私説天理物語 パリで所用を済ま..
[団塊の段階的生活]

天神祭の夜

2009/7/27(月) 午前 11:08
土曜日夕方、阪神高速を扇町で降り、やけに渋滞している新御堂筋の角を曲がるとお巡りさんが出て、通行規制をしている。
天神祭の行列が通るらしい。

のろのろ運転は不得意なので赤バイクを降り、西天満のアジトまで交通規制区域の中を押していく。
後でこの辻からぞろぞろ出てくる、そろいの浴衣がけのコドモ・オトナ・ウシ・ウマの行列をヨメ
と観察。

「神事にしては歩き方がだらしない」と文句をつけつつ、「じゃ、天神祭見に行く?」で衆議一致。
実はヨメも私も大阪市民生活40年以上のキャリアがあるのに天神祭りを見に行ったことは一度もない。

50ccバイクとママチャリに乗り換え、南森町→天神橋筋へ。
甘かった。大変な人出。
50ccバイクを無法駐輪中の自転車の群れの中に何とか押し込もうとしていたら、ヨメは自転車で先に行ってしまい、早速迷子となった。

天神橋筋で何とか二人で人の流れをかきわけ、ヤキソバ・お好みを食べ、天満宮へ。
辺り一帯、千の屋台に万の人々。

ヨメが臨時雇いのガードマン氏に観光のヒントを聞きだそうとする。
「天神祭って、何が有名なんですか?」「さ?」と困惑するガ氏。
「名前が一番有名なんじゃ?」との私の助け舟に、ホッとしたように同意するガ氏。

宮入の輿の中央アジア風ユニフォームのドラマー達にしばらくくっついて歩き、多少はしゃいで屋台の買い食い。
焼き鳥串、CCレモン、鈴やき試供品、油ぎとぎと鶏かわやきとか。


夏の夜の祭は、遠くの花火のようにどこかウソくさい。
日々の生活からスポットライトで切り離されたはずのハレ場から、周囲の暑苦しい夜の町の気配が透けて見える。
幸せ家族やかけがえのない二人風の演出をことさら過剰にし、はしゃぎ、すべてを忘れる。

長い間、そのような家族の宴からあまりにも遠い場所で暮らしていた。
下町で棲息しながら、お祭りに行くという気分とは何の関りもない独居を続けていた。

数年前、夜のバンコクの町を歩いていたら、子供の頃に父に連れられて行った難波近くの今宮えびす祭を思い出した。
祭そのものではなくて、帰り道の暑苦しい町筋と、いつまでも開いている裸電球に照らされた小汚い商店。
うんざりする大阪下町の生活臭だったか。
それをバンコクで思い出した。

ヨメと天神祭に来て、多少はしゃいでいる自分が本当のことでないような思いがある。
実はもう既に死んでしまった自分が見ている、果ての無い夢なのではないかと。

バイクに乗るようになって、事故に遭うイメージを毎日意識するようになった。
いつか私は事故で死ぬだろう、という思いは既に親しい。
それどころか、本当はもう死んでいるのかも知れないとも思ったりする。

大体、バイクで夜の阪神高速13号線を疾走している自分なんて思いもしなかった。
屋根裏に棲息し、ひたすら非現実の妄想を食べているだけの黒川健吉が車、ましてバイクなぞ乗り回すという考えを胚胎するなんてことがあるわけは無い。
しかも妻帯までしている、とは。
高速道路で大阪に行き、ヨメと天神祭の屋台で鶏かわやきを食べている現在の帰結は、自分の過去からの因果関係がきっちり成立しているとは思えない。

並行宇宙・多元宇宙の因果の網目がどこかでもつれ、確かに自分には違いないのだが、しかし、別の人生の帰結に横すべりしてしまったのだ。

私はあのとき死んだに違いない。

そのとき、私の意識は、もうひとつ他の因果から派生した並行する宇宙の別の
私の人生に飛んでしまい、そのまま夢を見つづけているのだろう。

夏の祭の夜は、どこかがウソくさい。
真夏の夜には生者が現実から離れ、死者とどこかで交差するらしいのだ。

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