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[私家版野外徘徊記] | 釜焚き「寅福」とカフェ...![]() |
多根眼科病院白内障治験(大正・浪速・西成再見) |
ヨメがネットで白内障手術の治験者募集というのを見つけた。 私の右目はもう限界なので、とりあえず多根記念眼科病院に。 長時間かなり複雑で詳しい検査を受けた後、今回の治験参加適格、手術費・レンズ代金は無料ということなので即新発売三焦点レンズの治験参加の申し込みをした。 もう限界なので白内障レンズの選択等の情報は集めていたのだが、決断するにはもうひとつ・・・という状態だった。 しかし、治験参加で費用とレンズ選択の二律背反が一挙に解決した。 もちろん、リスクはあるのだが、どのみちもう右目はダメだったのだ。 新生活開始後即白内障手術も決定でき、転居がうまく決断を促してくれた格好。 多根眼科は以前から知っていたし、京セラドームとそのイオンに来たのは多根総合病院がきっかけだったのだ。 一昨日も京セラドーム前イオンに行ったところだったし。 一挙に懸案のうまい解が転がり込んで、本当に私の人生がリセットできるのだ、といような感慨まで。 長い検査で午後3時、遅い昼食をイオンモールのフードスタジアムで摂ることにした。 平日午後遅く、広大なドーム前イオンのフードスタジアムも閑散と。 ![]() 大いに悩み、しかし結局、古なじみの「古潭」のラーメン・小チャーハンセット。 ![]() 食後、予定通り一昨日イオンの売り場に預けておいたベランダ用ゴミ箱大を引き取り、阪神なんば線に乗せて帰宅。 閑散とした車内には数人のみ。 2メートル近くもあるが軽いプラスチックの大型ゴミ箱を車内に持ち込むのは少々遠慮があったが、広くモダーンだがあまり人もいない平日午後の京セラドーム前駅だったので安心した(^^♪ 都会といっても常に人が溢れているわけではない。 都会の裏の、のどかな、といってもいい平日午後のご近所西地帯。。 一日置き、再び多根眼科でレンズ発注用の視力決定測定。 担当林医師との面談はなく、非常に可愛い(^^)検査担当助手とだけで密着検査。 しかも初回日当アリ。 診察料支払いも少しはあったが。 一時間程度で終了したので、徒歩で帰宅することにした。 GOOGLEマップによると徒歩32分の距離らしい。 大正大橋から幅広い千日前通りに沿ってあるく。 大正大橋までははるか昔、ガキの私が自転車で探索していた地帯である。 ・・・しかし、今は道路沿いは中層住宅と中堅企業のビルが行儀よく立ち並び、あまり特色はないが、そううるさくもない適度な市街地になっている。 桜川、あみだ池、幸町とかの地名がしきりに回想に誘うのだが、今の町筋はあまりに清潔で、高度経済産業発達期以前の、おそらく・・・終戦直後の、ゴミゴミし込み入った下町迷路はその影もない。 地下鉄桜川駅の手前に南海高野線「汐見橋駅」があった。 突然、2,3年前に「南海汐見橋線」の夢を見たのを思い出す。 正確には2,3年前に見た夢を覚醒後書き留めたことをおもいだしたのだが。 多分、私はその一度も乗ったことのない路線を走る電車の夢を時に見ていたのだった。 現実にはそんな名の路線はないのだが、私のおぼろげな記憶の中では南海汐見橋線として固定してしまっている。 汐見橋は地の果ての不思議な地下駅で、そこに向かって一車両だけの路面電車が国道26号線を西に横切り、軒の低い下町の家波を掠るようにし、バカげた音をたててカーブし、地の果てに消えていくのだった。 2,3年前の夢は途中でフランスの海岸沿いになったり、突然駅舎が塔になったり、荒唐無稽の極みだったが南海汐見橋線という固有名詞は常にその夢の持続時間では消えなかった。 50年間のいろんな記憶のアマルガムをひたすら突き進んでいく列車が、南海汐見橋線だった。・・・ ついでに言えば、昨年見たJR大阪東線の夢とは遠い時空の果てのどこかに繋がり、私の「大阪」を枠組みしているようなのだ。 この日は夕方浪速区役所に住民登録に行ったのだが、すこし大回りして旧JR湊町駅跡地から続いている公園・遊歩道を伝いからがあった公園 → 鴎町公園に折口信夫生誕の地碑が。 浪速区立図書館 ・・・敷津交差点 次は大国町・・・今宮無線塔が正面に。 浪速区役所で住民登録 → 表のインスタント写真で800円投資し、敬老パス申し込み(^^♪ ヤマダでヨメからTEL、踊り場脇のソファで座り込んで大阪西地区の思い入れをいろいろ。 NASでマットと足トレ ミスト・シャワーだけ。 なんばCITY南館の良さそうなレストラン物色するがやはりすっと入れない・・・ |
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