富士・西湖・風穴 レイクヴィラ信楽温泉

 本栖湖・朝霧高原 [静岡]


'15 3月14日(土)
3月14(土)

「富士みどりの休暇村」朝食バイキング。
週末でまずまずの宿泊者だったが、昨夜のリベンジで早めに食堂に行き、窓際の席を確保。

しかし、どんよりとした曇り空で富士は気配だけしか見えない。
どうやら好天は昨日でおしまいらしい。

では本日で旅行は終了。

一本しかない交通機関の富士急バス路線の途中、朝霧高原か本栖湖で下車して昼食か。

時間はたっぷりあるので、在来線でのんびり名古屋まで行き、近鉄で大阪でどうだろう?

新幹線ルートでは往きと同じであまりに芸がない。

鈍行に乗って、田舎の気色を見、窓からお茶と駅弁を買い、トンネルに入って煤で顔を真っ黒にして・・・それって何時の時代の話?
ま、汽車が走ってるワケはないが、「鈍行の旅」には何となく過去からののどかなイメージが浮かび上がってくる。 ←現実はちと違ったのだが(^^;

チェックアウトを済ませ、路線バスが来る30分前に道路沿いの道の駅「鳴沢」に移動。

背景の富士はもう殆どわからない。
こんなに近くても曇りなら良く見えない。
とすると、昨日までくっきりと見えていたのはかなりの好機だったのだ、と喜んでおこう。
道の駅で、最後の買い物をするハハオヤ。

←この辺りで鉢植えを見ている

しかし、バスの時間が迫っているので店内には入って戴かないで表で待機。


向かい側の富士の博物館(無料)を偵察に走っていったヨメから、「行く意味ない」との報告を受け、バス停に急ぐ。
で、ですね。
相変わらず「緑の休暇村」ロビーでハハオヤはテレビを見て時間を過ごしているのである。

バス停に掲示してあった時刻表には4月から10月運行と書いてあることが判明。
ハイシーズンしか運行しない路線のものだった。
富士急バスに電話して現在の時刻確認するが、やはり本栖湖レストハウス前行きは運休中。
すったもんだしたが、2時間の一本の「新富士」行きに乗り込む。
本栖湖か朝霧高原で降りるつもりだったが、運転手のおジさんに連絡のバス時刻を確認し、途中下車して2時間も次のバスを待つくらいの施設はなさそうなので、「新富士」直行と結論。

いや、在来線で帰阪予定なので「富士宮」駅までか。


車窓からの本栖湖→
あまりぱっとしない天気なので空も木々も湖もぱっとしない色だった。

本栖湖レストハウス前から60台中心と思える元気なおバさんグループが乗り込んできて、急に車内がにぎやかにも姦しくなる。
「本栖湖さん、ありがとぉ〜」とか叫んでいる。
いくつになっても女学生。
ついにリーダー格の女性が「車内では静かにしましょう!」と一括(^^;

朝霧高原付近で少しは天候が回復、富士は近かったが往路の好天の比ではない。
昨日まであんなに良かったのにね、と前の席の女学生連の一人と会話。

途中、朝霧高原、なんとか牧場等富士展望には格好の場所もあったのだが、車でないと自由に散策できない地域である。
「富士宮」駅前に着くと同行の老女学生連もさっさと降車、在来線で来られるような地元近隣の方だったのか。

富士宮で昼食をするつもりだったが、とりあえずJR駅で時刻を確認。

「在来線で名古屋まで」と駅の窓口で検索してもらう。
なんと、本当に鈍行ばかりを数本乗り継いで名古屋着5時過ぎ、という選択肢しかない。

「いや、在来線で、というのは新幹線を使わないで、という意味で、急行とか特急とかあるでしょう?」とあわてて訂正するが、本当に昼間は鈍行・普通列車しかない、という。

本日(3/14)北陸新幹線開業で多数の在来線特急が廃止されたとのニュースも見た。
アナログ的中間層のないデジタル式格差社会はJRでも。
勝ち組新幹線と負け組鈍行との落差がいかなるものかはいずれ明らかに。


