舞鶴一泊via高速バス(1) 吉原入り江・田辺城祉 ...

 引き揚げ記念館 舞鶴一泊(2) [京都]


'23 6月17日(土)1
スーパーホテル東舞鶴の朝。

朝食は6:00から8:30まで。
いつが混むのか分からんが、朝風呂帰りのヨメを待ってたらもう7:30過ぎ。
最後の一時間は混むのでは?
ロビー奥の朝食場に行くと朝食客が入口付近にウロウロと。
私はそのままバイキング内容を確認にずかずかと入っていくと、丁度目の前の奥のテーブルが空いた。荷物を置いてソレ確保(^^♪
どうやら入口付近でたむろしていた数名は入場待ちをしていた風でもあるが、まあ、要領の問題でしょう(^^;

スーパーホテルは確か「健康朝食」と称して、メタボ回避風のつまらん少量を出していた記憶があるが、今回はまずまずの内容。
ソーセージや焼きそばもあり、パン食、ご飯食どちらも可。
味噌汁・ノリ、カレーライスもあって、久しぶりに一時間たっぷり滞在させていただきました。

流石に8:15に”料理の追加ナシ”宣言がでる頃にはかなりの空き席が。
例によってウチは最後の客(^^♪ 
最後にコーヒーをカップに入れて部屋まで持って帰る。

身支度し、9時半チェックアウト・・・といってもスーパーホテルでは全て込みの前払い、部屋は暗証番号キーなのでフロントを通さず、勝手に退出する方式。

本日の予定は路線バス一日乗り放題の”かまぼこ手形”を仕入れ、バスで先ず「引き揚げ博物館」方面に行く。
で、適当にその他観光し最後に西舞鶴に行き高速バスに乗る。
とりあえず、”かまぼこ手形”を買いに東舞鶴駅のバス案内所に行く。
どこに行きでも路線バスは駅前から出てるだろう。

本日は土曜日だからか、朝駅に向かう海上自衛隊の制服組がそこここに。
逆に考えれば、日本では軍人サンを町で見かける機会は殆どない。
海外では軍人サンも普通に職業なので、制服を着て兵隊サンが歩いているのは普通の光景だが、何故か日本では見かけない。
町に出るときには日本の軍人サンは多分私服に着替えることになってるんだろう。

とか、私の足の状態をなだめながらゆっくり歩いていると、ヨメが「スマホ忘れてきた!」と。
おいおい。
あわててホテルに電話。
結果、スーパーホテルは個別チェックアウトがないので、ホテルの掃除は全室一様のチェックアウトタイム10時からしか始めない。
従って部屋はまだわれわれの使用契約中。忘れ物ならまだ部屋にある、と。
ヨメがホテルに走る。私は今回は走れないのだ。

この間、私は駅の案内所で「かまぼこ手形」を買い、適当に路線バスで次の停留所「実業会館前」まで行くことにする。そちらの方がホテルに近いのだ。
車内でヨメからの電話を受ける。「実業会館前に行って、来たバスに乗れ」と指示。
しかし、ヨメがバス停に来る前にバスが到着し、私は降りた。
同時に、道路向かい側をヨメが走ってくる(^^;

乗り放題”かまぼこ手形”を買ったが、後で路線図や時刻表を確認すると、路線バスはそれほど便利ではない。舞鶴のバスは圧倒的に本数が少ないのだった。
市内循環はほぼ二本/1hだが、他は一時間に一本・・・ならまだいいのだが・・(^^;
次のバスまで一時間待ちだぜ。

