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[日本語・外国語] |
振込めサギの社会言語的検証 |
2008/12/3(水) 午前 1:46 |
電話が鳴る。 「はい、ヘミですけど?」 「ああ、わたしやけどなぁ・・」 「・・・?」 誰かい?このオバはん? ウチの自治会の201さんかいなぁ? 昨日のつづきかい? それにしてはイヤになれなれしいやないの、と思いつつ、 しばらく調子を合わせていてやっと判明。 義母(ヨメのハハオヤ)だった。今年の春以来の電話。 これでは典型的な振り込めサギの第一声ではないか。 この人の世代では、親族に対して自分の名を名乗ることはない。 「わたし」「うち」「わしや」「おれおれ」の世界である。 いや、ウチのヨメあたりもそうなのかも? 対して私の側の兄弟や私自身であれば、電話では先ず名を名乗るハズである。 まあ、それだけ「遠い」のかもしれない(笑)。 でもなぁ、あんたもかなり遠いけど?お義母さん。 しかし、彼女は自分の名を省略するということで、私を「近い」=「身内」とみなしている ことを表明している。ここで自分の名を告げると返って他人行儀になるのだろう。 私はヨーロッパで暮らしていた時期もあり、多少の比較民俗学的言語分析ができるのだ。 一例をあげれば、欧米では自分の「お父さん」は常に「パパ」で、自分に子供が出来ようが、 その呼称を変えることはない。 しかし、日本では自分に子ができれば「お父さん」は「おじいさん」と呼称変更するのである。 また、夫婦でも子ができれば、お互いに「お父さん」「お母さん」と呼称する。 ・・・このへんは慶応の鈴木孝夫さんなんかが既に言ってることだけど。 フランスで友人(女性)の家に招かれ、ドギモを抜かれたのは、その娘が自分の母親を名前で呼んでいたことだ。 つまり母親に「エレーヌ?」と呼びかけてたのだ。 学校でも教師と生徒が親しくなればお互いに名前で呼び合う。 日本人の私には教師をその名前で呼ぶのはニガテだった。 日本風に”Professor!”(先生!)も自分の先生にはおかしいので、結局”Madame !"とかになる。 日本では親しさを示す時、氏名を呼ばない・・ええーっと、多分呼べない。 呼ぶと他人行儀となってしまうから、か? あるいは見下しているとみなされるからか。 まあ、一般的にはできるだけ名前を呼ばず、「父」とか「先生」とか「社長」とか、その「ファンクション」で呼ぶとなにか落ち着くらしいのである。 鈴木孝夫さんの著作のどこかにも、子供が生まれる前の夫婦間の呼称は安定していなくて、 子供ができて初めて安定する、とあった。つまり正式にファンクション名で呼べるようになるのだ。 しかし、どうして夫婦がお互いに「ねぇ、夫?」とか「なんだい、妻?」と正式ファンクション で呼ばないんだろう? 夫婦のことはわかんないねぇ。 親は自分の子供を「やい、子供!」とは呼びかけない。この場合は名前を呼ぶ。 つまり相手の名前を呼ぶことが出来るのは明らかに「目下」のときだけ。 アメリカ映画では「息子よ」とファンクションで呼んだりしてますね。 こういう辺りから、日本で名前を呼ぶのは失礼にあたるというような感覚があることが推測できる。 欧米の報道では「バラク・オバマ」「ニコラ・サルコジ」と正確無比にその個人を示すが、日本では常に「オバマ次期大統領」「サルコジ大統領」と敬称をつける。 時としてサダム・フセインを「フセイン前大統領」というアラビア文化への配慮がまったくない 呼称を無意識のうちに採用してしまうことは以前にも指摘した。 日本では相手の名を呼ぶことをできるだけ避けようとし、自分の名を名乗ることもしなくなる。 かくて「おれおれ詐欺」がこの国では成立してしまう。 で、欧米言語での電話では、どう名のってるん? " Who's calling ?" (どちら様?)ときて ”It's me !" (わたし!) ・・ってのは、どうしょうもなく笑ってしまう。 まあ、多分 ”It's me, HEMI !" とか自分の名前も入れねばどうしょうもない。 だいたい、日本語の「おれだ」「わしじゃ」「うちやん」「わたしよ」「ぼくだい」「ニャ〜」 というのは単に ”It's me" ではなく、男か女かジジイかガキか、まあまあな情報を既に 伝えてはいるのである。 だから「おれおれ」で、あんたの親父でもなく、娘でもなく、飼い猫でもなく・・従って 「あんたの息子だよ!」という情報になっているシカケなのである。 だから「おれおれ詐欺」は日本語の表現の豊かさがもたらした副作用と言ってもいのである。 「ウチは貧しいから、サギなんか関係ないよ」・・・欧米諸言語 |
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