![]() |
![]() |
幅員がせまい? ..![]() |
[日本語・外国語] |
「〜になる」 の研究 |
2014/8/8(金) 午後 1:13 |
夏休みの自由研究「ヘンな掲示文章探索」(1)
「納期は4月1日になります、納期は4月1日となります、どっち?」
とヨメに尋ねられた。会社でちょっとした議論になったそう。
どっちもどっち。納期は4月1日です、で良い。
と私の回答は常に明快。
それもあり、いつも見ている↓この標示文章が気になった。
|
![]() 「交通」も漠然としてあまりいいとは思わないのだが、「支障になる」はヘンだろう。
本来なら「通行の妨げになりますので」とやるところ。
警察当局はそれでは権威が無さすぎると思ったのだろう。中途半端にいかめしくカタイ目の言い方にしたようだ。
しかし、「支障になる」はコトバのレベルが違う。
カタめの文章語なら「支障が生じる」「支障をきたす」としなければ日本語としてぎこちない。
→「交通に支障をきたすので」
あまり好きではないが、この場合「交通の支障となる」でも良さそうだ。
「支障となる」は「支障ということになる」の省略形とみなすことが出来る。
これは「いろいろ言い分もあるだろうが、結局、つまりは支障ということになる」
という論理帰結感がある。
最初の命題「納期は4月1日となります」は、文脈によっては適切な表現になる場合もあるのかも。
「条件がいろいろあり、当方の都合も考慮した結果、納期は4月1日ということになります」 →「納期は4月1日となります」
だから「となります」は少々含みがある言い方と言えるだろう。
しかし、現代の感覚ではなんとなくカタくて古臭い。
そこで「となります」を単純に「になります」と言い換えてしまって定着してしまった。
しかし、「になります」というのは杜撰(ずさん)で曖昧なので私は容認しない。
多くの場合単に「〜です」とすれば明確に伝わる。
「〜です」と言い切る口調を避ける責任回避の姿勢が「〜になります」という言い方になってしまうのだ。
いつも不快な「〜かな、と思います」という、できるだけ断定せずに済ませてしまおうという、つまらん魂胆が透けて見える。
「納期は4月1日になります。」
= 単にそうなってるので言っているだけで、私に問い詰められても困ります。
= 自分の意志は全く入っていない、というエクスキューズが聞こえる。
「納期は4月1日です。」
= 明確な事実を単純に言っている。自分が決定した可能性もある。
加えて日本語の時制では「なる」が未来も現してしまうことで曖昧さが増す。
「ここは通路になりますので、荷物を置かないでください」
→ 今は違うけど、今度通路になるらしい。まあ、それまでは置いといてもいいんちゃうか。
というような解釈を可能にしてしまう。
もう慣れてしまったけれど、低レベル安レストランでおネエさんが注文の品を持ってきてくれる時、「餃子二人前になります。」と案内してくれる。
どう考えても「はい、餃子二人前です。」でいいと思うのだ。
上で考察したように「になります」が「となります」の言い換えだとすれば、ある程度の言葉の変遷の経緯が分かってくる。
「これが注文品の中にあった「餃子二人前」という料理にあたります」というような含みがあるのだ。
→これが餃子二人前となります。→餃子二人前になります。
しかし、私はビールと餃子二人前しか頼んでない。そんな含みは不要じゃ!
この場合にも、やはり「になります」は日本語未来形でもあるという曖昧さは残ってしまう。
「今は黒焦げでくっついて何が何だかわからない品ですが、実際に食べてみるとかろうじてこれが餃子二人前になりますので、ウソじゃございませんよ。」
頼むから「はい、餃子二人前です!」と持ってきて下さい。
餃子くらい、すっきりさっさと喰らいたいよ。
|
![]() |
![]() |
幅員がせまい? ..![]() |