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[日本語・外国語] |
肩こりの閾値 |
2012/2/14(火) 午後 2:23 |
どこかで昔覚えたフランス語の単語ド忘れしはじめたという現象を書いた。
引き続き傾けたうんちくでもちょいとアブなかった。
これからはイチイチ文書にして記事にしてブログにでっち上げて内部記憶の外部化を図ろうと謀っている。
本日の他記事の再録:
「肩が凝る」は日本語だけの表現で、他の外国語にはない。
私がいう他の外国語はこの場合英独仏だけなんだけど(--;
このような現象は「痛み」の範疇で表現すると考えられる。
私が通訳するなら以下のごとし:
英語 shoulder's pain
独語 Achseler Schmerz
仏語 mal d'epaule
上記で通じないことはないと思うが、「凝る」という表現と等価な概念ではない。
英語では stiff shoulder と表現するヤツがより近いようだ。
日本語の感覚では「凝り」が高じると「痛み」になるので、「凝り」は痛みの軽い状態のものと仮定義できる。
「凝り」という表現がない言語圏の生活者には「凝り」が見えず、「痛み」の感覚になって初めて肩の変調を意識するということだ。
見えないものは「実際にない」のと同じ。
名前が先ず存在し、言語で認識できて初めて存在は存在たり得る。
認識されないものは存在にあらず。・・・当たり前か?そうでもないのだが・・。
まあ、いいや。
で、この「凝り」が「痛み」へと変るイタミの量、このような境界の値のことを心理学用語で閾値(いきち)(識域値)という。
この閾という漢字は難しく、ウチのヨメレベルでは読めない。
しかし、こういう特殊な表現をやっているのは日本語文脈だからで、このいかにも怪しげな権威主義的学術用語は英独仏ではやっていない。
英独仏ともこの閾値にあたる言葉は「敷居(しきい)」なんですね。
英 threshold
独 Schwelle
仏 あ、忘れたぁ!
・・・・いや、思い出した
仏 seuil だった。ほっ(^^; (※これも実録)
これは全て、鴨居の反対側の敷居。家に入るときにまたぐヤツ。
日常語の家の付属品で決して学術用語なんてものではない。
英独仏とも言葉は違う、したがって語源は違うのだが概念は同じ。
ここでも日本語生活者が認識する世界と外国語生活者では世界が違うという、結論にしたかったのだが・・・
しかし、どうもこの日本語の概念分離は後天的なものではないか、と言う気がしてきた。
○しきい仮説 hemiq 2012
本来「シキイ」は閾と書き、家の敷居も境界値という概念も同じはずだった。
その後、この漢字が読めないヨメが増えるのだが、音としてのシキイは常に生きていた。
そしてシキイの意味に引きずられて「敷居」という当て字が使われだし、本来の閾に取って代わり現在に至った。
これが真相なのではないか?
よく見れば学術用語としての閾(イキ)も識域(シキイキ)も常に同じような音を含んでいる。
とすればこのシキイ(threshold, Schwelle, seuil)という言葉は洋の東西を問わず、「踏み越えれば違う世界に入る」という基本概念を示すコトバで、家の敷居という物理的なモノを指し示すのはアルバイト・サイドビジネスということになるワケか。
ところで「敷居が高い」に対する「鴨居が低い」だが。
アイツ、最近態度悪くなった。アイツの家に行くのはちょいと鴨居が低いよ。
なんていう用法でどうだろうか?
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