「名古屋5時?ならいいんでは?」とヨメ。

結局、鈍行乗継運賃だけ切符を買い、「駅弁」を買うような場所も時間もないまま身延線富士宮駅ホームへ。

なんと、富士宮駅というのは東海道本線ではなく身延線だったんですねぇ・・・

身延線列車は日本で初めてお目にかかった乗客が自分で扉を開ける形式のヤツ。
昔の汽車なら自分で昇降扉を開けたような記憶はあるのだが。
ハハオヤが乗り込もうとしても扉が開かず、横で待っていた高校生風がサッと扉開ボタンを押してくれた。
甲府からの身延線普通列車は比較的空いていて、のどかな地方都市郊外の風景を楽しんだ・・と言いたいところだが。

どこも似たよなプレハブ住宅の類型的な光景で、ウチの県の沿線の光景と何ら変わるところはない。 
2,3駅経過するともう「鈍行の旅」に飽きてきてしまう。



東海道本線乗継の富士駅着、即浜松行き鈍行に乗り換え。
東海道本線になった途端に通勤ラッシュというくらいの込み具合。
かろうじてハハオヤを優先座席に座らせ、ヨメは反対側の座席を確保したが私は押し車を持ったまま立っている他はない。

のどかな鈍行の旅? 駅弁買って車内で食べる?だと?
そのうちハハオヤが横の学生風とちらと目が会ったのか何やら話を始める様子。
何をいってるのかわからん学生風は「はぁ、はぁ」と生返事をするのみ。
若いのに優先座席座っているとそういう目にあうのだよ。

由比浜でチラリと車窓から海も見えたのだが、景色を鑑賞しているような余裕はない。
終に、鈍行の旅は中止して静岡で降車し、新幹線に乗り換えることにする。

静岡で降車しようとすると、車内の大半の乗客もここで降車する気配。
ホームにハハオヤも降ろし、出口方向に歩くと大半が降車した社内はガラガラの様子。

ヨメが「行けるよ、もう一回乗ろう!」とか言う。
何と貧しい育ちなのか!一旦新幹線で帰ると決断したのにもかかわらず!
で、すぐ隣の車両に急いで乗りなおす。

浜松までの2時間、また途中で混んでくるのだが座席は確保したので何とかこのまま鈍行で名古屋まで行けそうである。
結局、豊橋でトイレ休憩をして一列車遅らせたが、夕刻名古屋着。
名古屋駅構内のグルメ横丁で昼食兼夕食。
結局この旅行中、まともに昼食をとったことはない(^^;

←やれやれ、後は近鉄特急で帰阪するのみ。
テーブルにはホームで買った熱いコーヒー、という余裕。


「鈍行列車の旅」のエピソード2件を報告しておく。

1)浜松で豊橋行きのホームで列車待ちをしていたところ、にぎやかだが、颯爽として本栖湖老女学生の一団が一列縦隊でホームを駆け抜けて行き整列。
なんと、この元気なグループも「地元の方」ではなくて「鈍行の旅」同好会だったようだ。

2)同じく豊橋行きの列車に乗り込んだところ、シートはすでに満席だった。
車内に乗り込んだ押し車のハハオヤを見、一人の中年男性が席を立ってくれた。
「いいですよ。優先座席の方にいきますから」と断る。
少し離れた席の女子高校生風が何も言わず席を立ち、別の車両の方に行ったので、強制的にハハオヤを座らせた形になった。

7人掛け非優先座席ロングシート2つ、14人の内2名が自発的に席を譲ってくれたことになる。
浜松では親切な人混入率はそのくらいの確率?とかヨメと喋りながら、先ほど席を譲ってくれようとした中年男性を密かに観察したりする。
多分、会社でも押しが弱く、エライさんがくるとすぐ腰をあげてしまうような人。
都会のサラリーマンはとても務まらないような人だろ、とか失礼ながら勝手に小声で論評したわけだ。
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大阪のアジト(ハハオヤ実家)にハハオヤを送り届けたヨメから無事帰宅の報告。
午後9時、ハハオヤ実家のある大阪キタ地区の地下鉄を降りた時、一緒にホームを歩いている人の中に見覚えのある人物がいたという。
なんと、浜松からの鈍行車内で席を譲ってくれようとした奇特な中年男性その人(!)だったと。その後声をかけて確認したという。

あっと驚く偶然の確率。
豊橋や名古屋で時間を潰し、しかも名古屋から近鉄という大阪駅非経由のルートだったのに、何と最後の駅で一緒になっていたとは!

そんな訳で「鈍行の旅」は最後に面白く終えることができた。
おかげ様です。ありがとうございました。


(しかたなし富士紀行 完)

origin: [しかたなし富士紀行(4)] 2015/3/24(火)4:30
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