カトマンズで死ぬという .. 小説 カトマンズで死ぬということ(2)
[創作]

小説 カトマンズで死ぬということ(1)

2015/4/8(水)01:52
(1) クライスレリアーナ

   -- 私は「春の歌」と申します。
   と聞こえたような気がした。
   いや、秋の歌と?

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毎年春先になると私にはシューマンのクライスレリアーナの第2曲が聞こえてくる。
張りつめていた気温が緩み、何かの気配が遠くから呼んでいるような感覚をふと感じる夜にそれはやってくる。
5,6年前に滞在中の異国の宿舎で目覚めたとき、時差ぼけの半覚半睡の奇妙なこの世とあの世の接点でクライスレリアーナが聞こえていた。

今年も明け方の夢の中に春の気配が遠くからの回想を紛れ込ませ、しきりに何かを思い出させようとする。
音だけの夢を見る。
本当は昔聞いたメロディーがうっすらと鳴っていただけだが、寝ざめの記憶では荒唐無稽で視覚的な物語を作り上げ、夢の中で上演していたように思ってしまう。

今年はしかし、すこし夢の度が過ぎる。
シューマンのクライスレリアーナは明確に春の記憶として定着しているが、時にそれはワルソー(ワルシャワ)コンチェルトだったり、グリークの”ich liebe dich"のオーケストラバージョンだったりする。
目覚めてからも絶えず鳴り響いていたメロディーが耳にまつわり付き、しばらく日常のルーチンに立ち返ることができない。
思いつく曲名をインターネットで曲を検索し、プリントアウトしてピアノで再演して確認することもある。
グリークの曲は、ずっと昔NHKのクラシック番組のテーマ音楽として使用されていたように思う。
夢の中からしきりに呼びかけてくる遠い過去。

今年でシューマンのクライスレリアーナは暗譜できるだろう。
もう数年練習しているのだが、季節限定作品というような扱いなので例年なら暗譜し終わらないうちに春が過ぎて行ってしまうのだ。

クライスレリアーナと異国の明け方に出あったという経緯も、どこか作り物くさくのだが、本来的に私はシューマンが好きだ。
この人の天分は本物だが、19世紀型の大時代的ロマンチシズムの体現者で、弟子のブラームスのような理知的抑制がなく、すべての曲はどこかで破綻してしまっている。
天分と凡庸のせめぎ合いの中で自分を必死で駆り立てているような悲哀を感じてしまう。
終には精神を病んでライン川に身を投じてしまうのだ。

クライスレリアーナの題材である楽長クライスラーもホフマンの小説中の大時代的な人物である。
音楽家だが落ちぶれ、酒場で飲んだくれて若い時の栄光の冒険譚をぐだぐだと語っている、というような物語だったはずだ。
シューマンはこの物語を、激しい情熱がほとばしり飛ぶ第一曲から、最後に夜の闇の中にひょこひょこ消えていってしまう、哀愁に満ちた終曲までの一連のピアノ組曲とした。

今年はいつもの春の回帰というにはあまりに悲哀の念が強い。
どこか遠くへの憧れが高じようとするのだが、しかしもうオマエには何も残っていないのだ、という自分への失望が如実に楽長クライスラーの老年の悲哀を味あわせてくれる。
遠くへと駆りたてる憧れも何も最初からないのなら、老年の悲哀がこのように襲ってくることもないのだろう。

春は残酷な季節だ。
4月は残酷な月だ、と詩うエリオットの句を想起せずにはいられない。

通っているスポーツクラブの女性インストラクタの視線にふと我を忘れてしまうことがある。
2月末、一瞬春の気配が公園の夜の闇に漂っているのが感じられ、木々の間を少し歩いてみた。
しばらくすれば帰宅する彼女がやってくるだろう・・とも。
確かに足早に木立の前の道筋を彼女は帰っていった。
声をかけようとして、やはり私は自分の位置を思い出す。
オマエはもうただの老人である。
オマエに今できるのはただ見ること、そして回想することだけなんだぞ、と。

要するに季節はこの世の春への憧れを回帰させるのだが、季節が回帰しまた新しく始まったとして私自身はもう既に生理的に何事も起こり得ない老人に過ぎないのだ。
ここのところ久しく春は「ようこそ鬱へ」の挨拶をよこす。

しかし、今年はどこか過剰に過ぎる。

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私は78歳で死ぬことに決めていた。
自然にもうろうとしていき、衰弱して消えていくには妥当な年齢だと思えたのだ。
しかし最近、そのような軟着陸なんて到底できそうもないのではないか?という気がしてくる。
肉体が衰えていくのは自明で自覚するのはたやすい。
しかしもう一方の私の精神面の方は一向にもうろうとはしてくれないようだ。

どうして恋の高揚が突然やってきたりするのだろうか?
もう生殖能力はとっくに尽きているというのに。
男性という動物は最後までオスであることから逃れられないのか。
老いたるクジャクは、それでも本能的に薄汚れた羽を拡げようとするのだろうか?

