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[日本語・外国語] |
「なのかな、と思う」 その4 |
2011/5/27(金) 午前 4:22 |
震災関係に報道が集中し、TVニュースでかの地の方々の「証言」を聞く機会がやたら増えた。
被災者の方々への同情の念とは別に、「なのかな、と」という言い回しの氾濫に暗然とする毎日。
この言い回しを使用する方の言語に対する「無責任さ」に憤ってから数年が経ち、関東以北では既に違和感を感じる方もいなくなり、ごく通常の会話レベルにまで普遍化してしまったようだ。
それに伴い、断定を極力避け、語調を和らげる「なのかな」とは別に、個人的な感慨を付け加える、単なる「な」の用法も普通になってしまった。
夫の消息を必死で探す方のコメント:
「生きていてくれればいいな、と。」
シリアスな状況なのに、この「いいな」はいかにも軽い。
気の毒とは思うが、必死な様相がそがれてしまう。
自治体の職員氏:
「被災者の皆さんの役にたてばいいな、と。」
公式な発言にはこのような個人的詠嘆の「な」を付け加えないで欲しい。
要するに、子供・生徒レベルの言語水準の用法なので、公式発言やシリアスな事態には使えないものだ。
その他、「なのかな」の特に気になった2例
東北新幹線復旧へのコメント:
「これでまた、日常が返って来るのかな、と。」
シリアスな例では、冤罪が立証された方の憤りのコメント:
「こんなことは許されないのかな、と思います。」
断定を避け輪郭をぼやかす言い回しが一般的になると、日本語から言語としての基本的な機能が失われていく。
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