時間つぶしに海岸沿いまでゆっくり歩く。

昨日は省略した公園の橋を渡って対岸のガラス張りの明るい施設を見に行くつもり。

舞鶴の町は”評判通り”何もない(^^;が、本日は晴天なので湾内の穏やかな水と対岸の緑がすがすがしい。

橋を渡って気になっていた対岸のガラス張りの施設到着。
残念でした。

レジャー施設・レストラン等ではなく、公民館又は保育園だった。

元来た道を町まで引き返す。
一時間では他に出来ることもない。

これはなかなか昭和レトロな映画館、しかも現役らしいぞ。

町のバス停で少し待って「引き揚げ記念館」方向行きのバスに乗車。

相変わらず交通量の少ない町場の道路。

バスは橋を渡って対岸(ではないが)の郊外へ。

地元のご老人達と後は一組だけ中国語の観光客。
バスの中でもお国風によくおしゃべりになっているので中国語と分かるのだ。

やはりこの辺りの入り組んだ内海の風景は舞鶴らしい。

なんだか観光しに来たという気分が。

舞鶴鶴橋(舞鶴クレインブリッジ)の全景が見えた。

こちらサイドは海自の学校や実習施設がおおい。
それと日本板硝子の工場。

舞鶴クレインブリッジの手前の「引き揚げ記念館」到着。
バス停は記念館の駐車場ではなく、表のタダの道路のかなり記念館よりは外れた場所に。
本日はまったくの快晴の夏日。かなり陽ざしが熱い。

記念館の駐車場から鶴橋の片鱗が見えているが、暑いので先ず館内へ。
入館料400エン。
ちなみに”かまぼこ手形”を見せれば無料・・・だからコチラに来たのだが(^^;

私の記憶の中では舞鶴は「引き揚げ港」というイメージが強かった。
子供の頃、映画館のニュース映像で”引き揚げてきた抑留者が舞鶴港に到着”というヤツを確かに見た。
最初の引揚船1948年ナホトカ出航の栄豊丸。
最後の引揚船1958年9月7日白山丸・・・
私にとって同時代の戦争記憶でもあるのだ。

それが今はユネスコ世界記憶遺産に登録されたとはね。

これがシベリア抑留者が書き記した日記、紙ではなく白樺の皮。
小さくよく揃った活字のような几帳面な文字面だった。

11年に渡り抑留者を運んできた引揚船。
多くは貨物船、たまに軍船。

収容所(ラーゲリ)、当時の音訳ではラーゲルと書かれていた。

収容所内の再現生活モデル。

時としてマイナス30度になったという。
この部屋は確かに寒気がした。

収容所内の光景を書いた絵。
粛清、密告、権力癒着・・・今でも同じなのかも。




まあ、それなりに興味深く見てまわれた。

で、さて次の場所に行こうと思って、記念館の休憩所(元は食堂だった形跡アリ)で今後の作戦を練る。
これから鶴橋方向の観光施設らしきポイント、舞鶴自然文化園とかに回ろうか、・・・
とか考えながらバスの時刻表を検討。

えっ!もうバスがないやないか!
この休憩所に入ったのが12時くらいで、「引揚記念館」発のバスは12時01分に出てしまったところ。後は午後2時近くまで皆無。
各路線ごとに分けられた細かい時刻表を検討してやっと目的路線を同定できたのだが、行くにしても戻るにしても、もうしばらくここからの接続はないと判明。

ヨメが記念館の受付まで行きバス接続確認。
「あ、そうなんですよ。12に出てしまって、後は・・・」と写真上の簡単なバス発時刻表を御下賜下さったそう。
「そんなもん、机の下じゃなくて大きく看板にして出しとくべきでしょ!」とヨメ憤慨。

この近辺は町場はなく、どこにも食堂・店屋はない。
結局、この施設内で二時間近く飲まず食わずで過ごさねば。

やっとのことで駐車場脇に飲料の自販機を発見、渇死だけは免れた。
外の海の見える東屋で休憩したが、すぐ飲料ボトルは空になり、二本目も後で購入。
まあ、しかたがないので記念館の裏山遊歩道に昇ることにする。

この道の植樹は全て全国の戦友会、抑留同郷会の寄贈木札付きだった。

裏山遊歩道上の展望所到達。

平和祈念オブジェ他。
展望所だが、そんなに視界が開けているわけでもない。

鶴橋も完全には見えない。

対岸に畑と漁村が見えた。
のどかな光景。


おへそが見えた。
なかなか60とっくに越えたおバァさんのファッションには見えんです(^^;

ナホトカはアッチの羅針盤。
まあ、静かでのどかで無為な午後の光景というか。

あまりに暑いので、元の記念館の休憩所にもどり、二本目の飲料を空ける。

さて、ようやく13時48分のバスを待つ。

記念館無いではなく、ブラインドカーブのある外の道路上。
信号も横断歩道もなく、少々危険な停留所だが?

とりあえず起点の東舞鶴に戻る。

vo:[舞鶴一泊via高速バス(2)] 2023/6/23(金)13:46 <Re:2023/6/27(火)15:12>
舞鶴一泊via高速バス(1) 吉原入り江・田辺城祉 ...