3度目のストックホルム .. ニュージーランドバスツアー
[北欧旅行2006]

クアラルンプール トランジット#2

2016/2/16(火)20:50
7/26(水)
早朝クアラルンプール空港着
出発ゲートまで行き、マレーシア航空のビジネスラウンジの一角を占拠、朝食をとる。
しかし横になってうとうととするヨメに怖い係り員のおバさんが近づいてくる。
「ここで睡眠はできません!」
帰国便は今夜発、また一日クアラルンプール観光に出る他はあるまい。

朝9時、出国し空港エクスプレスで市内に行く。
26/07/2006 10:28 atm 150 rm =\4985
26/07/06 10:35 35 rm x 2

チェックインして機体に預けた荷物の中に使い残しのリンギがあったのだが、出しておくのを忘れ、もう一度ATMで現金を引き出す羽目になる。

リュックサック自体も土産の関係で重いのでロッカーに預けようとしたが、故障でコインがはいらない。

預かり窓口に行くが料金が高い、ということでめんどくさくなり、そのまま担いでいくことにする。
ロッカーに預けようとするが、故障で現金がはいらない。
かといって預かり窓口の料金はかなり高い。
ということでめんどくさくなり、そのまま町に担いでいくことにする。

地図でモスクを確認、電車で訪問しに行く。

暑いし、連日の疲労もあり、なかなかしんどい。

アジアの大都会標準の人ごみ。

モスクに入ると入り口の係員になにやら制止される。
ヨメの髪の毛を隠せということらしい。

モスク前の大衆喫茶で「テ!」と言ってみるが、通じない。
今までどの国ででも「テ」(tea、茶)だけは通じたんだがなぁ。

諦めて店を出ようとして、他の客の茶を指差してみたら即座に了解、おネエさんはにこにこと奥の席に案内してくれる。
プラスティックのコップに入った茶をすする。

もういちど、ヨメが髪の毛をカーディガンで覆ってモスクに入ろうとした。
今度は昼のクローズ時間らしい。
結局モスク見学は果たせず。
尚、女性には門のところで髪の毛覆いの被り物を貸してくれるようだ。

とりあえず電車で適当な場所に行くことにする。

高架電車内に人は少なく、冷房も効いていた。
このまま電車の車窓から市内観光を決め込む。

2大路線を乗り継ぎ、一方の端までいってもう一度帰ってくる。

2時過ぎ再び中心街に還ってくると車窓から「クアラルンプールそごう」が見えた。
では買い物予定とするか。

紳士服売り場でマレー服購入・靴売り場・食品売り場でヨメはなにやら購入。
地下のマクドでコーヒー休憩。

26/07/2006 16:07 SOGO(KL) 69.9 (70-0.1)
26/07/06 16:10 KL SOGO 39.95 RM = \1281
26/07/2006 17:05 SOGO(KL) 53.40 RM =\1718


買い物に勤しんでいるヨメを後目に、クアラルンプールのデパートの少々さびれた地下で私はふとぼんやりと惚けている。
疲労もあるが、なんとか本日一日の観光がこのまま終了できそうだ。
旅行もこれで最終幕までまでこぎつけた。
一時はどうなるかとも(^^;
安堵でほっとしてぼんやり呆けている。


クアラルンプール・セントラルに戻り、軽食堂でリンギの残りで食事。
2006/07/26 19:16 The Chicken Rice shop 11.44 RM (11.5-0.06)

26.07.06 19:23 KLIA Ekspres 35 RM x 2

ここのインフォーメーションカウンターで今朝、見た覚えのある日本人の年配のおじさん旅行者とちょっと談。

「ビール飲めるところ、駅の中にはないっていうんだよ」と。
イスラム国ですねぇ。

6時、空港エクスプレスに乗り空港に戻る。



またしても空港のマレーシア航空ビジネスラウンジで飽食中(^^;

なにやらSOGOデパートの食品売り場で買ったヤツも内緒で食べているかも。













名古屋にむけて最終の搭乗。

ストックホルムからの便では、どういうわけか隣の席がとれず通路を挟むことになった。
満員で横のオジさん達に席を代ってもらえるよう交渉するが終にラチがあかなかった。

それに引きかえ、クアラルンプール- 名古屋便ビジネスクラスはガラガラで、どこに座っても勝手放題状態。

昔、乗った国際線の東京経由大阪便を思い出した。
乗客は殆ど居ず、エア・ホステス(当時はスチワーデスと称していた)が仲間内ではしゃいで騒ぎ、マクラ投げをしていた。
あっと、エール・フランス機だった。
フランス人らしい冗談騒ぎ。

今回もマクラ投げくらいできそうだったが、疲れて居眠りしてただけだった。


7/27(木)
早朝名古屋空港着。
名鉄、新幹線、近鉄と乗り継ぎ、無事帰宅。

何とか「プレーケストーレン登攀」と「世界遺産タリン旧市街」はこれでコンプリート(^^)/



    --(後記)--
10年後に振り返ってみると、この旅行で初めて海外での携帯電話使用が可能になったが、インターネットでホテルの予約ができる以前の時代の話だな、と改めて思う。
ホテルは現地に着いてから「足で探す」のがそれまでのパターンだった。
タリンでかなりあぶない情況にもなり、それ以降翌日のホテルの部屋を事前に確保するのにかなり苦労してしまった。
最初から日程をばっちり決め、それをただ消化する旅行とはまったく違う。
今回の日程も当初は「ノルウェー」→「エストニア」の順に周遊する予定だったのだが、列車の便の都合で途中で逆になってしまった。
そのために日程に間に合うよう最終搭乗地のストックホルムに到着する為にかなり無理をすることになる。

次から次へと降りかかって来る難問を何とかクリアし、当初の目的をコンプリートする。
それが「旅をする」ということだ。

・・・なんてホザいていたのは10年前の話。
実をいうと私も別に旅先で苦労なんかしたくない。
ただケチなので、あまり金をかけたくないから苦労しているだけかも(^^;

この旅行以降、勝手知ったる土地長期滞在志向の私と相変わらず未知の国探索志向のヨメとの終わりなき抗争が昨年のベトナム旅行までつづく。

ただ昨年、近隣アジアへのLCC短期旅行という便法を開発、ヨメとの大ゲンカなしでも一応「海外旅行」ができるようになった。
それに、ヨメはなんと自分で企画し、友人達との台北旅行を決定する、という付随効果さえある。

これでやっと私は気兼ねなく自分の「死に場所探し」とかいう類の、まったく個人的な旅に出られることになる。
これまでにもドイツ・フランスの一人滞在型旅行をやっていたが、あくまで語学研修という大義名分が必要だった。

という訳でさっそく
明後日からベトナムに行く(^^;
「何もせずただ暮らす」というヨメには絶体に許容できそうにない海外旅行。

それもあって、この嘗ての北欧旅行記をこの機会に作成したのだった。
撮りっぱなしで放置してあったデジカメ写真と当時の日記の断片的な記述を整理、アルバムのカタチにして閲覧できるように整形。

これで私の懸案事項も一つクリアできた。
これでまた新しい旅に出ることができる。

行き放しの旅行という生き放しの人生に無理にでも一応の決着をつけて。

「北欧旅行2006」完            

RETROSPECTIVE旅行記シリーズ刊行予定:
次回「ボスニア・ヘルツェゴビナ2001」、
次いで「ヨーロッパの暑い夏1983」
 乞期待! 
             


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