西湖遊覧後再び上海に ..
[上海杭州霧雨紀行]

旧租界新天地散策と上海バンド夜景

2016/12/7(水)3:41
11月27日(日)

朝の窓外、これでどうやら晴れているらしい。

昨夜も行った近所の食料品屋に袋麺・粥缶を朝食兼みやげ用に数種買いに行って朝食。

食後、明日最終日早朝帰国便対策協議。
朝4時半には浦東空港チェックインなので地下鉄の最終便に間に合うように今夜中に空港に行き、空港施設内で徹夜仮眠が第一案。
もしくは市内から深夜、タクシーで空港が第二案。

では、本日上海最終日、一日ゆっくりすごしてやろう。
幸い晴れてきたようだ。

11時、管理事務室に行きチェックアウト。
夜まで荷物を預ってもらう交渉をする。
「朝4時までで?」「それは無理」
純然たるホテルではないので深夜になると事務所を閉めて担当者も帰るらしい。
地下鉄の動いている10時半には引き取りにくる、ということで合意。
事務室が閉まって居たら担当者の宿直部屋に電話する手筈。
私の携帯電話でかけるつもりはないが、ビルの守衛さんに頼めば電話くらいかけてくれるだろう。

では上海最後の一日、フランス租界あたりを散歩し、夜にはもう一度上海バンドで浦東地区の夜景をみて、ゆっくり食事をし、地下鉄の最終あたりで空港に・・・と、大体の予定を決める。

地図でだいたいの方角を決め、静安寺界隈から散策開始。 

幹線道路は広く、ゆったりとしていて車の渋滞やバイクの騒音はない。
脇道にはいると閑寂でよく清掃された町並みが続く。

あるいは上海だからかも知れないが、このプラタナス並木にはどこかヨーロッパの町の雰囲気がある。
電線は歩道上に架空されているが、直接家並みには引き込まず、電柱は街路樹でうまくカモフラージュされている。
日本とほぼ同様の気候なのに、この色濃い街路樹の見事な連なりは町にそれなりの風格を与えている。
日本じゃ多分電線に架ると危険、あるいはメンテナンスに不便ということで街路樹よりも電柱が優先。
電柱が目立たない上海の町は大阪よりよほど美しい。
大がかりな都市計画が可能な中国の社会制度のメリットである。

表通りのビル街から門衛のいる住民の居住区に入ると昔ながらの集合住宅群がある。

日本の町会組織図のようなものが掲示されてあった。
「地区主任」−「何とか委員」−「何とか小組」とかの縦割り組織図で、住民の居住もくっきりと区画されている印象。
勝手に表通りに個人の家を建てて住めるというお国ではないんだろう。

居住区には門があって門衛サン、もしくは地区委員が常駐。
人は自由に出入りできるようだが、車がくると「どこ行く?」とかチェックしていた。


旧フランス租界を目指して歩いていたつもりだが、どのあたりか良く分からん。

延安路高架沿いのちょっとした緑地の向こう側に洋風大邸宅が見えた。
いかつい門構えがあり、脇に歴史的建造物のプレートがあった。
戦前のイギリス商人の邸宅で、現在はホテル・レストランとして使用されている。

旧フランス租界の外れのあたりか。

まだ準備中らしく、庭園を整備している方の横を遠慮がちに見学していると、後から入ってきた見学者達がぞろぞろと本館に入っていく。
ホテルとして営業している区画以外は見学は自由らしい。
まったく大英国帝国ブルジョアジーの大邸宅でフランスなら「何とか宮」というChateauに分類されるような造りと調度だった。
往時の上海にはこんなモンがボコボコ建っていたんだろうか。

