交響練習曲(シューマン .. ドイツ舞曲 (ブラーム ..
[ピアノのお稽古]

ピアノソナタ変ホ長調 Hob.XVI-49 (ハイドン)

2007/11/16(金) 午後 3:50
書店でNHKの趣味講座のテキストが並んでいた。
中にこの「スーパーピアノレッスン 大曲に挑む」があった。
他にベートーベン、プロコフィエフのソナタ、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第一番
の第一楽章の全5曲が掲載されて1000エンなり。

この番組がどういうヤツなのかまったく知らなかったが、そんなことはどーでもいい。
安いので買った。
プロコフィエフのソナタなんかピースで買うと絶対ン千円はとられるんではないか。

で、面白がって先ずチャイコフスキーのコンチェルトを殴り弾き。
オーケストラ部分はピアノアレンジ譜だが、通俗超名曲である。
そんなところ見なくとも、ソロパートを弾いていると自然にクチ三味線で
オーケストラパートが出てきてしまう。
いやぁ、意外とソロパートだけ弾いていても楽しめるもんだ。

でも、コンチェルトの第一楽章のソロパートを全曲練習してもしょうがない。
一生オーケストラ伴奏で弾く機会も、根気もウデもない。
景気付けにハデな序の部分だけ弾いて、真面目にハイドンのソナタにとりかかる。

今までラフマニノフやシューマンで多量のコード掴みの練習をしてきたので、
ハイドンの譜面ツラは別にどうってことはない。
初見で十分朝飯前だよ、なんて不遜なことを思うが、そうは問屋はおろさないのである。
チャイコフスキーのようにタテの線だけでも鳴らせば"気分♪"になるワケではない。
何よりも全体のつながり方が見えないと音楽にはならない。
流れの中のリズムのはね方や旋律の綾というような、水面の波紋の移り変わりを楽しむ音楽である。
だから全体の枠組をきっちり作ってから、初めて細部の表現が決まる。

実をいうと、この構成枠こそ「クラシック音楽」というときの「クラシック」が
意味するものに他ならない。バロックではなく、クラシック。
その枠組みの代表がいわゆるソナタ形式というヤツですね。

ハイドンはピアノソナタ60曲あまり、管弦楽のためのソナタである交響曲を100曲あまり書いた、
たいへんな多作家だった。
しかし、今では弟子筋にあたるベートーベンや、若造モーツアルトのヤツに隠れて
演奏されることもない、というか、私はハイドンのピアノ・ソナタをこれまで聞いたことが無かった。
一音楽フアンとして交響曲の父への敬意をこめ、とにかく通奏してみる。

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なんとチャーミングな曲だろう。
実を言うと形式主義でクソ面白くも無い教科書的音楽かと思ってたのだが(^^;

颯爽としたスピード感もあり、茶目っ気もあり、いやぁ面白い曲でした。
音楽の即興性と形式美が程よく釣り合い、このバランスが実にさわやか。

羽目を外さない適度な音楽的くすぐりもある。

例えば第三楽章のテーマの後半。
現在のコードで言えばE♭+5。
後にドボルザークなんかはノスタルジックな響きを得るためこの増5和音を多用したが、
クラシック時代にはちょっとマレな用例ですね。
鼻歌歌ってるような冗談めいた軽い雰囲気になっている。

音楽って、何よりも楽しむための音のシカケなんですねぇ、ハイドンさん。
なんだか急に馴れ馴れしくなり、すっかりソノ気になって暗譜中。

この楽譜集1000円、なかなかの掘り出し物だった♪

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