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[創作] |
小説 カトマンズで死ぬということ(3) |
2015/4/8(水)02:05 |
(3)詩と死の変容 詩野安希子のことを思い出そうとして引っ張り出してきた日記や手帳を確認してみた。 日本に二度と帰らない覚悟で渡欧したのが33歳の時だった。 カトマンズで終えるのも良かろう、と冗談とも真実ともつかない呼吸で自分に覚悟を付けた今は正確にその33年後である。 この符合に私は愕然とした。 私は33歳の時にリセットして折り返したもう一つの人生を正確に逆算し、元の時空連続体の原点に還ろうとしていたのだ。 安希子はまるで私の人生のこの決着を予感したように突然記憶の中から今、まさにこの時点で現実の世界に立ち返ってきたのだった。 あの時のように私に何かを伝えようと、遥かな時空を隔て、はるばるやって来てくれた。 そのようにして、私は今立ち去ろうとする世界からの最後のメッセージを受け取ったのだ。 18歳で横浜から引っ越してきた、いたいけな少女が母子家庭という境遇であったことを私は忘れていた。 あの時にもそれを知っていたはずだが、時ならぬ激情の中でそれがどういう意味なのかを咀嚼することができなかった。 真実はこうなのだ。 安希子は引っ越してきた見知らぬ町で、私を通じて自分の家庭に欠落してしまった父を探し当てたのであり、私は母子家庭として残してしまった娘を安希子として見てしまったのだ。 全てを捨ててもどうしても捨てきれぬ、かけがえのない思いがある。 その思いがある限り人は自分の人生を完全に初期化してしまうことはできない。 それが一方的な自分の感傷というものであるとしても、捨てきれぬ思いを抱えたままあちらに行ってしまうことは決してできないのだ。 私は残してしまった、かけがえのない人への思いを処理できていないまま行こうとしていた。 最後にこの世と和解しておかねばならない大事なことがあるのを私は忘れていたのだ。 あの時も今も、私にもこの世界にかけがえのない大切な思いが残っていると安希子は示しに来てくれたのだ。 そして私は今、決してこの世界を恨んでいるわけではない、と自分で確信する。 この世界全体が、一人のいたいけな少女の形で、私と和解するために。 ---- ![]() 2015年3月X日カトマンズ空港でXX航空機が着陸に失敗、炎上し全員死亡確認。 小説 カトマンズで死ぬということ (完) |
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(final page) |