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[日本語・外国語] |
欧米人名の呼称 |
2007/1/17
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私の同僚に「山本エミリ」さん(仮名)がいる。米国籍だけど、山本氏と結婚したので「山本エミリ」と名乗っている。 この人は会社では「エミリさん」としか呼ばれることはない。 これは2重どころか3重くらいにおかしい。 その「おかしい」という感覚が「エミリさん」と呼ぶ人と共有できないので何時も困ってしまう。 先ず、日本の姓名呼称の習慣では会社のようなオトナの社会では「名前」ではなく「姓」を呼び合うのが普通だろう。 現に日本人同士だったらちゃんと「姓」+敬称で呼び合っている。 どうして外国籍であっても社員同士なのに「姓」を呼称しないんだろう? 欧米では職場で「名前」を呼び合うこともある。 むしろ下級雇用者同士だと「名前」を呼び合う方が普通かもしれない。 その意味で「エミリさん」と呼びかけている人は、欧米式呼称方を過剰サービス風に採用しているのかもしれない。 しかし逆に「エミリさん」からは、姓ではなくて自分の名前を呼ばれたいと思っているというわけではなさそうである。 自分は相手の名前を呼ぶけど、相手が自分の名前を呼ぶのは許さない一方通行の勝手な呼称システムである。 第一、相互に名前を呼び合う呼称体系だとすると「エミリ」「キヨタカ」風に敬称抜きで呼び合うことになるハズで「エミリさん」と敬称をつけているのはちとおかしい。 結局これも日本の習慣とか欧米流とかまったく関係が無くて、ただ単に外見容貌が欧米人である婦人を日本の姓「山本さん」と呼びかけるのに違和感があるということだけではないか、と思える。 いってみれば「ガイジンはガイジンらしくないと」という気分である。 どうして「山本さん」と呼ばないの?と訊ねると、件の「エミリさん」呼称者の返答は「だって、エミリさんはガイジンだし」ということでありました。 これは困ったもんだ。こういうのを差別というんだけどなぁ。多分本人は差別しているという意識はないんだろうなぁ。 (00.6.12)
(追記) サダム・フセイン イラク元大統領の死刑が執行された。(06.12.30) これを報じるNHKのニュースでは「フセイン元大統領」という呼称を終始使用していた。 姓名基準はイスラム圏では又違ったシステムが行われている。 このサダムの次のフセインは父親の個人名である。姓ではない。 だから「フセイン元大統領」という呼称では誰も示していないことになる。 これを西欧式に「姓(family name)」と単純に決め付け、使用し続けたNHKはじめ日本のマスコミ各社の不見識と、イスラム圏文化軽視は容認しがたい。 「サダム・フセイン大統領」とどうして正しく報道できないのか? ちなみに、欧米のマスコミでは圧倒的に「Saddam」とのみ呼称するケースが多い。 日本のテレビで見た中では一人、中東問題の専門家だけが終始「サダムは・・」と呼称していたのが印象的だった。 (07.1.17)
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