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[創作] |
小説 カトマンズで死ぬということ(2) |
2015/4/8(水)02:02 |
(2) 疾風怒涛の時代 私はいわゆる団塊の世代である。 高校を卒業した1967年当時の大学進学率は日本全体としては25パーセント程度だったが、進学型普通高の母校では男子生徒は全員が進学するという前提で、理系進学型か文系進学型という二つに分類されて夫々の受験科目を履修させられていた。 進学を前提としない数学Aや物理Aという比較的緩い履修科目の就職型クラスもあったが、これは女生徒専用で、一人の男子も所属していなかった。 結果的に大学に進学できなかった私は、就職斡旋というようなオリエンテーションもなく、自分でも何をしてよいのか明確なイメージも持てず、二年ほど受動的に「大学浪人」をし、なしくずし的にアルバイトが本業風になってしまい、そのまま現在でいうフリータ生活を続けていた。 しかし、私は本当の自分の人生はクラシック音楽の演奏家であったり、大学教授や作家である、というような能力不相応で現実とは裏腹な夢を常に見続けていた。 私の当時の現実生活は「仮の人生」という意味しかなく、それでいて本当の人生への具体的な方策も方向性も全く解らず、自分の周囲の人々や社会への違和感をくすぶらせて暮していた。 現在では典型的なモラトリアム症状と分析できるのだが、当時の学歴社会感は歴然と若者の意識にのしかかり、大卒切符のない者には一切の夢想が入り込む余地もない散文的な下層労働者になる道しか選択肢が無いと思うしかなかった。 そのような精神的に不安定な生活が長引くにつれ、次第に生活が荒んでいく。 終には「永山則夫は自分だ」と日記に記述することにもなる。 ふとしたことから当時流行しはじめた家庭用の電子オルガン教室講師の口を見つけ、純然たる肉体労働からは少し解放される。 犯罪に踏み込むこともく自殺を企てることもなく、なんとか踏みとどまれたのは、そのようなバイアスが存在したからだが、元より何らの音楽的専門教育も鍵盤訓練も受けていない私にとって、その道が連綿と続いていくわけがないのは当初から分かっていた。 夜の歓楽街で電子オルガンを奏し、「流しのオルガン弾き」と自嘲しつつ、かなりの身入もあったが、やがてカラオケの台頭であえなく廃業。 音楽教室講師としても非常勤講師という職制以上は進展せず、元より自分の技量が音楽大学ピアノ科出身の女性達とは比較にならないのは承知の上だったので、この分野で生き続けられるとは思ってはいなかった。 いつかは「正業」につかねば、と。 24歳で結婚。 それを期に東大阪の小規模企業に就職し、安サラリーマンとしての人生を始めることになる。 このように書いてしまうと結婚した相手に申し訳ないのだが、結婚すれば東大阪の一労働者として生きていく道を歩む他はなくなり、私のあらぬ夢の痕跡も次第に現実生活から抜け落ちていってくれるだろうと思っていた。 しかし結婚して勤め人になり、実直な生活を開始し、そこで初めてこの選択がいかにお座なりでいい加減なものだったのかを厳然たる事実として理解する。 家族持ちの東大阪の平凡な勤め人の生活に私は何の喜びも未来の展望も持てなかったのだった。 最早私は抜け出すことも、変更することも一切できない地点にまで来てしまっていたのだが、依然として本当の自分の生活は別の地平上にあるという思いが消えない。 鬱々とした毎日を送っている私に愛想をつかせたという形で離婚が成立。 一度も一緒に暮したこともない赤子だった娘を母親が引き取っていった。 すべてに対して申し訳ない思いで一杯だった。 怒り心頭に発したというような妻の両親やおろおろするばかりの私の両親。 特に結婚すると聞いて心から喜んでくれた私の母親。 悶々としている私の為に「これであなたは自由よ」と離婚を承諾してくれた妻。 