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[日本語・外国語]

ヨーロッパ系言語の発声法

2010/6/3(木) 午前 4:01
最近合唱団関係で何かとイソがしく、通訳ガイド業も営業活動を停止して久しいので、外国語学習のモチベーションと実践時間が著しく低下してしまった。
だから、あまり「外国語」ネタがないのだが、合唱にひっかけて私の持論を書いておく。
 
以前、日本語の構造や発想が西欧系外国語会話を試みるときの障害になっている事例を報告した。
 
今回はその補足として、どこの大学・語学教育機関・外国人教師でも教えてくれない
ことを指摘する。
 
初心学習者は先ず発音を教えられる。
しかし、どんなにこの発音に習熟したとしても、あなたの発音では相手にケゲンな顔をされてしまうのがオチである。
発音法ではなくて発声法が日本語と西欧諸語発話者では大きく違うのだ。
 
日本語は喉の奥をあまり開かず、声をあまり顔面に共鳴させずに発声する。
西欧諸語発話者は喉の奥を大きく開き、豊かに共鳴させて発声するのである。
この発声法は西欧起源の声楽の練習者には普通に教えられていることなんだけど、どういうわけか外国語教師はこの違いを言わない
いうのはあくまで発音だけ。
どうして発声法が違うということを教えたメトードが見当たらないのか、私にはさっぱり理由がわからんのだ。
もしかして、伝統的に日本の語学学習は「読み」中心だったからという歴史的経緯があるからかも知れない。
 
しかし、この発声によるトーンの違いは非常に大きい。
パリに行って、フランス語学習の成果を試そうとして自信満々に発音しても、ちょいと失礼にならないよう抑えてくださってはいるのだが、反射的に相手の眉毛がこわばり、ちょいと顔を背け気味にされるのは、実はソレの違いなのだよ。
発音より先に声の質で「あ、ガイジンじゃ!」と分ってしまい、以降何を分からんチャイニーズを言われるのか、と警戒されてしまう。
ヒトによってはもう頭から分からんことを言っているものと決めかかってしまう。
 
幸い、パリにはアジア人人口も多いので頭から拒否反応をする人はあまりいないのだが、
地方によってはそういう反応もありうる。注1)
 
ひところの日本でもそうだった。
外国人が話しかけてくると見ると「アイキャンノットスピークイングリッシュ!」といって逃げてしまう人が多かった。
実はそのガイジン、日本語で話しかけていたんだけど。
 
この喉を開いて、たっぷり共鳴させてという声楽で習う発声法で日本語を発音すると非常に聞き取りにくい。
日本語のように母音の多い言語では共鳴しすぎて不明瞭に聞こえる。
↑多分。しかしそれより、「何となくこのヒトちょいと違う」というような感じに聞こえる。
 
ベトナムやタイの言語の発話者の発声はまた日本語や西欧諸語とも違うように聞こえる。
特に女性の発声が特徴的にキンキンと甲高い。
多分、こういった言語の学習でも発声法をおろそかにしてはダメなハズだ。
 
アラビア語の場合、発音と発声が一体になった喉から出すような音があるような記憶がある。
遠くから大声で人を呼ぶのに、日本人なら「へみさああああん!」と母音を伸ばすところを
彼らは伸ばすということはしない。
短く鋭く「ヘミ!」と吐き出す。
多分、アラビア語での発音の概念は発声法ともっと密接に関係しているハズである。
↑この項に限り、他所では喋べってはいけません(^^;
 
以上、外国語の学習では発音よりも以前に発声法を習得しなければうまく通じないのだぞ、ということを、日本外国語教育史上私が初めて提唱させていただきましたので。←著作権保有!
 
*1 パリでは昔から外国人が隣に居るのはまったくあたりまえで、アジア系の顔を見ただけで 拒絶反応を示されるということはありえない。
近年はアジア系人口も多く、違う発声にも慣れているようだ。
返って、われわれ外国人学習者はネイティブの発声だけを手本として聞かされるので、     れっきとした住人であっても移民系パリ人のフランス語が聞き取りにくい、ということがある。

20年前、私が初めてパリに降り立ち、地下鉄の行き先表示版を解読中、いきなり隣の   オバサンに道を尋ねられた。  初日から何と言うカルチャーショックだったのか。 
日本では誰が「外国人」に道を尋ねるものか
 
----追記----
外国語教育者は誰も発声法の違いを教えない(実は気がついていない)と言ったが、私の主張を見て、養老猛司サンが中央公論8月号(7月22日発見)で以下のような発言をしている。
 
「もっと言えば、これからは小学校から必修で教えるという英会話だって身体の使い方を考えずに習得できるものではありません。「英語を話したいのなら、10メートルほど離れた人に向かって話す練習をしなさい」と言った人がいましたが、正しい練習法だと思いますね。日本語と外国語では発声方法がまったく違う。その切り替えができないと、いくら正しい文法で話しても、相手に言いたいことが伝わらない。つまり、あらゆる人間の文化や行動は、身体が起点となているんですね。」
 
さすが養老先生、ポイントを押さえてらっしゃいますねぇ。この人も語学の専門家ではない。
 
別項だが、地球温暖化問題・世界同時不況等の時事ネタに関しても日本の著名人の中では この人だけが私の立場に常に近かった。
大声を張り上げる反対派ではなく、ちょっと斜めに 構えた揶揄派というか(^^);
もう引退しちゃったし、この世は自分の思うとおり動いちゃいないのは元より承知。
しかし馬鹿騒ぎしてるより、他にもっとやることあるだろが、とひとこと言わせてもらう。
で、私が言ったって別にどうにもならんのだが。
私が生きている間は、なんとか致命的なバカをやらかすのは見たくないぞ。
それ以外なら、まあ適当にガンばってくれたまえ、現役諸君。
諦観に満ちた、多少血の気のある隠者の態度かな。
                                       2010.7.22 追記


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