NHKの「チコちゃんにしかられる」(10・29)を見ていて目が点に。
チコちゃんの問:
「ウインナとソーセージはどう違う?」
周囲の大人も取材放映していた町の声も明確な違いを説明できないまま、チコちゃんの回答が下る。
「ウィンナもソーセージ!」
解説の大学の先生も「よく知ってますね!」との視聴者をバカにした賛辞。
私はしばし絶句状態。
ウィンナという片仮名が日本では「ウィンナソーセージ」の略ではなく、また別の食物の名ということになっているのか!
ウィンナという片仮名が「ウィーンの」という形容詞ではなく、完結した名詞として通用しているらしいのだ。
・・・いやはや。 じゃあ、「ウィンナワルツ」というのはソーセージ円舞曲みたいなモンか?
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「コロナ」を新型感染症の略として使うな、と私は力説してきた。
理由のひとつは、コロナは「コロナ型の」という形容詞なのに一個の名詞として流用することで、言葉の意味が曖昧になってしまう懸念もあった。
しかし「カタカナ語」は日本語、名詞も形容詞も気にしないでいい・・・という解を得、無理矢理納得したワケだ。
しかし、ウィンナがそのように独立した名詞として、現に通用しているのなら、やはり日本語の混乱を招いている状況がはっきり見えた。
私の世代ではたしかに「ウインナソーセージ」と書かれているのを見、、ウィンナはその省略型という意識はあるのだ。
安直なカタカナ語の使用は日本語を豊かにするのではなく、不正確で貧弱なコミュニケーションツール(あカタカナ・・・意思疏通道具というか(^^;)にしてしまうのは明らかだ。
見ていなさい。あと数年で、チコちゃんはこう問うハズだ:
「コロナとウィルスはどう違う?」
「フランクフルト」なら、まだ「フランクフルト・ソーセージの略」という意識はあるようだ。
たぶんフランクフルトは地名として周知なのでフランクフルトそのものを食うとかの意識は生じないのだろう。
しかし、こいつが本来の「フランクフルター」という形容詞型でカタカナ輸入し、流通していたらウィンナと同じ運命だったと考えられる。
カタカナ語は「れっきとした日本語」、それ自体は認めざるを得ない。
まったくあいまいで安直な用法の標準化だが、それが使用人口の多数決なら常用言語としてそのようになっていかざるを得ない。
ニホンゴが世界から孤立し、滅びゆく「ガラ型」言語になっていくのを私はさびしく見定めるしかない。
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