結婚し平和な市民生活を営むということが、私には何の喜びにもならない、まったく無関係、無縁な生き方なのだと思い知る。 「トニオクレーゲル問題」というキーワードでそのような違和を呼んだ。 私が自分の意思を押し通そうとすると、周囲の人々を深く傷つけるだけという不条理極まりない他者との関係がこの時から鮮明に始まっていく。 別れた妻が怒りに狂う両親をなだめてくれ、調停や裁判のような煩雑事とは無縁に私は元の独身生活に返ったのだが、もう二度と結婚はしてはいけないと自らを戒める。 しかし、他人を傷つけるまでしても諦められない自分の夢とは一体何なのか、確とした自分の未来は一向に見えていないままだった。 家族関係が法的に解消したとしてすべてが元に戻るわけではない。 どんな理由があっても、子を持ちながら、自分の都合で別れてしまった重い自責の念は一生消えることはない。 妻と娘が永遠に去っていった部屋を整理していたら、赤ん坊に与える小さなぬいぐるみのアヒルがぽつんと残っていた。 一人残された部屋で私は初めて号泣する。 自分の夢のために、何か非常に大事な、かけがえのないものを失ってしまったのだ。 --- 以来私は定住し、定着することはなかった。 その時々で知り合った女性と付き合い、時にはデートするのに便利、というだけで隣県の住宅地まで引っ越したりしたこともある。 かなり真剣に私を支えてくれた女性と付き合いながら、二度と結婚をする気にはなれず、それでも別れることもできず、ずるずると関係を続けていたりもする。 会社外で手がけたプログラミングのアルバイトでかなりまとまった資金が入り、都心の高層集合住宅を購入。 表面的には割り切った独身生活を謳歌していたと言えないこともない。 三十代初めの働き盛りで、刹那的享楽的な生活にも少しは魅力もあった。 一方では結婚時代は休団していた合唱団にも再参加し、いわば一種健全な若者のサークル活動にも主体的に関わってもいた。 しかし購入した都心の高層住宅で一人暮らしている時にふと強烈な孤独感に見舞われる時がある。 こんなところで一体オマエは何をしているのか。 まだ何も自分の夢の方向に一歩も踏み出してはいないじゃないか。 それどころかあんなに無理をし、周囲を傷つけてまで手に入れた自由をただ空費しているだけではないか、と。 当初は魅力的に思えた都心の独身用1LDK高層住宅が次第に忌まわしく思えてきた。 歓楽的な都心の生活にはどこか馴染めない思いが抜けない。 何よりも私の憧れの源泉はそこにはない。 当初は郊外のアパートを借り、都心の高層分譲住宅を賃貸にしようと考え、室内を業者に依頼して見栄えするように改装した。 しかし簡単には借り手はつかず、そのうちそのような不動産ビジネスに加担するのもやましく、煩わしく思えてくる。 離婚してからも一応は勤めつづけていた東大阪の会社でも、次第に周囲の人々と疎遠になっていき、ただ孤立していく。 一体、オマエはここで何をしてるのか?と一度自問し始めるともう止め処がなくなった。 このままこのように生きていても何事も始まりはしない。 周囲を傷つけたまま見苦しく自己本位に暮しているだけなのだ。 私が生きる場所はここにはない。 その頃初めての海外旅行ツアーを申し込み、訪れた異国の朝の光景が頭に焼き付く。 私の日常とはまったく違った異国の朝の光景。 見知らぬ世界だが、しかしまた別のリズムで確かな一日が始まっていく、少しの曖昧さもない実直な生活を感じる。 もう一つ別の人生がそこにある。 全てを捨てて異国で暮らす、という思いがこの時胚胎する。 ヨーロッパの音楽や文学への憧れこそが私の生きていこうとする希望の源泉だった。 すべてを捨て、異国に渡り自分の人生を再生させるのだ。 会社を辞め、せっかく賃貸用にリフォームまでした住居を安値で売却し、全ての荷物を処分し、スーツケース一つだけを持ってヨーロッパに渡る。 私のこれまでの人生を完全にリセットしてしまうのだ。 もう二度と日本に帰ってくることはない。 --- 詩野安希子が合唱団に入団してきたのはその少し前だった。 18歳の細くて華奢で大人しい少女だった。 その時の私は離婚歴があり、結婚をはぐらかしてずるずると付き合っている別の女性とも問題をかかえ、仕事や親族との関係も相変わらず上手くいかず、重苦しい想念を持て余しているだけの30男である。 彼女は私にはもう手の届きようもない純粋無垢な世界から来た天使のように見えた。 本来出会うはずもない、まったく別の世界の住人同士が合唱団という接点を通じ、奇跡的に同じ空間に集まり歌を歌っている。 天国的なへだたりと言うべきだろう。 だからこそ私は合唱団に参加し続けていたのかもしれない。 そのようなサークルで運営委員として活動しているとき、かすかな仲間との「青春」とでもいう火照りが無くはなかったのだ。 たまたま詩野さんは帰り道が同じで、大阪の御堂筋を歩きミナミのターミナルまで同行することが重なった。 少女は横浜から引っ越してきたばかりで、関西弁で笑い立てる他の仲間の少女達とは色合いが少しく違っていた。 この私とはまったく天国的に無関係な少女と一緒に冗談を言いながら歩くことをいつしか心待ちするようになっていた。 全てを忘れ、まだ世の中の汚辱にまみれたこともない無垢な少女とそのままどこまでも歩いていけたら、と私はちらりと思ったりする。 もちろん、そんな思いはどうすることもできない。 すべてをリセットする他はない地点にまで私の現実の生活感覚は落ち込んでいた。 だからこそ天使のような少女との時間を夢想する時、魂を奪われてしまうような高揚感を心に覚えてしまっていたのではなかったか。 あるとき中年男の狡猾さ、とでもいうような悪知恵で「いつみてもかわいいね」と少女に魔法をかけてみる。 驚いたことに、無垢な少女はこの呪文にいとも素直に反応してしまう。 以降、対角線で歌う少女の視線がしばしば私と交差するというようなあり得ないことが起きる。 少女にかけたつもりの魔法は、しかし発した当人にも反射し心に非現実な夢想が胚胎する。どうすることもできないと最初から分かっている故の、絶対的不可能性へと一直線に増幅してしまう心の夢幻性。 現実に生じているのに全体が非現実であるような不思議な魔法の時間。 魔法が永遠に続くことはない。 私の日本脱出が目前に迫っていた。 全てを捨てて異国に渡るしかない。 自分の人生を再生させるためには、私にはそれしか残されていなかった。 ざわめく合唱団の送別会の席で奇跡的に詩野安希子と二人きりになれる時間があった。 冗談めかして別れを言う。 「もう最後だから、これで言いおさめにする。 いつみてもかわいいね。」 突然安希子は声もなく泣き出す。 互いに手を固く握り合い、涙の気配の中で突然湧き上がるこの世ならぬ激情をただ耐える。 --- それ以来、詩野安希子と二度と会う事は無かった。 日本という国で私が直面していたあらゆる係累の息苦しさを、私はすべて捨てようとしていた。 しかし、捨てようとしても捨てられない、かけがえのない思いもある。 それはただ忌まわしかっただけの日本が最後に私に示してくれた好意であったのかもしれない。 もちろん、これは私の側が演出したきれいごとの解釈であると言ってもいい。 真相はそんなことではない。 その時から長い年月が経過し、現在の私の前に何の前触れもなく詩野安希子が再び立ち返って来た。 相変わらず私は生き悩み、自分の重苦しい想念を持て余している。 それは嘗てのように自分と周囲との折り合い悪さや、夢と現実の矛盾というようなものではない。 もうどこにも逃れることはできない私自身の存在そのものへの不快感である。 相変わらず私は今ももう一度自分の人生をリセットしかけている。 いや、もうゼロクリアして再生しようとしているわけではない。 今回は単にゼロに還元するだけだ。 そして、その時やっと気が付いたのだ。 |
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