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[言語]

「カタカナ語はすべて日本語だ」と裸で飛び出す

2021/10/7(木)15:18
この書庫でもカタカナ語の使い方の違和感を多く取り上げてきた。
最たるものは「コロナ」だ。

現在「コロナ」というカタカナ語には以下の複数の用法・意味があると考えなければならない。
1 新型コロナウィルス       例) コロナ対策の手洗い・マスク
2 新型コロナウィルス感染症    例) コロナ患者、コロナ病棟
3 新型コロナウィルス感染症の流行 例) コロナの経済的影響、コロナ禍
英語的に考えるとcoronavilus のCORONAは形容詞用法なので「コロナ患者」はPatient of the corona とは言えないはず。
”coronal patient” とかやっちゃうと「コロナの形をした患者」になってしまうぞ。
コロナ患者は"patient of COVID-19" 今なら "patient of the disease" でよかろう。

日本語にはこの "the" がないので「感染症の患者」では伝わらず「この感染症の患者」とか言わねばならん。これは不便だ。
日本語「コロナ」は複数の意味を兼ね、さらに品詞も曖昧。

だから日本語は便利なのだが、しかし文脈や使い方を考えないと非常にあいまいな表現になるのが気になる。
「今はコロナやからな」で分かってしまうのが便利というか、ズサンちうか?

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以前「ケータイ、お持ちですか?」とどこかの店で訊かれ、意味は分かるのだがかなり不快になった。
私は携帯電話を「ケータイ」と略して使うのはズサンで失礼だと感じたのだが、今では別にそこまでは思わないようになった。
これは英語でも ”mobile” だけで同じように使っているらしい。
しかし「スマホ」も同様だが、やはりズサンな略し方だとは思うので私は使わない。

日本語の略語造語法は意味よりも語呂が優先するようだ。
「インゴ・ベルナーブレス」 ← in-gobernables も、意味とは関係なく語呂で区切っている。
インフルエンザ⇒インフル、コンサルタント⇒コンサル 等は新聞のタイトルの字数制限下で可という略語だが、一般の会話でもそのように略して話す人がいるので私の認識の方を修正しておくべきだろう。

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常に日本語のカタカナ語はズサンな用法が多く不快になってしまうのだが、これは私が時代的に古い言語感覚を持っている故で、お使いになる人は別にズサンな言葉と思っていないのが常だ。
一方では私の職歴が語学関係が多く、特に欧米言語がメインだったのでラテン文法の品詞感覚が通常より強すぎるのかもしれない。
あ、別にアカデミックな語学研究職というワケではなく、町の印刷屋サンでの職歴の話だが(^^;
だから使用している方に対して失礼なヤツ、もしくはずさんな方と思ってしまうのは私の悪癖ということになる。
NHKテレビのニュースでも「新型コロナ」といういい加減な略し方を使用しているのだが、何とかそのズサンさに慣れようと個人的には努力しているのだ。

この「テレビ」は最初からテレビという言葉が先に私に入ってきていたので、televisionの略とは思わず、ズサンとか失礼感は感じない。
ついでだが「ビデオ」を「ビデオレコーダー」という意味で使っている人とは・・・、やはりあまり喋りたくはない・・・(^^;
・・・
他にもいろいろ日常のカタカナ語で私が困惑することは多い。
この言語感覚の違いも自分の居場所がどこにも無いと思ってしまう私の日常阻害感の一因になっていた。

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しかし、この私のカタカナ語、特に外国語の標記や無理な略し方への違和感を見事に除去してくれたあるブログを見つけた。
一般のブログなので勝手に引用させていただく。

「和製英語は日本語バイ。」 
 https://ameblo.jp/annechan521/entry-12304596110.html

在日20年のアメリカン女性で、かなり独自な博多弁日本語をモノされてます。
このブログでは日本で出くわす英語モドキ(和製英語)に当初困惑したのだが、あるときそのようなカタカナ語は英語ではなく、れっきとした「日本語である」という文章を目にし、認識を一変、以来その日本語造語の英語との距離を面白がる、というような境地になったという。
ブログの筆者が認識を新たにしたのは、カタカナ語(和製英語)は日本人が相互理解するためのコトバで、外国人が理解可能かどうか、文法的に正しいのかとかは全く関係がない、ということだ。

私もこのブログに出くわし、カタナナ語に対して元は英語なのに意味間違えてるとか、自分の知識、感覚と違うとか困惑せず、外国語とは既に何の関係もなく、ただ日本語の新語彙として、日本語の中だけで理解すればいいのだと遂に悟ったのだ。

その上で最初の造語者の「ユニークな英語感覚」を想像するという理解の枠組みにしてしまえば、違和感に困惑するというより、日本語ではそんな面白い理解しとるんか、とか余裕までカマせられるような気がしてきた。

件のブログの中で英語ネイティブの筆者が「マイ何とか」はすべて和製英語と断言しているのは痛快だ。
私も最近「マイボウル」を手に入れたのだが、例えばボウリング場で「マイボールお持ちですか?」と問われるが、これは英語に「直訳」すると非常にヘン。

”Do you have a MY bowl ?" (あなたは私のボウルお持ちですか?)
多分私メレベルでは”Do you have your MY bowl ?" とでも言ってしまうんではないか(^^;
ま、正解は personal bowl とでもいうんでしょうな。

これは日本人が my = 私の = 自分の と捉えていて、ご「自分」のボール = my bowl とやっちゃったんだろう。
実に面白いんじゃ? (^^♪ 

デジタル庁は何故ディジタル庁ではないのか?
それは決して英語のDigitalの話じゃなく、日本語の「デジタル」の意味の中での命名だったのだ。
だから、デジタル庁とはすべての計数処理を指を折って数えることを推奨しようとしている役所ではない、ということが今やっと私にも理解できた!

実はそうだったのだ。 
            ユーレカ!
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