篠ノ井 南河内グリーンロード

 富田林 [大阪]


'12 11月3日(土)
まさに狂騒の10月、所属合唱団の演奏会(10/21)とハハオヤメンテナンス信州旅行で週末が全部つぶされてしまった。
しかもその後も週末毎にドサまわり巡業が続き、やっとバイクで疾走できる季節になった。
と、思ったらもう結構寒いじゃないか! 
←地方巡業中の図
(11・3ヨメ撮影)
私だけが暗譜していない(^^;
 
ウチの合唱団の派遣メンバーだが、横がなんとテナーのオカモトさん!
 
この人とは実に半世紀も前に高校の合唱部で一緒に歌っていたのである。
 
私はかなりずさんで、いい加減な人生を歩んできたワケだが、最後にはちゃんとつじつまをあわし、元の場所で何食わぬ顔をして歌っているのが我ながらちょいと可笑しい。 
すっかり刈り取られたご近所の田圃。→
あぜ道でバイクを停め、のんびり撮影している私の影。
 
週末ツーリングとはいかず、こういうあぜ道・農道でアミダくじをしながら隣市のスポーツクラブに通うだけの毎日。
 
他にあれやこれやでここ二ヶ月はバイクで週二回大阪に往復していた。
 
去年までは専ら電車で往復していたのだが、ま、ちょいと電車通勤もコタえるようになったので今年からバイクで行くことにした。
 
元より私は夜の近鉄奈良線快速で座って帰るつもりは毛頭ない。しきっと立って帰るくらいの矜持はある。
しかし、若年現役諸君のあられもない席争奪戦は見せられたくもない。
御堂筋を歩きつめ、発熱した足をかばって電車を待っていると、つい心は座席争奪に参戦してしまいそうになる。
座りたければ500円で特急に乗るか、ホームで一本待て。私はバイクにする。
 
大阪行き当初はETC付き大型バイクなので当然のごとく奈良から阪奈トンネル有料道路→阪神高速13号線を利用していた。
 
9月末の福井ツーリングのETCカード支払い明細をみると、京滋巨椋IC→北陸高速木の本ICが1400円、に対し奈良→大阪の片道が1350円とほぼ変わらない。
冗談じゃない、都市部の高速料金、バカバカしいほど高すぎる。
特に、阪神高速料金には軽・二輪の設定がなく、普通車料金を支払わされる。
普通車一台のスペースがあれば二輪なら優に2台は走行できるのである。
そして、せっかく割高な高速料金を支払っているのに、夕方の東大坂料金所付近では常に渋滞する。
そんなバカバカしい料金を支払って週二回も往復するなんて、どうしても腑におちない。
私は貧だが困ではない。支払うべき価値がある料金なら支払うにやぶさかではないのだが。
 
大阪には下道で行く、というのが人としての正しい生きる道である。
ま、夜間の帰路はメンドクサイので30分で帰れてしまう高速道路にするけど。
 
しかし、奈良→大阪を楽に越せる下道はない。
というわけで専らここ2ヶ月は大阪への苦痛の少ない下道ルート開発に明け暮れていたのである。
 
○一番早くて楽なのが阪奈道路(R8)経由だが、大東・寝屋川あたりのラッシュの混雑はただ事ではない。
○普通車なら二番目に来るのが国道25号大和川沿いのコースだ。
しかし、この片道一車線の国道は最悪で、途中でリタイアし未だに完走したことがない。
ただし、国分以前の大和川沿いの渓谷美は都市部とも思えぬのどかさで、捨てがたいのだが。
 
○自宅からもっとも直線的に大阪・枚岡に抜けられるのがR308「暗峠」(くらがりとうげ)越え。
枚岡からは高速13号下の中央道で本町直通。
しかし、これは全国区のメジャー酷道である。 のどかではあるが、急いでいるときは頼りにならない。
 
○他、十三峠越えルートは公式には二輪通行禁止、信貴山越えの農道も柏原からはR25と同様になる。
 
○結局、阪奈道路→阪神高速13号の荒本出口まで200円と中間だけ高速の割引料金区間を利用するか、
西名阪自動車道で八尾長原まで600円で行き、中心街を大きく迂回し長居公園線で住江、更に新なにわ筋で阿波座本町まで行くかという折衷案が有力ということになってきていた。
 
