ローカル列車でアユタヤ .. アヌシー・シャモニー・ロンドン
[バンコクでリセットを試みる]

ワット・サケートにて

2016/7/16(土)0:29
2/12(木)
バンコク滞在最後の日。
現地世話人Tamちゃんと夕方6時に会食後空港に送ってもらう手筈にし、午後最後にWAT SRAKET(Golden mount)を見学することにする。

Sala deng付近で15ユーロを700バーツいくらに替え、タクシーをつかまえてGolden mountと言うが、通じないので地図を見せた。
タイ語でWat Sraketと発音し了解。
昨日の2名の不良運転手とは違い、まじめそうな老年の運転手だった。
途中「This is a station」とか説明してくれる。
しかし、こちらはもう知ってたので"I know"とそっけない返事をする。

やがてWat Sraketの参道にはいる。
75バーツのメーターで80出して降りたが、昨日の市内均一交渉タクシー価格100バーツでも良かったかな、と思う。

両側の寺院の屋根と等間隔に植えられたセンターライン上の木々の緑が美しい。


話を聞いたときには丘の上の寺院と思っていたが、どちらかというと高層寺院風である。
開放的で、荘厳さはWat Phoには及ばない。

しかし、イスラム寺院でのアザーンのような調子の坊主の講話が絶えずスピーカーから流されていて聖地という演出はある。


階段を上る。

風で帽子が飛ばされてしまった。

履物をゲタ箱に入れ、10バーツを寄進し素足で最上階本堂に入る。
団体客は来ない場所で、西欧系のカップルが2,3組。
日本人風の男が一人本堂で涼んでいた。
日本の寺院の本堂ではなく、風の良く通る開放的な空間だった。

カメラ片手の観光客のすぐそばで赤い座位にすわり、低い声で講話唱える黄衣僧に向かい、座って手を合わせている者達。
本尊にあたる中央の金色のちいさな仏体に近づいて横の柱を越えると、男が頭を垂れ祈りの姿勢でうづくまっていた。

ちょっとしたベンチがあり、黄衣の学僧のような雰囲気の僧二人が静かにすわって話していた。
向かい側のベンチに座ってしばらく涼をとる。

Infomationの表示の出ているカウンターのおじさんに「Can I go up?」と狭い屋上への階段を示すと「Yes」とうなずく。
屋上のパゴダの横にも一心に手をあわせている娘がいた。

しばらく写真を撮ったり、録音したりしてもう一度カウンター前のベンチに帰り休憩。

女子高生風の2人が帽子をおじさんに渡している。
よく見ると私の帽子ではないか。
「It's mine」・・
おじさんに帽子を返してもらって女子高生二人に「Thank you very much」と声を掛ける。
おじさんが「よく帽子を落とす人がいるから」とかなんとかいっている。
礼をいって去ろうとすると「どこから?」との問い。
「日本から」と応え、面倒な会話になる前に会釈して立ち去る。
先ほどの女子高生2名が、また出てきた赤い座位の黄衣僧に手を合わせている。

登りとは違う方向からゆっくり階段を降りて下山する。
誰にも会わなかった。


もう少しで平地という場所にガラス張りの中規模の大仏が安置してあり、横顔が見えている。

正面に回ると大仏の前に野ざらしで等身大の仏像が大仏の弟子のような形で座っていた。
正面が色タイルで区画され香が焚かれている。
本尊や屋上パゴダのような威圧感がなく、丘の木陰のひっそりとした一角。

手を合わせたくなった。
正面に立ち合掌していたら涙が出てきた。
思いもかけず涙が溢れ止らなくなった。

昨夜、痔と血豆にまみれて、それでもワールドトレードセンター前の雑踏を歩いていて、一体私はどこに行くのか?という自問にさいなまれていた。

職業もなく地位もHomeもなく、こんなところまでやってきて怪しげな施術を受け、夜にまみれてただ暮らしている。
このままもう再び浮上することなく、闇の中に消えていくのではないか。

今朝、起きがけに母親の夢を見ていたのを思い出した。
母親が寝ていた。
唇の厚めな肉感と毛穴まではっきり感知でき、生身の母親の面影がくっきりと感じられた。
涅槃仏のように寝ていた母親が奇妙に変化していき、朝の生理的高揚にまで至ったのだったか?
不思議な胎内回帰感。