しかし、写真撮影はダメと言われた。 三階テラスに出て見張りの眼をかいくぐり盗撮。

先ほどの地区人民委員が統括する居住区は直ぐこの館の裏手である。
ということが往時の上海の姿だったのか。

なるべく小道を選んで歩いていくと、もう旧フランス租界からはとっくに離れてしまったようだ。

上海文学協会の門を入ろうとすると門衛サンに止められてしまった。

ヨメには上海文学作家協会より、その横で営業している簡易食堂が気になるようだ。

上海は寒いからか、あまり路上屋台食堂にはお目にかからない。
この食堂では近所の労働者が集まって路上で立ち食いしていた。


工事中の区画も多い。
一軒だけではなく一街区全体が工事中の足場に覆われていた。
足場のジャングルジムは鉄パイプではなくて竹材。

この辺り、三越百貨店の近所で日本人駐在さん御用達風の、ちょっとアヤしいクラブ発見。
「2時間400元、一時間200元。
一時間100元もあるが、但し女の子無し。」
ふむ。
悩ましい料金体系だ。

この地区には真昼間から「SEX SHOP」のネオンサインが点っている店も数軒。
共産中国のセックスショップってどうよ?
就仔細期今後的研究考察。

ヨメが空腹、もうアカンというので手近な牛肉麺店に入る。
上のアヤしいクラブの地下にあり、階段降りていくのはワクワクもの。
しかし、このラーメン店内はちっともアヤしくなく、ゆっくりとくつろげるソファー席もあり、昼食後たっぷり休憩できました。
表の看板に今週のサービス品で33元の牛肉麺が23元とあったので、ヨメが10元安いならソレにするとか。
店のおニイさんにコレ今週のサービス品で10元安いの?
と尋ねるがまったくコミュニケーションが成り立っていない。
それでもこのおニイさんはなかなか親切で、10元の割引券を持ってきてヨメに渡してくれた。
実を言うと「第5星期」は今週ではなく、金曜日のサービス品ちゅう意味だったのを後で思い出した(^^;
麺+飯で50元弱。

小売店舗が連なっている准海中路。

食料品店も多く常に人に溢れている。
歩道にまで並んで買っているのはパピヨンと称するバターたっぷりのパイ生地焼き菓子。
どの店でも行列ができている。
焼き立てなら香ばしそうだ。
ヨメが一、二個味見したいので並んで買おうとすると、500グラム単位でしか売っていないとかで、断られた。
皆並んでこういう甘い洋菓子を多量に買っているのだ。
中国の庶民の消費欲は今、洋菓子に向かって押し寄せていると見える。

別の行列の先にあったのはLINE SHOP。
中国ではLINEは通じなかったのだが。
そろそろLINEは中国進出をめざしているのか?
このLINE SHOPは電子機器店ではなく、どうもLINEスタンプのクマのぬいぐるみショップのようにみえたのだが。

そのまま歩いて行くと新天地。

嘗ての煉瓦造りの古家をリニューアルし、若向け商業地区に改装してある。

表通りの方にはガードマンが立ってチェクしている建物がある。
ソイツが第一回中国共産党大会が開かれた歴史的建物らしい。
毛沢東が同士50名と図り、この建物から非合法中国共産党を発足させたのだ。
ふーむ。

とりあえずは記念撮影を。

あ、やっぱり歴史的赤レンガの風格とのモデルは私の方が(^^)v

新天地のよく流行っていたコーヒー店で大休憩。

実を言うともう後は上海バンドの夜景を見に行くだけで、時間がかなりあまっちゃってるのだ。

この喫茶店もチェーン店だが、なかなか重厚風インテリア。
上海はクラシックな喫茶店も多い。

入店当初は客が多く私がコーヒーを注文しにいっている間に確保していた席が相席になってしまった。
若い子供連れの夫婦で、子供がうろうろして騒々しい。
インテリアは重厚だが、客筋の方はそう重厚でもなく、普通の相席路上食堂とあまり変わらない。
ハコを創るのは簡単だが、中身はそう素早く満たせない。
最先端の西洋風インテリアだがモラルやマナーはまだまだ西欧並にはいかない。
しかし、別に最後まで中国風でも一向に私はかまわんが。
少なくとも「少しばかり他人と合わない」だけで社会から完全抹殺しようとする、どこかの不寛容社会国家よりはよほどマシ。