「カトマンズで死ぬ」ことは救いでもある、と思うようになった。
とにかく私は今の配偶者を得、78歳までの老年期を想定できる程の生活的・精神的安定を得た。
しかし、本当はそんなばかばかしくも平安な人生を全うできるとは思っていない。
そのように自分の心的エネルギーを薄めきって生き延び一体何がうれしいのか、という不埒な思いも募る。
でも人はただ生きてしまう。
明確に死のうと企てなくては、ただ生き、老年の悲哀を持て余しながら飽き飽きと、それでも機械的に生き続けてしまうのだ。

配偶者と計画していたカトマンズ行にまつわる種々の煩わしい準備中に春の物狂い期に突入してしまい、今年は完璧に鬱の周期に入りこんだことが解った。

しかし、ひょんなことから欝を根本的に回避する妙案を思いついた。
きっかけは加入カードに付帯している海外旅行保険から一億円の死亡保険金が出ると解った時だった。
「カトマンズで死ねば一億円儲かる」と自分への冗談を仕掛けてみた。
こいつはなかなか愉快な思い付きだ、それどころか名案じゃないか、とも思えてきた。
このつまらん命も売ればそれなりの金になる。
冗談でも本気でもなく仕掛けた装置は案外うまく作動した。
この旅行で私の人生がきれいさっぱりクリアできるような気がした。

もういつ死んでもいい。
という思いが確認できたのかもしれない。
どのみち完璧な人生じゃないが、自分でやるだけはやったのだ。
78歳よりは多少短くはなってしまったが、今死んだとして別に不足はない。

私は嘗て一度全ての過去の係累を切り捨て人生をゼロから再生しようと試みたことがある。そのまま生き続けていくことがあまりにうっとおしいので、まったく別の場所で、まったく違う生き方をすることにしたわけだ。

今はその再生した二回目の人生をもう一度リセットしなければならない時になったようだ。
あの時折り返した人生を最初の出発地点まで還元し、差し引きゼロにして終えるわけだ。
そのような一種の帰結感か。
もう十分じゃないか。

しかし私には「裸で生まれ、また裸で死んでいくだけ」と言い切ることができないものが一つ残ってしまっている。
自分だけで完結しようとしても、どうしても一人で勝手に元の地点に帰結できない事情がある。

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昨年死去した指揮者をしのぶ会という催しの案内があり、旅行準備中だったので迷ったのだが結局合唱団のOBとして参加することにした。
今年は過去がしきりに私を呼びかけに来る。
二十歳そこそこで入団し、10年単位で断続的に出入りを繰り返していたような状態だったが、昨年死去されたその指揮者の時代が私の現役期では一番長かった。
大阪の寺院で執り行われた会は一種のOB会でもあって、意外と多くの嘗ての知人が参集していた。
時折聞きに行ったこの合唱団の定期演奏会等の折に挨拶する機会もあり、殆どの方とは顔見知りだったが、中には全く現役時代が重なっていない方もいるので、少数のグループとは面識はない。

会が終了し、辞去しようとしている時、その人が声をかけてくれたのだ。

-- 覚えてらっしゃますか? 「春の歌」と申します。

そのように聞こえた。
しかし、私はとっさに思い出すことができない。
あいまいな返事をし、いつごろの団員なのかを聞き、その時のピアニストの紹介で入団したといような事情を聞いているうちに、ある光景が蘇ってきた。

30代で私が渡欧すると決め、退団すると伝えてからの送別会か何かのざわめきが背景にある。
ざわめきの中で密かに一人の少女と手を握り合っていた。
泣いているのだが、声はない。
ざわめきの中での一瞬の光景。

そのような断片だけを思い出し、「たしかあなたはまだほんの少女で・・」と返したのが精いっぱいだった。
わずかな時間でのことだった。
散会のざわめきの中で「では。」というような型どおりの挨拶をして別れる他はなかった。

別れてから、一体あれは誰だったのだろうと自問しつづけた。
何事か私にとって非常に大事なことだったような思いがしきりに去来する。
なかなか回復できない遥かな昔のとぎれとぎれの記憶に苛立ちながら、数日のあいだ悶々とし、過去の日記や手帳を探し出して記憶の修復を試みた。


詩野安希子という名がやっと立ち返ってきたとき、ひとつの物語が蘇ってきた。

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