「・・・のではないのか .. 振込めサギの社会言語的 ..
[日本語・外国語]

「なのではないかなぁ、と思う」 その2

2008/6/19(木) 午後 3:58
「・・なのではないかなぁ?と思う」が、断定を避ける無責任な用法である、と前回は書いた。
そのときは主として為政者が断定できなくてどうする?という視点だけだったが、その後事情はもう少し違うと思える用例も多いのに気がついた。

「今のような時にこそ、みんなで助け合うことが本当に必要なのではないのかなぁと思います。」

これは先日の岩手宮城地震で被害を受け、休校していた小学校の先生が授業再開初日に、生徒を前にしての挨拶である。
この先生が「断定を避けて」「無責任に」語っているとは思わない。
「本当に必要なのではないでしょうか、と思います」というところを、子供達に配慮し、少し口調を緩和しただけなのは明白だ。

そう思って最近の「・・ないのかなぁ?と思う」を聞いていると、たいして意味もなく単なる口調緩和として使用している人が大半だった。

「これをもう少し研究していけば非常に面白いものになるのかなぁ、と思います」
↑これは本当に「そうなるのかも知れない」という可能性を言っていて、本来の用法に近く、違和感は特に感じなかった。

まあ、人さまざまで、すべてが「無責任な、断定回避」という・こすからい・魂胆ではないのは当然だ。
しかし、決断や謝罪を表明をする場合にコレを使う人の神経のずぶとさには恐れ入る他はない。

「当社側の配慮が足りなかったのではないのかなぁ?と思います。」
こんなのは謝罪にはなっていない。

いずれにせよ、場合によっては誤魔化しているとも聞こえ、軽薄な感じもするので、あまり流布して欲しくない言い回しだ。

「・・・のではないのか .. 振込めサギの社会言語的 ..