やがて客もへり、窓際の席に移り、ヨメは店外に写真を撮りに勝手に出て行く。
そのくらいのいい加減で寛容な社会の方が住みやすい。

「咥えタバコも多かったな。」
と私が言うと、「いや、案外少なかった」とヨメ。
なんせ人口が多いので、マナーが「上」の人も「下」の人も絶対数で言えば多くなる理窟。

地下鉄に乗車するのにきちっと列は出来ているのだが、列車が到着すると降りる人を待たず、ドアが開けば即乗車という感じ。
杭州の地下鉄はわずか5年前に開業したばかりなのだ。
街には交通保安員が信号順守をチェックし、駅では鉄道保全員が乗車マナーを見張っていはするのだが。
地下鉄車内の携帯電話・・通話もさることながら、携帯端末でヘッドセットなしでTVを視聴している人も普通にいらっしゃる。
いや、日本でも携帯電話普及後5年くらいは車内の通話に悩まされたモンだったが。
エスカレーターの一方を急ぐ人のために空けておく、というマナーも中国では見かけなかった。
二人なら当然、横並びで喋りながらエスカレーターを上がっていく。

上海バンドの方角へショートカットしようと、小道を入ると急に小商店がひしめく町筋になる。

歩道の横に女性用パンツが干してあったりする。
近代的高層建築の真下に女物パンツが干してあるお国(^^;


嘗ての上海の中華系下町はこういう雰囲気だったのか?

中国・上海、西洋文化と中国古来の生活が歴史的にも入りまじり、今もなんでもアリ状態。
クラシックな喫茶店と路上に開いている小店舗群。
グッチやルイ・ビトンが入ったデパートがどかどか並んで割には、中には客はあまり居ず閑散と。
建築現場の竹材足場。

ブロック単位で取り壊され、近代ビル群に建て替わろうとしている上海中心街。

来年にはこのブロックも跡形もなく、高層ビルに建て替わっているのだろう。


地下鉄「豫園」駅がある交差点に出る。

夕暮れのどよんとした空に対岸の浦東地区の高層ビルや塔が霞んでいる。

豫園の角をかすめ、露地を抜け、本日の最終目的地・上海バンドへと。

上海バンドのビル群、終端に到着。

黄浦江の土手遊歩道に出てみると、なんだか寂しい。
上海バンドの建築群も上のホテルを除き、ライトアップはされていず薄暗い。
対岸のテレビ塔や金融センタービルも暗くて営業やっていないようだ。
え?本日日曜でライトアップはお休み?

そんなことはないだろう。 多分まだ時間ではないのだ。
多分、夜6時から。

外はもうかなり寒くなったので外灘近くの全家便利店で時間待ち休憩。

このファミリーマートはイートイン施設がなかなかの充実。
向い合わせで座れるテーブル席が並び、テーブル上には宣伝広告ビデオを流している小型ディスプレイと万能充電コンセントが用意されていた。

夜6時半、もういいだろう。
再び黄浦江遊歩道へ。

あ、やはり! ライトアップは6時から。



バンドのビル群の方も一斉にライトアップされ、さすがの壮観になっている。

上海バンドは白色系のライトで神々しいばかりに浮き出し、対岸の金融ビル街のヤツは色とりどりの電飾が動いている。



まあ、写真ならべていても芸のない話だが、せめて両岸写真を交互に(^^;

こういう場合はフラッシュを焚いて人物を浮かび上がらセルべきだったなぁ。

もういいだろう。
後から上海バンドの方に押し寄せてくる観光客の流れにさからい、夕食を場所を決めるのに南京東路から南京路歩行街の方へ。

世界中どこに行っても中国人旅行者だらけ。
裏を掻いて中国に行ったら、やっぱり中国人だらけだったりする。
膨大な中国人口は国内・海外の別なく旅行という消費を享受し続けているようだ。

