白馬東急・栂池 篠ノ井中尾山温泉

 善光寺 [長野]


'12 10月16日(火)1
10月16日(火)
「何時やな?」と早朝からハハオヤの素っ頓狂な声。 
ヨメの足の様子が気がかりで、ことによればヨメをホテルに残し、私がハハオヤを連れて帰らねばならんのか?とか考えながらよく眠れない夜を経てきたのだ。
ハハオヤの相も変わらない無意味な問いにうんざりしてしまう。 
「7時くらいでしょう。外の様子見ればわかるでしょうが!」と、つい声がトゲトゲしくなってしまう。 
この人と過ごすのは3日くらいで私の側の限度になるだろう。  

 昨夜ホテルのフロントでもらった鎮痛剤を服用して寝たヨメは、大分痛みが取れてきたようで、旅行継続可と判断。
本日参拝する善光寺では車椅子の手配をしてもらうか、とかの手はずを談議。  
 ヨメとハハオヤは相変わらず自家用車とレンタカーを連ねて早朝の入浴に行く。 
白馬東急Hの温泉浴場は露天風呂付きなのに、昨日ヨメは気ずいていず、早朝の露天風呂という贅沢は今朝始めてとなる。 
今朝も快晴だったが、山の朝もやが降りていて露天風呂の外の木立に纏いついていた。 
後で聞くと、どうやら女湯ではそれを「雨天」と皆勘違いしていたらしい。

ハハオヤの自家用車とヨメのレンタカーを連ねて朝食レストランに行くと、入り口近くの席に案内されてしまった。 
出入りは容易だが、形式は朝食バイキングなんだよ。 
入り口より、エサ場に近い席の方が弱者に親切というもんだぜ。
   
身動きがあまり自由にならないヨメに代り、ハハオヤの自家用押し車にトレイをセットしようと苦労していたら、ヨメが口だけ出し始める。 「違うでしょ!お皿を後ろに置いて。もう、分かってないな」とか。
  
まことに勝手な母娘で、自分の流儀を他人が踏襲しないと我慢できないタチなのだ。 
チチオヤが酒に埋没していったのもムベなるかな。 
おっと、冗談じゃないやい。私はキミタチのチチオヤじゃないぞ! 
この辺りをマニフェストし、ヨメとホットでクールな感情のやりとりをしている最中にも「今、何時やな?」とハハオヤ。
ま、いいか。   ホテルの中庭に出るテラスでは「朝市」と張り紙があり、ちょっとした地場産品を売っていた。 
私はまったく興味がないが、この母娘にとっては相手に不足はない主戦場である。  
 じとっと張り付き、産品の目利きの真剣勝負中。  

右・下の写真、私の撮影位置の大きな変化にも関わらず微動だにしていないヨメの臨戦姿。     

足も大丈夫そうじゃないか。   

結局、信州リンゴ「秋映え」サックつめ放題500円にしたようだ。 
大きめのリンゴ14個はいってました。 
まだあと一日行程があるのに、そんな荷物作って大丈夫なん?   

ハハオヤの自家用車のトランクも空いてるし、大丈夫!と。

   
まあ、そのくらい元気なら良かろう。       

10時前白馬東急Hチェックアウト。 車椅子は借りるし、シップ薬、鎮痛剤を探してきてもらったし、おまけにこれから乗るバス用に酔い止めまで頂き、大変ヨメがお世話になりました。   八方バスセンター前。快晴。 あれ?白馬三峰ここからよく見えてるじゃないか?

どういうわけか、栂池よりの白馬大橋あたりからしか白馬連峰全体は見えないと思っていた。
昨夕も白馬八方の町場を散歩したし、一昨年だって歩き回ったはず。
常に雲がかかっていたので見えなかっただけなんだった。
到着したおとといの午後は、駅前にホテルのシャトル便が待っていたので景色も確かめず乗り込んだのだった。
今朝もホテルの5階のエレベータ前の窓から、かろうじて見える白馬五竜岳をガラスに顔をくっつけるようにして3人して見ていたもんだ。
なーんだ。町に出れば全部見えるんじゃないか。
 
