年末年始顛末 カトマンズで死ぬ..
[団塊の段階的生活]

カトマンズで死ぬということ(1)

2015/3/25(水)15:26
(1) 春の気配 (2015年2月末)

少し気候がゆるんできたように感じる日もある。

どうしてもウォーキングシューズを新調しなければならない。

昨年9月に福井県方面にキャンプ・ツーリングに行った。
2,3年前に買った登山靴を穿いて行ったがもう足と合わなくなっていて、既に二日目に左親指爪下に内出血していた。
その時はバイク移動だったので、そのまま穿きつづけて帰宅したが、3か月ほど後、左親指爪がぱっくりと取れてしまった。

爪全体が剥がれると、本来なら下側に新しい爪が成長して伸びてくるはずだが、今でもみじめに中途半端に干からびて波打ったままの爪のようなものがあるだけで、それから一向に成長する気配はない。
私にはもう殆ど肉体を再生させる能力が残っていない、ということのようだ。

ヒマラヤ行きが具体的に進行していき、すでにカトマンズ行きの飛行機は予約してある。
ヨメの休暇に合わせて「適当に」合意した海外旅行で、いつものように私はかなり受動的に成り行きを傍観しているような様相だったが、そろそろ本格的に準備せざるを得なくなった。
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ヨメに誘われて大阪・淀屋橋のミズノのウォーキングシューズ販促会に行った。
整形外科医が足の形状に合わせ靴の選択アドバイズをしてくれる。
私の足は元より偏平足で、最近特に外反母趾がひどくなり、膝の故障(変形性膝関節炎)をかばって歩くという癖もあり、最近爪の剥がれた左親指側の骨の痛みを感じていた。

上級革製の靴を買い、インソールを個別に調整してもらい、私が生涯買った靴としては最高額の買い物になった。
 
その後、私にも旧知のヨメの友人と合流し桜橋のピザ食べ放題レストランで歓談。
お互い勤め人のヨメと友人は海外旅行の情報を交換し、今度のゴールデンウィークにはどこに行く?とかいうようなノリ。
「そんな無理して行かなくとも、会社退職してからいつでも好きな時に行けるのに。」と私は水を差そうとするのだが、「アンタにゃわからん」風の反応で一切同意はされず。

私は行きたいと思ったときに行けるという結構な身分だ。
で、もう時間に追われてアチコチまわるような旅行は一切したくないと思っている。
もとより「海外」に求めるものは違っていて、いや、本質的には同じかもしれないが、色調は随分違っている。

ヨメはできるだけ違う国や場所に行こうとするのだが、私にはもうそんな興味はない。
見たかったものはすべて見たし、見たくないものも見た。
時には一生見ない方が良いこともある。
見たことで消えてしまう夢想達。
すべて見てしまえば、結局はつまらん世界ということが解るだけだぜ?

もちろん、現役勤め人としてのヨメが抱く海外旅行への夢は良く分かっている。
私もそうだった。
いや、私は会社を辞め、日本という生活基盤を捨ててまで「海外」に出ていったのだったが。

「ヒマラヤを見に行く」というのが我々の今回の渡航先を決定する時の事前の合意だった。
一度行ったところはもういいと言うヨメと、あまり観光旅行には乗り気でない私がぎりぎりで合意できた旅行先。

靴も新調したし、「地球の歩きかた ネパール編」も買った。
UVカットの高性能サングラスもお互いに買いそろえた。
いつの間にかもう後戻りはできない時期になっていた。
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長堀駐車場にバイクを停めてあったので、ヨメ・友人と別れ心斎橋・難波界隈を少し歩いてみた。
華やかな町のきらびやかな興奮に同化しようと、30年前には目を血走らせてまで歩き回った界隈。
昔は場末だった湊町界隈にも近代的なビルや広場ができていたが、ラブホテルや風俗店街も相変わらず健在だった。
もう一度その辺りの怪しげな店に入ってみては?としきりに誘う心がある。
何事か、かつて目を血走らせてまで突き動かしていた興奮のかすかな気配が回帰する。

しかし、かつてと同じように私には商業主義のピンクのネオンサインの誘惑には完全に同化することができない。
しかし、かつてはそれでも内なる違和感を飲み下し、もうどうでもいいと負の方向へと飛び込むエネルギーはあったのだ。
今はそのような強烈な衝動も、生理的なその根拠となるものもない、ということに突然気が付いてしまう。

もう私には海外へと、町へと誘ってくれる強烈な内なる根拠が消えてしまっている?
いや、強烈な衝動はなくはない。
こんな人生なんて、もううんざり。どうでもいい。
いつでも最終リセットをかけてやる、という暴力的な衝動は常に隠し持っているのだ。
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夜のスポーツクラブで汗をかいた後、外の公園に出ると大気がかすかにあたたかい。
もう背中を丸めて急ぎ足に歩かねばならない季節ではないのか。

包み込むような暖かい夜の中に春の気配がかすかにうごめいている。
駐車場ではなく、別の方向に歩く気になった。
どこともなく、夜のくらがりの中へ。

かつて、そのようにして何時間も歩き回った。
高揚する恋の気配に火照り、動悸し、突き動かされ、飛翔する夢想を追い。

はて、しかし。
今、私はどこに歩いて行こうとしているのか?
スポーツクラブで、冗談を言いながら、チラリと見、しっかりと記億した若い姿態の持ち主が出てくるのを、夜の闇の中で待つとでも?

春さきの夜の夢想はどこにも行きつく場所はない。
私の時間はすでに未来に向かって閉じている。
私は年老い、2重にも3重にも夢想を押し込め、春の気配を強引に消し去り、ただ家に帰る。
なぜ、今更そのような春の夢想が回帰してくる余地など存在しているのか?

あいかわらず上昇しようとする幻想と既に変更不可能賞味期限切れの現実と。
もうどうにもならないこの私の生命の時間。
肉体はとっくにもう男ではないのに、未だに男性でしかない、この性の悲しさ。
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朝、すでに死に絶えた私の人生を涙の気配だけが覆っている。
見たくもないニュースにまみれ、しかしまだ生きているのだ。
幼稚な犯罪と、犯罪を声高に糾弾し、正義の味方ごっこをするだけのメディアとの。

   オマエは死ね、と異口同音に。
   オマエは死ね、とほがらかに。

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 「目覚めの夢」

新しいランドセル、黄色い帽子、運動靴を買ってもらい枕元に並べて寝た。
入学式当日の朝か。
目は覚めているのだがやはり学校に行きたくない。

「もう学校に行かへん」と起しに来た母につい。
困惑する母、やって来て激怒する父。

そのような反応は予測していたし、だからこそ今までその気になろうと押さえ、こらえていたのだが。

しかしもう私には無理なようだ。
「行きたくない」と一度発すると、もうどうしても止められない。

もうどうでもいい。
新しいランドセルを踏みつけ、帽子を引き裂き、運動靴を投げ捨て。
   
     学校なんか焼けて無くなってしまえ! と。


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そのようにして胚胎した「かけがえのないものをずたずたに引き裂く」イメージをもてあそび、無気力にただ歩いて涙の気配を散らす。
いや、やりきれないのは自分のみじめさだけではない。
周囲の思いをずたずたに引き裂いても尚自分の居場所がなく、周囲を傷つけることでしか生きられないやりきれなさ。

押さえて押さえて最後まで押さえきることができるものか?
しかし人の形でとにかく生きるにはただ耐えてこらえる他はない。
ここで放棄してしまっては、私にはもう何も。

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そのように、今年も春のいつのも挨拶。

        - ようこそ欝へ - 


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