南京路歩行街の中心広場に面したビルの6階美食街に行く。

表側は夜の大都会に映えるきらびやかな電飾の建物だったが、中に入ると天井が低く、地味な売り場しかない。
改装中なのか4階、5階は営業していなかった。
6階フード―コートもあまり晴れやかではなく、地〜味ィ。
表側のきらびやかさが張りボテだったかのような地方中小百貨店のどうでもいいような小食堂街風。
それでもベンチに座って休憩しつつ、6階美食街の看板につられて登って来たお上りさん風おジさんの行動を観察。
財布を持って適当な店で購入しようとすると、店員が「アチラで」と指さす。
怪訝な顔をしながらも示されたレジカウンターに行き、説明を聞き、お金を支払いカードを受け取る。おジさんはカードを持って先ほどの店へ。

なるほど。プリペイドカードを買い、店ではそれで支払う。
帰りにもう一度レジカウンターに立ち寄り残金を清算というシステム。
中国では売り子さんは直接お金を扱わないのだ。

広場の角の若者向けファッションビルの食堂街へ。
ところがこのビルの7階食堂街は広かったが客が数組しか居ず、もう店じまいしている店も。
7階に行くには店外のエレベータに乗ることに気がつかなかったりして時間がかなり経過、少々空港行き地下鉄の終電が気になってきた。
間違えて降りた6階はフロア全体が火鍋レストランで、システムがよくわからないので敬遠しようと思ったが、もうそこしか選択肢は残って居ない。

かくて、上海最終日の夕食は「火鍋」となったのだ!

席に案内され、メニューを渡されるがシステムがよーわからん。
売り子さんと何とかコミュニケーションを図り、試行錯誤を重ねつつ次第に全容が明らかに。

最初に基本の鍋の種類を選択し、この時点で鍋と調味料が運ばれてくる。
中身はすべてオプションで肉や野菜を選択し、メニューにチェックを入れる。
完成したメニューを中央のレジ台に持って行き、金を支払う。
レジの女の子がメニューのリストを伝票に打ち込み、レシートをくれる。
これで調理場にテーブル番号と材料の指示がいく。
飲み物はレジカウンターで直接手渡される。

店の中央にタレ薬味カウンターがあり、適当に自由にタレと薬味を取って来る。
むむ、ちょいと苦労したが、豪華中国火鍋を堪能。

ところで値段は案外安い、というか、メインを20元の牛肉にせず、主として野菜系ばかりにしたので、この豪華中国火鍋はたった60元(ビール込)だった。
見栄えもいいし、安く飽食できるのでこの店の人気も上々らしく、次から次に客が入り超満員。

やっとまともに夕食にありつけ満足したが、ちょいと地下鉄の最終が気になる。
地下鉄南京東路駅より静安寺に行き、急ぎ足でホテルに着いたのが22時。
幸い事務室は開いていて、やはり学生風の女性が店番していた。
無事荷物を回収し再び地下鉄に乗り裏東空港駅まで。17元。

しかしやってきた電車の行先は「浦東空港」駅ではなく、途中の「広蘭路」行き。
とにかく乗り込んで車内の路線図を確認。
広蘭路駅の下に「浦東空港行き乗り換えは22時までに広蘭駅で待つこと」という注記が中国語と英語で記載されていた。
静安寺の自動販売機では浦東駅を指定して切符を買えたが、実際はこのとき既に浦東空港への最終連絡時間は既に過ぎていたのだった。
切符は買えるが列車はもうない。
ハードはできているのだがソフトは少しばかり追いついていない印象。



広蘭駅にあと4駅というところで、車内に大声で客引きをする男が回って来る。
広蘭駅から空港まで行く白タクの客引きなのは直ぐに分かる。
旅行者らしい客に声をかけ、路線図の例の注記を指で示したりして説明している。
してみるとやはり終電がこんなに早くなくなるのを知らない旅客も多いようだ。
この時間ならタクシーしかない、と既に覚悟はしている。
地下鉄で行程の半分以上は来ているので、市内から乗るよりは格安だろう。