しかし、これだから旅人のハナシというヤツはアテにならない。
ウチのヨメも「デンマークではみんなこうだった」とかよく言うのだが、デンマークの何処で何時頃のことだい?と子細を確認すると結局ノルウェーのハナシだったりする。
私だって、もしかしたら「白馬八方の町場からは白馬連峰は見えない」とブログに書いちゃったかもしれない。
バスセンターからアルピコ交通の高速バスで長野に向かう。
まだスキー場と白馬連峰が見えている。
 
ここからはJTBの手配外。
ハハオヤの障害者手帳で二人は半額。バスセンター内の自動券売機で小人券二枚を買い、カウンターの観光課のお姉さんに割引印を押してもらう。
あっと、栂池ゴンドラ・ロープウェーもほぼ同様な割引だった。
 
快晴でのどかなバス旅行。
列車より風景が近く、臨場感がある。
もちろん、こちらはバイクでこの道を走っていることを想像しているわけだ。
 
しかし、長野市街に近ずくと次第に都市部の暑苦しさが勝ちだし、のどかな夢想は終焉する。
バスは一時間少々で長野駅東口に終着。
降りたとたん間髪をいれず「どっち行くん、どっち? タクシー乗るんか?」とハハオヤがせっつく。
「私も知りませんよ!これから調べるんです」と私。少しは静かにして頂きたい。
 
とりあえず駅のコインロッカーに荷物を入れ、善光寺参拝に行く予定である。
バスの停留所は?それともタクシーか?料金次第かな。
母娘をタクシー乗り場付近に残し、私が駅構内の観光案内所に行き善光寺観光調査情報収集。
 
窓口のおネエさんと綿密な業務折衝を重ね、障害者2人用の完全なプランを作成。
善光寺にはタクシーで行き、本堂に近い県立信濃美術館方向の横門から入る。
帰りは山門より仲見世を降り、大門前からバスで駅まで帰る。
よし、完璧。
 
タクシードライバーのオジさんの話では、善光寺観光ピークは下界が紅葉してから、今日はそんなに、とのこと。
ハハオヤ憧れの善光寺である。
 
何でも「人は生きてるうちに一回は善光寺サンに参らんといかん。参らんと死んだ人は死んでから善光寺サンに来る」そうだ。
 
チチオヤ、待ってるかな?とハハオヤに言うのだが、どうもそっちはどうでもいいようだ。
酒クセの悪いチチオヤで、あまり仲のよい夫婦ではなかった。
 
実は善光寺については何も知らない。
長野駅から善光寺は直線で、街全体が門前町のように地図では見える。
 
しかし名前が通っている割には小規模な寺という印象。
京都・奈良がホームグラウンドであるからかもしれない。
つい、先々週には福井の永平寺に参ったが、ソチラの比にもならない。
 
ちなみに、ヨメはこの週の週末に岩手の中尊寺にも参拝予定。
考えてみるとこれは素人としてはちょいと珍しい記録を達成したのかもしれない。
一月間に福井・永平寺、長野・善光寺、岩手・中尊寺を其々違う交通手段(バイク、JR,、飛行機)で訪れているのだ。
 
このブログを書いている時点では中尊寺の黄金の三尊像も無事見て帰着している。
足は幸いたいした事態にはならなかったようだ。
一時は中尊寺は無理という観測もあったが。
善光寺についての予備知識はなかった。
本堂の参拝を済ませば、「戒壇廻り」に向かうのが順路である。
まったく何の知識もなく、善光寺の「戒壇廻り」の闇に降りていったのである。
 
本尊の下のまったくの暗闇の回廊を手探りで進み、錠前を探り当て本尊と結縁して帰ってくる。
 
階段の下、戒壇の下は全くの闇だった。
何の予備知識もなかった私は例えや方便ではない真の暗闇の不気味な質感に戦慄した。
手探りできる右手の壁が無ければ一歩も進めない。
そしてどこまでこの闇が続くのか?という知識をまったく持っていなかった。
もちろん本堂敷地内のハナシなので、知れている距離であるはずだが、真の闇では上下もない。
無限の奈落に降りていっているのかもしれないのだ。
これは表面上の謂われとは関係がなく、明らかに臨死体験装置として考案されたものである。
一切の情報から切り離された真の闇。奈落であり無明である死。
生きている我々はこの不可解な、一切の視覚情報が欠如した世界に耐えることはできない。
見えないから、無いとは認識できない。
見えないから、あらゆる魑魅魍魎の潜む架空の情報を自らが作り上げてしまう。
 
