週末夜巷徘徊覚書 近所の鴨・明日香..
[団塊の段階的生活]

クレタ人の静かな生活 晩秋編 

2017/12/18(月)2:35
11月末日
もう最後の秋になるだろう。
ツーリング用バイクをなくしてから、ゆっくり近所の村落や池に散歩しに行く機会を失っていたのだが。

久しぶりだ。
このような秋の光景の中をゆっくり歩くのは。

いつもいつも通っている道筋だが、一歩踏み込んでみると今迄知らなかったまた別の光景が見えたりする。

新興住宅地裏からそのまま山道を昇っていくと、突然というように古いお宮さんがあった。

鳥居道の写真を撮っていると先に詣でていた老女2名が寄って来てここの由来を教えてくれる。
日本最古の女神のお社で毎月8の日に祭礼をする云々。

今、あのイチョウの木の紅葉がちょうど夕日映えてきれいなんで・・とか勧めてくれるワリには話しが長く、やっと解放していただいた時にはもう夕日映えは他に行ってしまっていた。

誰も知らないふとした山中の溜池。
普段は地味な池だが、本日は晩秋のヨソいきを纏っている。

一旦道路に出てすぐ近くのダム公園に行く。

なんでもない見慣れた光景だが、この日は最後の紅葉色が全てを支配していた。



天理大学周辺のイチョウ並木を見に行った、しかしすでに黄色は色褪せていた。

よく清掃された天理教本部周辺の街路の見事な黄色いイチョウ並木と落ち葉は4年前までは毎日通っていた道筋の光景だった。

用もないのに大学構内や周辺の農道を好き勝手に走り回っていたのだった。

そんな日々もあった・・・

郊外の村落を縫う農道をたらたらとゆっくり走りぬけていると、郷愁の念を抱くこともある。
やはり私にはこんな古い村落や静かな郊外の町筋の生活の中の、季節がゆっくり移り変わっていくゆったりとしたリズムが快い。

前の週末には道路沿いの小さなイタリアレストランでピザを食い、それから高速高架下の人工池にやってきたカモの集団を見に行き、そのまま郊外の町筋や村落をゆっくり走りまわった。

わざわざ立ち止まって写真を撮るほどでもない古い田舎町の原風景的光景。
日本のどこに行ってもずっと同じようにそこにあり続けた無名の町と村。

郷愁が次第に見知らぬ田舎町を彷徨している思いにしみこんでいく。
突然、それが激しい望郷の念に転化する。

望郷?
実を言うと私はそんな田舎に暮らした覚えはない。
しかし私の子供時代の大阪の下町も実は似たようなものだった。

もう都会には見ることがなくなった季節に連動した生活のリズムか?
古ぼけた家並みに、見慣れたいつもの生活が続いているという安堵が?

この町のよろずや風スーパー「オクヤマ」に行く。

この田舎のスーパーマーケットが妙に落ち着く。
よく考えたらどうもこれは昭和30年代によくあった公設市場の建物のようだ。

低い天井にむき出しの鉄骨。
たぶん、昔はこの下に細かく区分された少商店がはいり、上からいろいろつるしていたのだったろう。
ベトナムや台湾の公設市場の建物も同様の雰囲気があった。
台南安平の二階建公設市場が良く似ているかも。
どうやら先週感じた強烈な望郷の念のひとつの原因はコイツかも・・・

やはり私はこのような田舎町の生活の光景が落ち着く。
やはりもうしばらくここでの暮らしをつづけたいかも・・・と夜、ヨメに話す。

- 2017/12/17(日) 午前 11:29 -
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