奈良フィルサロン この夏はストラス..
[静かな生活]

この夏はストラスブールに(1)

2018/6/25(月)15:53

もう一度ヨーロッパの大学に行こうか、とか年初には計画していた。
だがもう長期海外滞在には耐えられないトシになってしまった・・・と冬のベトナム滞在経験は如実に示してくれた。
体力ではない。
もう異文化地域への興味・好奇心、憧れがあらかた残っていないことを2月のベトナムで自覚してしまったのだ。 (このベトナム紀行、そろそろまとめねばなぁ・・・)

では、せめて勝手知ったるストラスブール大の夏期講座にでも行くか?と、とにかくカタチだけはスト大学に申し込んだ。
そしたら入学許可証がすんなり届いてしまった。
今迄2回ドイツの大学の夏期講座を受講したのだが、いずれも入学許可証を受け取るのにすったもんだの経験をした。(2011年、2013年のブログ参照)
現に日本語で留学代行業者がネット上で受け付けているスト大の夏期講座の案内には「申込受付は4月まで」と書いあった。
前回のドイツの夏期講座のように複数の大学に申し込んでおいて「すべり止め」をしておく、ような気もない。
「母校」ストラスブール以外の、どこか新しい場所に行くというような覇気はもうとっくになくなっていたのだ。

そんなようなワケでスト大には6月になって申し込んだのだが、すんなり入学許可が来るとかは思ってなかった。
いや、すんなりではない。
申し込んで2週間もたつのに何も返事がないのでメールで「早よせぃ!」と書き送ったら、即日PDFでご返事が。

うむ、来ちゃったか(^^;

入学許可証が来たら、航空券の手配だとか旅行準備だとか・・・特にPC関係の手配を急がねばならないので面倒クサイと思ってたのだが、それでは意を決して準備にとりかかることにせねば。

-----以下、「意を決する」ための自己弁護---

御存じのように・・←誰が知るか! (^^;
もうフランスに行くことはない、と思っていた。
2015年のシャルリ・ヘプド事件やその後のテロに誘発されたフランス社会の馬鹿げた反動にイヤ気がさした。
私の生涯を裏から支えてくれていたハズの西欧の理知的公正さ、理想主義への高い志向は現実にはもう単なる偉大な過去へノスタルジーでしかない、と思い知った。
 「私はシャルリではない」。

以降「母なるアジア」に渡航先を定め、遂にはこの後の生涯を中部ベトナムで暮らすという夢想まで抱いたこともある。
しかし、その夢も悪しきグローバリゼーションンともいうべき商業主義、もっと有ていに言えば拝金主義に急速に犯されている今のベトナムを目撃し、完全に根拠をなくしてしまった。
この世界で、私にはもうどこにも行く場所はない。
・・・
とかいうのが今の私の立ち位置の公式表明(表)だった。
しかし、何事にも裏がある。
特に私の内部には自分でも見定められないブラックホールと暗黒物質がぎっしりと(^^;

私も別にイデオロギーや信条、信念、理想、宗教的情熱とかが根本的行動原理になっているヒトではない。
ただの・ふつうの・二流のヒトで、ただ三流のヒトには最低ならずにいようと・・・
しかし、ソレも実に怪しいもんだったりする(^^;

私は生涯かけてデカルト以降のヨーロッパの知性と文化に憧れ抜いて生きてきた。
自分はそのように明晰で理知的な「正しい」人物であろうとしていたのだ・・・と思う(^^;
しかし、フランスだって「自由・平等・博愛」を誇らしげに掲げていたのは、みすぼらしい実体を覆い隠すための看板だっただけだ。
私や我々が憧れてきた「西欧文化」とは、自分の本質は決してそんなエエモンではない、という暗い自己認識への反発があったからなのだ。

ベトナムに失望したようなことを書いたが、実はベトナムも元からそんなにルーラルで牧歌的なトコロではないことはもちろんだ。
ただ、フランスに、やベトナムに対する思い入れだけがそのように見させていただけ。
人は自分の見たいものしか見えないのだ。
そのように見えるのはそのように見たいから。
フランスに、ベトナムに失望したのは、もう自分自身に失望してしまっていたということだ。

ま、しかし本心を言えばモトから私の出自・学業・職歴はそんなに秀でたモンじゃなく、自分はそんなエエモンじゃないと知っていた。
だから、もとより失望に値する程の実体すら私にはなかった、というのが本当のところ。

ただ若い頃の私は、自分に対する自己顕示として「最低私はそんな人間やない」、とかいう矜持を表向き掲げていなければとても生き続けていく気力は出てこなかった。
「フランス語でき升」」という看板はそれはそれで多少の役にはたってくれてた。
(フランス語できます。ピアノ弾けます。PCプログラム組めます。 でヨメが来た(^^;)

でも、もういい。
別にフランスもまた、二流や三流の人間でできていても一向にかまわない。
「自由・平等・博愛」に憧れてフランスに行った、というのは私の中で作り上げた物語(fiction)だっただけのようだ。
若い私はずっとそのような物語がなくては生きてはいけなかった。
ベトナムに行けばまたベトナムの物語を生きていたかったのだ。
物語が無ければ生きていけない人なんだろう。

だが、ようやくここにして私はそんなフィクションを纏わなくとも平気で社会生活ができるようになってきたらしい。
自分を恥じて自殺するより、「このどこが悪い?」と開き直ってあつかましくもずぶとくも(^^;

そんなわけで、もう二度と行くことはない、と表明したハズだが、なんのことはないやはり相変わらずフランスに行く。
別にそんなことは、理想とか社会正義とかイデオロギーとか信念・信条とかはどうでもいい。
ただ未だに降ろしていない「フランス語しゃべれます」という看板がハゲかかってきたので、ちょいとあわてて手当しに(^^;

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