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桜峠・美杉リゾート [三重] |
'13 6月4日(火)
鬱はどこから来るのでしょう?
山越え野越え里越えて 鬱の国からくるのでしょう。 6・4(火) 天気がいいから外に、とヨメから遠隔指示あり。 何も深く考えず(元より考えることはないのだが)、朝からバイクで出かける。 あてもないが、昨年行ってなかった美杉リゾート日帰り温泉にでも行く、と決めて走り出すが、途中で別に他の場所に変えてもいいのだ。 さて、しかし三重県にはどういけばいい? あ、名阪国道に乗るんだっけ? 途中、名張市街に迷い込んでしまうと交通が煩わしいのだが。 適度に迷い、とにかくR165に出て、やっと見覚えのある県道29号に抜けることに成功。 あとは全部山と里の穏やかな風景。 三重の山間部は緑が明るいし、道路事情もよく交通量は少ない。 県道29号を真面目にたどっていけばメナード青山に誘導されてしまう。 もっと南を走る県道39にバイパス側道を抜けて分岐する。 県道693で抜けたのだが、これはあまりに狭い山道であまり面白くはない。 もっと前の県道691がよろしかろう。 天気もよく、まだ蒸し暑い季節ではなく、走行する山の空気はからりとしてさわやかだった。 このうえないツーリングの季節である。 しかし、自発的には外に行く気にはなれない。 何をするにもおっくうな鬱の季節。 走り出せば、交通と景観に気をとられ気も紛れようというもんだが、頭の中では放っておくと次第に過去回想モードが始まっていく。 過去の何気ない記憶がフラッシュバックする。 県道29と291の分岐地点あたりでいつかヨメと写真を撮った。 美杉リゾートへは一度ヨメを先導させてしばらく県道15を走行したこともあった。 どこに行っても、頭の中では回想が途切れもなく湧きだし、うるさい。 一度県道39号で美杉まで行こうとしたが、途中の桜峠から道路が不通で、直交する755に左折しメナード青山に戻ったこともあった。 里道から山中に入ると急に道路状況が悪くなり、落石がいたるところにあり2速でしか進めない。 しかし、桜峠に通行止めはなく、「只今木材伐採車両が使用しています。注意してください。」とかの看板があった。 峠を過ぎると美杉林道があり、奥に木材伐採車両が停車中。 しばらく下ると急に開けた川原が出現。 停車してしばらく偵察すると、古い堰の上の淀み溜まりだった。 豊水期には全体が池になってしまうような様子だが、本日はただの開けた川原の様相。 では、ここで川原ごはんにいたしましょう。 いつもなら野外ラーメンだが、本日はカップ麺の手持ちもなく、朝の残りの野菜サラダと冷凍してあったパン。 三重県の山中の河原で川原ごはんを食べ、空を見ている。 じっとしていると、じわっと涙が出てくるような気配がある。 別に何か悲しいことがある訳ではない。 気分が弾まないのだ。 「何か自分がみじめで泣けてくる」というような様相といえば近い。 しかし、私は実際決してみじめなわけではないのだが。 鬱はどこから来るのでしょう? 山越え野越え里越えて 鬱の国からくるのでしょう。 先週「クローズアップ現代」で日本を仕切る阿部晋三を見た。 モザンビークに大規模大豆プランテーションを、中国に負けるな、日本は現地と共存して共に発展していく・・ その朝、モザンビークの農民代表が現場の農民を無視した開発をやめてくれ、と訴えていた。 勇ましく世界を仕切る人が煩わしい。 スポーツクラブでコースを仕切る人。 合唱団で団員のモラルを仕切る人。 そのような世界に囲まれて私の場所がある。 いや、私の場所なんてもとよりどこにもない。 私を仕切ろうとするな。 世界を仕切ろうとするな。 いや、もう仕切る世界がない私の中の仕切ろうとする本性が、私を嘲笑っているのか? ハイデガー研究者木田元の「ピアノを弾くニーチェ」(エッセイ集)の中に晩年のニーチェの姿が報告されている。 ニーチェは精神を患い、イエナで母親に付き添われて晩年を過ごしていた。 母親はどこに行くにも心を病んだニーチェが付きまとってくるので、外出もままならなかった。 しかし、ピアノのふたを開けて和音を弾くと、ニーチェがそちらに気を取られ、二時間も三時間も和音の変奏を試みている。 その音が聞こえているうちに母親は外出する、という。 私はイエナびいきなのだが、そうか、ニーチェだったのか。 「世界を仕切る人」に敢然と楯突いた超人思想の轟然たる髭ずらのニーチェなのだが。 心を病んでイエナで幼児化し母親に付きまとわっていたのだ。 最近私もかなり幼児化が進み、ヨメの呼称が「おヨメちゃん」になっているのは気がついてたかな? 