正面の仏がニタリと笑う。
「あんたもいろいろあるんやろが、まあ、何やってきたかみなわかっとるよ。」とか大阪弁で言っているいるように。
死んだ母親に会い、何もかも忘れて思い切り泣いてみたかったのかもしれない。
格別につらい旅行でもないし、悔い改めるほどの劇的な人生でもなかったが、それでも私は充分疲れていた。
自分の人生を誰かにどうにかしてもらおうとは思っていない。
楽ではないが、それはそれで私は最後まで一人で生きていくだろう。
しかし、ただ誰かに聞いて欲しかったのかもしれない。

涙が溢れてとまらないので、きちっとタイルの上に正座し、合掌し目を閉じる。
悲しくともなんともないのだが、まるで会話をするように涙だけが溢れ出てくる。

ここの仏は優しい。
別に批判もせず、教示もせずただ静かに向かい合って聴いてくれている。
それだけなのだが、生きていてそこら中に気を張っている部分が、たらたらと溶けだし流れていく。

仏は目を瞑り、かすかに笑っているだけ。
私は、この世では同志であったり恋人であったり、家族であったりするような緊密な人間関係をずっと避けてきたのだった。
この仏とはそんな緊張が生ずる気使いはまったくなさそうだ。
ただ、ずっと前に座らせてもらっていても、別に追いたてもしないでそのまま居させてくれている。
ただ静かに、溢れ出る雑多な想念を涙に溶解させ揮発させてしまう媒体になってくれている。
「そうしたいんだったらずっとそうしてればいい」と。
別にご利益もなさそうだし、教示も改心を迫る風でもないが、ただ目の前にじっと座って居てくれている。
こちらに何の心の負担もなく、あっけらかんと。
私はただうれしかった。

一旦堰を切れば涙は止まらず、このままずっと手を合わせていたかった。
しかし、後ろに人の気配がする。
地元の人のようだ。
ゆっくり合掌を解き、後ずさりで場所を空ける。
親子のような3人組が香に火をつけ早速合掌に入る。
別に外国人観光客が先に来て合掌していようが、彼らにはどうでもいいことのようだ。
当然だ。
みんな寺院に手を合わせにくるのである。
手を合わせて仏と向き合っていると、懸命に外に出さないようにしていた雑多なストレスがするすると染み出して、あっけらかんと開放されてしまうのだ。

この合掌の快感は殆ど心的ブレークスルーとでもいうべき体験だった。
いままででもマネして合掌したこともあるが、合掌しているとごく簡単に素直になれると今分かった。
うむ。今まで損した。
今まで本当にしんどかったよ・・・

しばらく道沿いのベンチで休んでいても簡単には涙は止まらない。
もっとも施術と目の瑕薬のおかげで常に涙目、ということもあるのだが。
目に薬を塗ったりしてごまかす。
このあと合掌にハマリそうになり、早く次のお寺に行かなきゃなんて思ったりもした。

日本ではついぞ本当に合掌したことがなかったが、タイの寺院は開放的で簡単に合掌できてしまうのだ。
これはなかなか便利な場所であるぞ。

涙が自発するという経験も思い出す。
フランスから「尾羽打ち枯らして」舞い戻り、家探しをしているとき、当時はまだ存命だった父に連れられて矢田丘陵の墓を見にいった。
オマエもここに入ってもいいと言ってくれた。
別れてからもう一度一人で墓地に行き、夜にまみれてしみじみと泣いた。

自分がしみじみと泣ける場所があればいい。
それは父や母の子供であった時のような、誰かに保護されていることを感じたいという衝動なのかもしれない。

仏像はもちろん人工物であるが、犬が電柱に自己の刻印をつけたくなるように、ちょうどいい具合に座ってられる場が仏像に対面する形でしつらえられている。
そこではあらゆる社会的な制約をすっかり取り払ってもいいことになっている。
じっと目を瞑っていても背後からの危険は全くなく、心理的なバリアを張り巡らす必要も一切ない。
仏像がそのように対面者に確保してくれている場所なのだ。
それがサンクチュアリということだ。
本当に疲れた時、そこにさえ行けば生活に節くれだち、どうしょうもなかった自分自身から抜け出すことができる場所がある。

タイの寺院で合掌。
やっといい旅行になった。

バンコクでリセットを試みる (完)

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