ただ、声は聞こえる。
 後方より「何にも見えん、コワイ!コワイI!」とすっかり幼女化したハハオヤの悲鳴。
なだめすかすヨメの声。
その後方の他の参集者達の気配。
 
ここで、いつもの私ならハハオヤに「あ、そこでおトウちゃん、ハヨオイデ・オイデと言ってるよ」と声をかけてあげるところだ。さすがにそれはヤレなかった。私も心からコワかったのだ。
 
お寺の戒壇廻りは地獄絵のような素朴かつ直接的な説法法だったろう。方便というやつだ。
私は比較的よく、ほぼ日常的に自分の死を考えているのだが、この臨死体験装置にかけられてみて、私にも充分「死」がコワいことがよくわかった。
それほど私の生はまだ充分なまなましくて、半乾き状態らしい。
 
このときはヨメやその他の参集者と一緒だったのだが、雨のしの降る肌寒い日、たった一人でこの戒壇廻りに降りることを思った。
一切の人の気配の感じられない暗闇で、私は一体どこに行くんだろうか?
 
いや、もう既にこの回廊の長さや、もう下には下降しないこと知ってしまっている。
場所としての情報は持ってしまっているわけだ。
今回は何の予備知識もなく、降りていったのでより不確定な闇を味わえたのだった。突然襲いかかる死の恐怖。
 
それから、タスマニアの究極の禁固刑のことを思い出した。
囚人は全くの暗闇の中の地面に直接繋がれる。手で触れる壁さえ周囲にない。
普通は数時間で発狂するそうだ。
 
うん。善光寺の戒壇廻り。病み付きになりそ。
 
善光寺へのタクシーも、このあとの篠ノ井のタクシーも、押し車や老人、障害者手帳割引の面倒さにも関わらず、親切にしてくれた。
他にも老人に親切な方が多く、多方面でお世話になった。
しかし、善光寺門前仲見世左手の最後のみやげもの屋の振る舞いはえげつない。
まるで阪大サイクリング部である。
 
ハハオヤが少し見ようとすると、さっと手に持たせる。
私が断わるつもりで、「いや、饅頭のがいいね?」と牽制すると、「そしたらコチラ」と間髪を入れず別の饅頭の箱を老人に掴ませるのだ。
 
老人はその気になり、こちらに買ってくれと差しだす。
私が会計担当である。
 
 
「おカアさん、まだ一軒目の店ですよ? まだ幾らでもいいものありますよ」
「そやけど、善光寺って書いたあるし・・おトナリにあげるんや・・」
ああ、また始まった。
 
「すんません。ちょと他にも見てみたいので」とやんわりと店主に断わる。
この時の店主の、いかにも私を敵と見下しているような仏頂面は見事だった。
善光寺なら、老人が多く参拝することだろう。
批判力のない老人につけこむような悪どい営業法を続けると、最期には自滅することになりますよ。
この項を読む人は、善光寺山門に一番近い左側の店は悪質と明記し、この事実を世界に広めてください。
 
善光寺仲見世では中ほどにある比較的大きな店でハハオヤのみやげ物を買った。 
ここは試食やお茶の接待もあるちゃんとした店だった。
ヨメは例に寄って試食可能なものほぼ全てを試している。
 
私の口にも何かわからんが、とにかく何かを突っ込まれる。
よく考えれば、まだ昼食をとってなかった。  
 
 
 
 
 
 
 
善光寺大門前からバスで長野駅。
駅の待合室の立ち食いソバを三人でシェアー。 これで昼食終了。

 

 

 

 

                     (この項つづく)



origin: [ハハオヤ連れて三人三泊信州旅行 (3)] 2012/10/25(木) 午前 5:10
白馬東急・栂池 篠ノ井中尾山温泉