子供の頃市場に行く母親に付きまとい、交差点の信号で「家に新しい時計が来てる」と言われ、一度帰ってすぐ交差点に引き返すと、母親は弟の乗っている乳母車を押してもう道路の向こう側に渡ってしまっていた。 私は泣きながら家に帰った。 と、昨日もヨメに語ったところだった。 結局私も一人でピアノを弾いているだけの人である。 昨年は行かなかったのだが、美杉リゾートホテルアネックスの日帰り温泉は健在だった。 道路側の放置された遊園地遊具の老朽化はますます進行してましたが。 しかし平日のホテルはみごとに誰もいない。 これで大丈夫なんかいな?と気にかかるのだが、しかしだからこそ私には落ち着ける場所である。 平日の午後、私一人のためにとうとうと音を立て豊饒たる湯しぶきを挙げている露天風呂。 いやあ、のんびり、すっきり、晴れ晴れと、すべきでありましょう。 朝からバイクで遊び、山でコーヒーを飲み、真昼間から一人温泉に浸かる。 なんと気楽な隠居だろう。 しかし、満たされない思いがある? いや、そんなものはとっくに忘れたハズ。 入浴後、まだ日が高いので裏山の「森林セラピー」コースを少し散歩。 突然、野生のシカに出くわし、しばらくシカと遊んでみる。 世の中よ道こそなけれ思ひ入る 山の奥にも鹿ぞ鳴くなる しかし、実際の鹿の鳴き声はピーっと鋭い警戒音である。 非常に良く通る鳴き声で、とても古の歌人の幽玄の趣ではない。 奈良公園あたりの鹿を見て詠んだ思い付きの歌だろう。 帰り道に寄った比奈 知ダム湖↓ 通例では美杉から御杖、曽爾と奈良県伝いに帰るのだが、今回はもう一度三重県よりのR368伝いに帰ってみた。 おかげで夕刻の名張市街地の渋滞に少し巻き込まれてしまったのだが。 今年は一度、ヨメと曽爾村から県道81号で香落渓を抜け、青蓮寺湖から帰ったこともあった。 どちらの道も大きなダム湖が名張の前にあって、似たような印象。 なんとか名張市街地を回避するルートを開発する必要がある。 名張・青蓮寺湖を通るといつもヨメとの最初期の頃のデートを思い出す。 曽爾村に行くのに赤目で近鉄を降り、相乗りタクシーで曾爾村に行った。 そのときはじめて青蓮寺湖を見た。 もちろん、バイクに乗るずっと以前の話で、曽爾村なんて全くの方向感のない遠い地名に過ぎなかった。 遠い昔。 もちろんヨメの中身がすり替わる以前のことだ。 こちらは、帰りに通りがかった全く人気のない天理ダム公園で見かけた大きな青大将。 桜の季節以外の天理ダム公園は夏草が脈絡もなく生い茂っただだの山地に還っている。 バイクツーリングは悪くはないのだが、帰り道が煩わしい。 往路ではまだかすかにあった高揚感も出つくし、ただの見知った道をだらだら帰っていくだけのことになる。 そういう時にふつふつと脈絡もない回想の光景が浮かんでは消えていく。 まるでヨメがもうとっくに逝ってしまっていて、遠くの、もう二度と還ってこない光景を思い出しているような、ほのかな悲しみが付随している。 2011年にドイツに行った夏前にもバイクツーリングの「鬱バージョン」を書いたことがある。 あの時も帰り道で一緒に居もしないヨメがうるさかった。 東吉野の山道を降り、三叉路でヨメが頭の中で「左!」と言う。 私は振り切って右に行く。 そんなことはない。ヨメは現実に生々しくも存在しているはずだ。 今朝もヨメに「天気がいいのでバイクで外に行く!」と命令されたので出てきたのだった。 しかし、ヨメに限らず、何故かすべてが回想の中でのことのように思え、もう二度と触れることのできない光景のように見えてしまうのだ。 現実感の希薄化。 どこからか漂ってくる仄かな悲しみ。 --- ここにして、私は初めて真実に気が付いてしまう。 ヨメの方ではない。 本当は私の方がとっくに死んでしまっていたのだ。 私はあの時死んでしまって、もうとっくにこの世にいないのだが、自分ではそのことが未だにわかっていないのだ。 どうしてもウソくさい、私の居る世界へのなじみようもない違和感の根源はそれだった。 ここは、もうとっくに死んでしまっている私の意識に映っているだけの、裏返しの回想の世界に過ぎないのだ。 ----------
参考: 木田元「ピアノを弾くニーチェ」新書館 2009 M. Night Shyamalan ”The Sixth Sense” 1999 鈴木清順「ツゴイネルワイゼン」1980 origin: [三重県道39桜峠越えで美杉リゾート日帰り温泉(鬱バージョン)] 2013/6/6(木) 午前 2:42
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