バンコク彷徨(2) .. ワット・サケートにて
[バンコクでリセットを試みる]

ローカル列車でアユタヤへ

2016/7/15(金)17:27

バンコク中央駅からアユタヤに行く。

タイは独立国であり続けたが、こういうターミナル中央駅構造はヨーロッパ式。
コンコースの雰囲気もヨーロッパの駅によく似ている。

鉄道料金は非常に安い。アユタヤまで45バーツだったか。

列車の時間待ちに駅のカフェテリアに入りコーラを飲んだ。
このコーラとアユタヤまでの切符が同じ値段だった。

ローカル列車で二時間くらいだったか。



アユタヤ駅前商店街を過ぎるとまったくの農村、というよりただの野原で何もない。
駅前商店街に引き返し、ヒマそうな食堂で昼食にする。

何だか全くメニューが分からなかったが、とにかく注文。
多量の玉子と野菜炒め・・何か注文を間違えた雰囲気だったがゆっくり完食。
トイレを借りると裏庭を示された。

裏庭では鶏が元気に動きまわていた。
南アジアで鶏インフルエンザ大流行のニュースをチラリと思い出した。

アユタヤ王朝遺構。


アユタヤ王朝に山田長政が仕え、武将で高官として待遇された。
当時のシャムにはかなりの日本人が住んでいて日本人町もあった。
ベトナムのホイアンでも日本人橋があったが、江戸時代までの南アジアには結構日本人がどこにでも侵出して暮らしていたようだ。
現在のような国境や国家意識ではない。
アジア全域の生活様式はほぼ同じようなものだったのだろう。



赤茶けた遺跡に陽が照りつけている。
広大な遺跡には別に売店や休憩所のようなものはなく、町の地続きに公共公園のように開放されている。
遺跡の中まで踏み込むと訪れる観光客も殆どなく、廃墟と自分が境目もなく混然一体となってしまうことが出来る。
入り口近くでは観光客相手の象使いもいたのだが。

行きのローカル鉄道ではのんびりした旅が楽しめたが、帰りは夕方で列車は超満員。
座る余地はまったくなく、どこかの手すりに寄りかかって立ったままバンコクまで。

バンコク郊外にあった国際空港が見えた→
この空港に降りた時に感じたままの列車の駅のような実質本位のこじんまりしたな空港だった。

現在の新バンコク国際空港(スワンナブーム空港)はまだ開業していなかった。
後年、トランジットで新空港で一晩すごしたが、近代的建築の広大な建物だった。
終夜営業の店舗も多く、試食で満腹したことを思い出す。
押し合いしながらローカル列車に揺られている気分はそう悪くはない。
私には仕事も家族も国籍も国境も何もない。
異国の雑踏にまみれ、このまま自分を消し去ってしまっても。
・・・自己逃避自我消滅人格崩壊幼児退行欲求か。
「外に引きこもろう」とする私の性向。
海外雄飛の山田長政とはベクトルの向きが全く逆。

行きはタクシーを利用したが、帰りはどこかで夕食にするつもりで中央駅からゆっくり歩いて帰る。

中国語の看板も多く、あけ広げた店内にはポツんと店番をしているオヤジがイスに座って新聞を拡げている。
裸電球の光が子どもの頃に見慣れた下町の生活感覚を呼びおこす。
私には何の違和感もない南アジアの住民共通の下町の生活感覚。

現在の自分がどれだけ遠く、見知らぬ世界に来てしまっているのか。


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