ちなみに、大阪市中心街に入ると道路も複線になり、かなり流れは良くなる。
だからボトルネックは大東・東大阪・八尾・藤井寺というような府下衛星都市の西行き片道一車線国道である。
このなかで、もっとも南に外れているR479長居公園線が片道2車線で混雑度もそれほどではない。
 
と言うわけで長居公園→住之江→津守→芦原橋というようなコースも何度か試した。
実をいうと、この大阪市南西の庶民住宅、半商業地帯が私の高校時代までのテリトリーだったのだ。
少年期に憑かれたように歩き回っていた地帯を今バイクで走る。
リタイアしてから初めて運転し始めた私にしか味わえない遠い時間層へのショートカット。
思いもかけないノスタルジーの噴出。
何度もリタイアし、海外まで転居放浪しつくした私が、気が付けば元のオカモトさんの横で歌っている、というような。
そのようなノスタルジーの紗をかけてしまうと、庶民の町の喧騒と交通渋滞も妙に懐かしい。
私が何もわからずただ生きていた雑漠とした大阪の下町。
 
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冒頭の地方巡業は11・3(祝)の大阪符富田林市でのお座敷だった。
天候もまあまあだったので、ヨメを写真班ということにして自宅からバイク2台で行くことにした。 
京名和道無料区間で橿原、大和高田バイパス県道30で二上山の麓。
 
時間があるので當麻寺を通り過ぎ、道の駅「ふたかみパーク當麻」に立ち寄る。
4,5年前に一度来たが、あまり近いのでもう来ることもなかった。
大和高田バイパスから反対側にある葛城山麓公園ならよく立ち寄るのだが。
 
 
展望台への階段でイナバウアーをするヨメ↓
 
あじさいの頃には見事な眺め・・だろう、と言いつつ、その時期に来たことはない。
 
こんなところに池あった?
あったよ。
え?私は知らんけど?
 
三年も経れば記憶は混濁し、適当に変節し、他と融合し、勝手に場所が移動していく。
それもあって、ブログにせっせと記載しているワケで。
 
 
 
 
 
もう一度引き返し、當麻寺の前を通り過ぎて国道166「竹ノ内街道」を越え大阪府太子町に抜ける。
竹ノ内街道も昔、ヨメとタンデムで越えたハズだが、コレ↓には気がついていないかった。
竹ノ内街道道の駅「近つ飛鳥の里・太子」駐車場より遠望できる富田林のPLタワー、じゃなくて大平和祈念塔。
巡業目的地が富田林なので、少し予習をしていて初めて気が付いた。
私は大阪下町の産で、富田林と聞くと「大阪府南の端のドイナカ」というイメージを抱いていた。
少年期の地理感覚をタイムカプセルに温存し今日まで封印していたワケだ。
 
真実が今にしてやっと解明されたのだ。
アソコが富田林。つまり竹之内街道を真っ直ぐ下ればソコがすでに富田林である。
ウチからも見える二上山のすぐ裏側(大阪側)が、あの地の果て何百里人跡未踏生きては帰れぬ富田林だったのである。
なんと! 賞味期限がとっくにすぎた私の残り少ない生あるうちに富田林が、つい目の前に!
道の駅で値札を間違えてヨメは太子町産しいたけを買い、府道32号に降り、石川河川敷公園を通過し、無事当日の巡業ステージに到着。
同時に古市からタクシーで到着した他メンバーも到着して、つつがなく公演を終える。
 
出演もしてないのにしっかりほうばっているヨメ。
 
お寿司、おでん、トン汁のイベント料理は非常に美味。
思わず、お座敷に声をかけていただいた主催者サマに「次回は何時開催ですか?」と訊ねてしまった。
「次回は800年の御遠忌、50年後ですね」 「はぁ・・・・」
 
府道32号線(新道)沿いの街路樹は見事に色づき、河川敷公園をまたぐ橋から山側を振り返るとおだやかな秋の南河内の雰囲気があり、私の大阪に新しい景色を追加してくれた。
しかし、幹線の国道170号線はしっかりと混雑し、国道沿いの家並みは新旧入り乱れて過密し、見事に大阪してました。
人跡未踏地の果て富田林、アレは少年時代に見た夢のハナシだったか(^^;

 

origin: [大阪河南への道 (1)] 2012/11/12(月) 午後 7:10
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