「年賀状は、三流の贈り物だと... 条理のかなたへ
[時爺放言]

消えた年金問題 (3)

2008/03/14
もちろん、いい加減な仕事をしていた旧社会保険庁の(一部の)職員サンの肩を持つ、わけではありません。
仕事はきっちりしていただかないとダメなのは当然で、特に公金を預かっているなら尚更です。

しかし、この年金未払い報道でいつも私が気になるのが、未払いになっている加入記録の申請や再提示が、きっちりとできない加入者があるらしいということだ。

会社の経営側からの悪意による作為や旧社会保険庁の入力ミス、明らかな職務怠慢で記録が失われた方は本当に気の毒だ。
しかし加入者側でも自分が支払った金に無頓着な人があり、莫大な公金を費やして、こういう人達の記録まで再確認する措置をとっている現実は、私には決して公正なこととは思えない。

社会の中で生活している以上、その社会に対する管理責任はあり、最低の自己管理も必要だ。
すべて他人任せ、というのは子供にだけ許される生き方だ。

なんて言うわりには私はかなり非政治的な人間で、たいていの政府の政策には無頓着である。
ま、白紙委任に近いかも(^^;

しかし、最低限の義務を果たし、権利の侵害には気をつけている。
まあ、選挙には行き、引っ越せば転居届けを出し、確定申告はちゃんとしてますよ、という程度のことだけど。

サラリーマン時代、転職するたびにきっちりと「厚生年金手帳」を新しい会社に提出していた。
私の記録が消えてしまっていても、私には自分がいつどの会社で働いていたという記録はきっちりとってある。
ちなみに、私は昭和43年4月1日から「大阪府立図書館」にアルバイトに行き、そこで初めて厚生年金に加入してから去年まで、何と19回の年金加入回数がある。

厚生年金・国民年金・厚生年金基金(船員保険はないが)、失業による全額免除期間、海外逃亡による長期非加入期間等、てんこ盛り状態。
ずさんな我が職業人生に感無量となる。
しかし、旧社会保険庁から送付されてきた加入記録はすべて私側のものと一致し、あいまいな点はどこにもなかった。

ちなみに私の転居暦をいうと、昭和45年に親の家からおい出て、平成2年に現在のアパートに移るまで14回の引越しをしてきている。
ここでバブルが崩壊し、このボロアパートの売却時価がローンの残金を大きく下回り、残りの人生をこのアパートで空費しつづけているワケだ。

だから、私には1000万超える金銭管理能力(経済見通し能力・投資運用能力)はまったくない、ときっちりした自己評価ができている。
株・為替・不動産・宝くじ・パチンコ、すべて負け越して止めた。

2万円を超える買い物は絶対にその場で衝動買いをせず、1週間は購入欲を寝かせ、沈静化させられるという、得意技もある。
私は自分の稼ぎに即してのみ自分のすべての消費生活を営んできた。

「入るを計って出るを制す」と昔は言った。
その他大勢式どこにでもはびこる雑草様長年の安サラリーマン生活で培ってきたまるっきり小市民、それでもただでは死なんぞ風下積生活者の古典的英知なのである。

だから、年金の記録も生命保険(現在無加入)の加入暦も全部保管、もしくは記録してある。

昨年には生命保険大手各社の保険給付金未払い問題も巷で発覚し、問題となった。
これも、加入者が勧められるままに「よくわからん」特約オプションに加入し、実際に自分がどういう還付金を受け取れるのかわからず、申請しないのが原因だったらしい。

まあ、お金に余裕のある人なら、勧められるままに白紙委任して加入すればよろし。
自分の管理能力以上の金は知らないうちに消えていくだけだ。

国民年金の月6万でなんとか老後をしのいでいこうとしている、ぎりぎりの層で、自分の加入記録をあいまいにしている人は私の周囲にはいない。

自分の加入記録を聞いてもよくわかってない人もいる。
全部見ることもできないのに、テレビやビデオ装置を何台もすぐに買ってくる子供のような困った老人である。
この人が「もう一回加入記録調べてもらえ。まだあるかもしれん」なんて言うのだ。

加入記録の不明者を「最後の一人まで」きっちりと洗い出す(2007年7月首相言)というコトバは潔いが、そんな大量公金投下措置を簡単に公約してもらっては困ってしまう。

「すべての加入者に確認の問い合わせを出す」なんてことはしなくてよい。
本当に年金がなくては困窮する層を確実に救済できればよい。

自分の記録をきっちりと保管する必要も感じなかったような、経済的に余裕のある方まで「全員救済」するというのは年金の設立主旨とは違うのではないか。
blog upload: 2008/3/14(金) 午後 1:42
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