年末年始ハハオヤ 怒りと涙のオット..
[団塊の段階的生活]

怒りと涙のオットケーキ(1)

2014/1/7(火) 午後 2:48
(1)「でたらめ通訳」タムサンカ・ヤンキー
あまり地上波テレビをみないのだが、年末にヨメの実家でたまたま見る機会があり、朝のニューズショウで昨年の話題としてマンデラ氏の追悼イベントでのでたらめ手話通訳が話題になっていた。
 
真相は未だ不明らいしのだが、どうも本人はいたって本気、というか真面目にやっていたようである。
見ていて私は即座にこのタムサンカ氏とは私のことだと気が付いてしまった。
私も一時期フランス語通訳を名乗り、同じようなでたらめをやって・・というのではない。(私はお上公認の免状を持ってる。私が悪いというならお上に言いいなさい。)
その通訳の話ではなく、もう一つの私のずさんな職業経歴であるプロのミュージシャン時代のことだ。
 
数か月「電子オルガン講師養成講座」というものに通い、講師資格をいただき、音楽教室講師・夜のクラブ演奏稼業を2年ほどやったことがあるのだ。
 
楽譜は読めた。そして市販の電子オルガン用の三段楽譜が弾けた。
だからまんざらあのタムサンカ氏と同様のでたらめをやってたワケではないのだが。
しかし、今の私はよく自分のことが分かっている。
あの頃、私は音楽演奏というものが全く分かってなかった。
「ただ譜面を弾いている」だけだったのだ。
 
当時、電子オルガン(エレクトーン)はある種のブームだった。
夜の町では、流しのギター弾きが消え、電子オルガンを置くのが流行りでもあった。
夜の店では楽器会社から電子オルガンを買い、ついでに演奏者を紹介してもらってBGMをやらせていた。
私もそうやってナントカ楽器から紹介され、夜の町でプロの演奏者をしていたのである。
私は高校生レベルのクラシック音楽フアンであったが、ポピュラー・ジャズ・歌謡曲系の「軽音楽」は全く知らなかった。
だから、市販の「世界ポピュラー名曲集」、俗に「1001曲」とかいうメロディとコードだけ書いてある譜面を持ち歩き、ただ適当に弾いていただけだった。
 
で、当時はそれでも良かったのだ。
電子オルガンの3段楽譜さえ読めれば講師になれ、足鍵盤さえ踏めればプロの演奏家になれたのである。
それに暗譜で弾くより、楽譜を見て弾く方がより感心されたりしたものだ。
「えぇ?楽譜よめるの!」とか。
 
私は何もわからず、ただ教本通り「ぶんちゃ、ぶんちゃ」と足鍵盤で根音と5音を踏み、左手でコードを掴み、右手で書いてあるメロディを弾いていただけだった。
で、大阪西区のJonction5という飲み屋の方でも演奏なんでどうでもよく、何かが鳴ってればそれで間が持っていると思っていたのだろう。
今から思えば、たまにマイクを持って自分で歌おうという客がいると、私に曲名を告げしばらく私の弾く前奏を聞き、「あ、伴奏はなくてもいいす」とアカペラで歌うというケースが多かった。
 
しかし、楽器会社の方では夜の店にも紹介しやすい希少な男性奏者でもあったので、楽器の店への販促演奏によく連れて行かれた。
私も1,2曲くらいは複雑な3段楽譜の曲を暗譜していたのである。
その演奏だけを聞いた店のオーナーに「あんな先生に来てもらうにはギャラどのくらい要るの?」と聞かれたとか同行する楽器店の営業マンに教えられたりする。
 
要するに、私は「そんなもんでいいんだ」と自分で思い込んでいたのだ。
何もわからん素人に「うまい」と言われ、自分では演奏の何たるかが何もわかっていないのにオレはうまいんだ、と思い込んでしまう。
この世の実生活の大半はそのような生半可な職業的素人とど素人購入者で占められている世界のようだ。
しかし、「決してこんなことではいかんのだろう」という自分を客観的に判断してしまう悪しき良識が私にあった。
何よりも自分で自分の演奏を聞く耳があった。
そして2年後結婚話を機に夜の稼業を辞め正業に就いた。
 
しかし、その後の人生でも私の職業経験はすべてそのようないい加減な素人芸だけでしかなかった。
「フランス語通訳案内業」という現在の公称でも事情は全く同じ、と言わねばならない。
結局、私は実世界で懸命に勤めるに足る天職(Vocation)を見つけられないまま、自分の居場所を得たという実感を持たないまま、遂に退場して今終えかけているとしか言いようがないのである。
 
タムサンカ氏の件もそのような経緯があったのではないか、と思う。
ひょんなことで手話通訳になり、いきさつで各所に雇われるようになる。
ギャラの安さだけで雇われていたのだが、いつの間にか本人が「これでいいんだ」と思い始め、ついには自分はどこにでもひっぱりだこの「世界一の手話通訳者」であると、本当に思い込んでいってしまう。
もし、自分がやっていることがデタラメであると自覚し、本当に自分がサギであると思っていたのなら、テレビ放映が前提のマンデラ追悼集会なんかに雇われるハズがない。
また、私のプロミュージシャンの経験からしても、礼儀というより同類意識から同業者への面と向かっての異議申し立てはしないものだ。
 
ここで、どうして本人が自分のまったく自己流のやり方が世界に通用していると思い込んでしまうのか不思議、と思う向きがあるだろう。
しかし、私はそのような恣意的で主観的な、平たく言えば自分に都合のいい世界観の中だけで生きているというのが、ごく一般的で通常の生き方ではないのかと思っている。
私がやったように、ふと我に返り自分を相対化し、客観視してしまって見てしまう世界にロクなものはない。
自分を知れば知るほど、どうしても抜け出せない永遠の自己嫌悪、無力な自縛的鬱状態以外に、そこに何も見えはしない。

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