ーーーー以下、白タクとの交渉経過、一応記録しておくーーーー
広蘭駅で降りてから正規のタクシーを捕まえる心つもりをしていた。
同じ車両に乗っていた女性二人が客引きと商談成立した様子。
客引き男は近くにいた我々に目をつけ、営業に来る。
「わかりませーん。」と日本語で断ったのだが、女性2名のひとりが日本語を解し、男に「日本語ですよ」と伝えている。
ちょいと視線を合わせ会釈。

広蘭駅で降車する際、日本語を解する女性に「白タクといくらで契約?」と尋ねると「二人で60元」という。
60元なら我々も相乗りしてもいい。
気配を察した男は調子よく、もう契約成立したという風に我々4名を先導していく。
ちょと待て、と思うがホームに下りた途端、すさまじい阿鼻叫喚に巻き込まれる。
改札口の後ろから数十名の白タク客引きが必死で怒鳴っているのだった。

男は改札口のバーを切符なしで下からくぐり抜け、駅構内の混雑を切り裂いて我々をどんどん先導していく。
ちらりと駅前の道路が見え、正規のタクシーも走っていることを確認。

駅裏の細い路地道には延々と白タクが数十台の駐車中。
男の車の前で、料金の最終確認。
私は60元と了解したが、ヨメは50元に値切っている模様。

とにかく白タクに乗り込み、男と私は前列、女性い二名+ヨメは後列になり、ヨメは日本語を解する女性と料金の支払について確認していた模様。

少々アヤしげな様子もあったが車は深夜の高速仕様道路を空港に向かって走りだし、これで何とか最後の関門はクリアと多少安堵。

浦東国際空港ターミナル2到着。
男に50元渡すが、何か言っている。
ヨメも後部座席から何か言っている。
男は携帯電話のディスプレイに¥60を示す。
あと10元渡して降車。 車内に残って居る女性二名に挨拶。

ヨメは4名全員分100元を私が先に支払い、後は客同士割カンという話になっていた、という。
まあ、ウチが60、女性達40でもいいじゃないか。
え?アチラは50元で携帯画面上で即支払っていた?
まあ、よく事情は確認できていないが、深夜の空港に約1000円のタクシー代で到着できたので文句はない。
市内からタクシーだと200元以上は覚悟してたんだから。
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深夜の浦東空港ターミナル2着。
空港内は覚悟していたより暖かく、空港で徹夜作戦が正解だったと一安心。
どこかその辺の待合ベンチで朝まで徹夜すればいいのだが、とりあえずは空港籠城情報を収集することに。

24時間営業のスタバの所在地、深夜バスの発着場やその案内表示等情報収集に努める。


ターミナル1との繋ぎ廊下からエレベーターで行く、空港ホテルロビーも見学。
ロビー横で営業しているマッサージは24時間やっていて、マッサージ室内で朝まで過ごしても可らしい。
ただし300元超で安くはない。
フットマッサージだけなら120元。

何だか、もう一度上海に来るということが既に前提になっている調査のような(^^;

広大な空港の発着ロビーをくまなく調査、最終的に横になって眠れるソファー式イスを確保し仮眠。
この場所への侵入は多分非合法なので、所在は伏せておく。
早朝便がチェックインする時間になると同様に仮眠していた侵入仲間が起き出してくる。
なんと大半は起床してから制服を着出しだしたのだ。
早朝勤務の空港職員も密かに利用している、知る人ぞ知るプライベートエリアだったようだ(^^;

早朝発便に搭乗、日本時間11月27日(月)朝7時台に関空着。
我々が浦東空港に到着した時、東京便のチェックインをやっていた。
そちらだとかなり効率がいい。
できることなら、やはり空港で徹夜は避けるにこしたことはない。
帰国すると、ヨメと私はきっちり風邪をひいてしまっていた。


上海杭州霧雨紀行 完


西湖遊覧後再び上海に .. (final page)