞恥の念がチクチク刺しにきて、寝付けない。
あまり日頃人に会ってないのに、3人以上の人に一度に会ってしまった。
人に悪酔。mal de monde...

ベンチに座って「伝六のピーナッツチョコレート」を食べていると、強引な鹿にのしかかられる。

こういう私でも「鹿の神様」くらいなら出来るのかも。


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