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セルフサービスとは? |
2021/8/19(木)22:7 |
![]() ←「食器の返却はセルフサービスでお願いします。」 意味はよく解るのだが、私は多少の違和感を抱いてしまった。 気になったので少し何故か考えてみた。 「サービス」という言葉は食堂では配膳することを言うと思っていたので、食器の返却というような後始末、後処理に使うのは「違う」と思ったということか。 食堂以外でも一般に相手に「通常の便宜をはかって差し上げる」というのが私の「サービス」の語感。 テニスのサーブもサービスだし、ホテルのルームサービスや、飲料水のサービス・・等、常に相手の便宜をはかる操作や行為のハズ。 フランス語ではおまわりさんに道を教えてもらって、お礼を言うと"Votre service" と返されるのが決まり文句。 つまり、「なあに、納税者たるアンタへの当然の便宜供与ですよ。」というような感じだろう。 配膳の便宜供与はご自分で行って下さい、というのが食堂の「セルフサービス」だが、果たして食器の返却は「サービス」に入るのか? サービスであるとすれば客が食堂に対して行う便宜ということになる。 客が食堂に対してサービスをする? ちょいと変じゃないか? 簡単に「食器の返却はご自分でお願いします」でいいのに。 ![]() 「当店は全てセルフになっております。」 → セルフスターター式を単に「セル式」と略してしまうよりはマシだが、「セルフ」だけじゃ意味になっていないんだがな。 しかしそれでも通じてしまうのが・・日本語は便利というか歯がゆいというか(^^; 通じてしまっているので私が「ソレはちょっと違うんでは?」とか言うと「違うのはオマエやろ!」と返ってくるのが常なので、いつかブログネタにしてやろうと気を静め無視するしかない。 ところで、ガソリンスタンドでは「セルフサービス式」を私は愛用しているのだが、ソチラの表示は「セルフ」だけに略しているのが通例だ。 どうして「セルフサービス式」と表示しないのかと考えると、やはり「サービス」の日本語の語感が「無料」という意味になっていることも関係すると思える。 英語の”service"は無料という意味は含んでいない。 有料サービスも、無料サービスもある。 しかし日本では「サービスしときまっせ!」というように無料のオマケという意味でのみ使っている感じだ。 「ご飯のお替りはセルフサービスで」と書いてあると「無料」食い放題と思ってしまう。 で、自分でご飯をよそい、3バイ喰って、料金を見たら、きっちり150エンx3バイを請求されているとかは、ない。 「コーヒー、紅茶はサービスです。」と書かれていればサービスとはタダという意味と解釈しない限り、意味不明。 ガソリンスタンドが「セルフサービス」と書くと「ガソリン入れ放題」とかの連想が生ずるのか? しかし、現在の商業主義社会では無料サービスは絶対にありえない。 テレビショッピングでは通例の「しかも送料無料!」なんてことはなく、誇大表示に間違いない。 すべての「無料サービス」は既に商品価格に上乗せされているのだ。 どこの運送会社が無料で配送するモンか。 「運賃は当社が負担します」という意味は「運賃は既に商品代金に上乗せしています」と解すべきなのだ。 スーパーの無料レジ袋もすし売り場の醤油・ガリの小袋もタダではない。 すでにその経費を商品価格に上乗せしてある、というのが当然だ。 しかし、「醤油・しょうがはサービスです」とか言わんばかりに「セルフサービス」風になっている。 「タダ」なら貰わな損、とばかり寿司も買ってないのに多量の小袋を仕入れている方もよく見かける。 店側は小袋が無くなれば補給するが、購入費は必ず商品価格に上乗せされている。 「タダならいくら貰っていってもいいだろう」と思っている方は、他の寿司購入者にその分高い料金を支払させていることを意識することはない。 ご自分は寿司を買わないので、まあ、ソレは他人の問題・・・と言う感じか。 その辺りは個人の社会感覚、モラルのレベルにも拠るので別に他人が一方的に行為正統性を問うことではない。 もしかすると、一人勝ち大手スーパーの利益寡占に対するささやかな個人的反撃を試みてらっしゃるのかもしれないし。 実はウチのヨメなんかも「前に取るの忘れた、今貰っとく」とかの個人的理由を主張されるのが常(^^; これも「サービス」という日本語独自の語感がもたらす副作用とでもいう他はない。 |
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