「地球にやさしい」? そんな... NOVA問題(3)
[時爺放言]

血液サラサラ

2007/11/07
今日もTVニュースで社長以下幹部数名が記者会見を開き、やおら立ち上がって
頭を下げている。「どうも、申し訳ありませんでしたぁっ!」
ん?これはどの会社?東洋ゴム工業、ふーん。

製品とは違う資材で防火試験をパスし、「安全である」と販売してたらしい。
先週は伊勢の赤福とか御福もちとかが製造日付をごまかして、社長があやまっていた。

会社だけじゃない。
その前は防衛庁の給油データの都合の良い捏造で幹部の頭下げ。
あの業者癒着の守屋前事務次官も早めに頭下げときゃ
そのうちみんな忘れてくれるのに。

またまた社会保険庁も「データ捨ててしまった」として上の頭下げ。
そうそう、テレビで頭下げれば一件落着ですねぇ。

NOVAが倒産して支援企業が肩入れするが、不十分だと元生徒が怒っている。
「会社を信頼して前金払い込んだのに・・」とのコメント。


会社や国の言うことを100パーセント信頼しちゃいけませんよ。
「消費者の安全を第一に」とか
「国民の福利のために」とか
そういうのって、いわゆる大儀名文であって、実態ではありませんからね。

もちろん、大半の企業・公的組織の勤労者の皆さんは不正をし、誤魔化して
まで自分の利益を図ろうとは思ってはいない。
しかし、滅私の精神で自分のことよりも顧客消費者の利益を優先する人も
多くはなかろう。
消費者の利益を優先すれば自分の利益が減っちゃうのが普通のパターンだ。
あまり深く大義名分にこだわらず、それはそれとして適当に折り合いを
つけて日々の糧を得ているのがふつ〜の人ではなかろうか?

だから、中には必ず数パーセント悪意の自己利益誘導者がいるのも確実だ。


東京の健康器具販売会社が詐欺容疑で摘発された。
「血液さらさら」にするという磁気ブレスレットが、まったく効果がないという
ので詐欺罪が成立したという。

手口はまったく単純だった。
通行人を呼びとめ、無料で血液の検査をする。
採取した血液を顕微鏡で見せ「これはドロドロですねぇ」という。
ブレスレットを装着させ3分後に血液を再採取。
顕微鏡で見せるとなんと3分前にはくっついていた赤血球がまばらになっていて
いかにもサラサラになったようなのである。

実は通常状態で赤血球はかなりくっついているのである。
3分後採取した血液は顕微鏡上のプレパラートをぐいと押し付け、
圧力で薄めて見せていただけなのだ。

こんな単純な手口でどうして消費者が引っかかり、20万から30万の
いんちきブレスレットを買うのか?

非常にわかりやすく、きれいな言葉のイメージの魔力ですねぇ。

「血液ドロドロ」「血液サラサラ」はHNKの「試してガッテン」で初めて
ディレクターが思いついて使ってみたコトバである。
医学的には何の定義もない。
私の血液が「どろどろ」に違いないとウチのヨメがいうので、
「血液どろどろ」ってどういうこと?と反問した。
「血液がサラサラになってないこと!」という回答。

結局、流体としての血液の粘性の問題なのかいな?というようなイメージ
だが、実態はどういうことなのか良くわからない。
ヨメも何だかよくわかっていないのだが、それにもかかわらず
「血液サラサラ、ドロドロ」はコトバとして流通し、市民権を得てしまっている。

だからこの業者がイメージどおりの「血液サラサラ」の図を見せると
「ああ、これは買うっきゃない!」(インタビューの引用)と、100パーセントの
信頼を即座に抱いてしまう。

時は中世。

神は存在する。
なんとなれば我々は「神」という言葉を知っているからだ。

とかね。

「食べる人の健康をまず考えて」とかトレイのシートにすってあった
ミスドもまたテレビで頭をさげてた。
未許可添加物肉まん(2002年)で前にも謝ってたけど、また今度賞味期限を
ごまかしてたらしい。


「地球にやさしい」とか
「リサイクル・資源保護」とか
「カーボンニュートラル」だとか(←こいつの発案者は誰だい?君は間違いなく詐欺だよ)
「国民の福利厚生」
「安全性に配慮」
「美しい日本」←簡単に死語になっちゃったが(^^;

実態が無くてもコトバはイメージを喚起する。
これは昔、アルチュール・ランボーさんという詩人が意識的に使った方法だが。
何でもいい、辞書を放り投げて偶然開いたページにある単語からイメージを
生み出していく、というような。

現代の詩人どもは組織の中で、実態を覆い隠すコトバの創造に励んでいる。
とにかく細部はどうでもいい。
消費者がふわりと乗っていけ、ころりと買ってくれるような。

ちょと調べてみたが「地球にやさしい」なんて情的表現はフランスでは使用しない。
non pollue (公害発生させない) moins pollue (公害の少ない)というような
もっと具体的で実質的な形容をしている。
それはそうだろう。
説明は詩ではないし、われわれは別に詩人ではない。

コトバのイメージが実態よりも先行しがちという傾向は、もしかすると日本の文化的な特性なのかもしれない。
と、ちらり、と俳句・短歌の伝統を思い浮かべたり。

「大東亜共栄圏」「鬼畜米英」「欲しがりません勝つまでは」「月月火水木金金」・・・
あ、ふる〜うっ!

ま、とにかく、耳に快いからといってコトバの意味まで無条件で正当化されるワケ
ではない。
特に金が絡んでいる場所には詩人のインスピレーションがいっぱい。
私は詩を鑑賞するだけで、決して金は出しません。

 まずコトバありき
           --- 某健康器具販売会社接客マニュアル第一行
blog upload: 2007/11/7(水) 午後 1:43
「地球にやさしい」? そんな... NOVA問題(3)