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[ピアノのお稽古] |
ドイツ舞曲 (ブラームス) |
2007/12/10(月) 午後 8:23 |
以前、シューマンの狂気のことを書いた。 で、クララ・シューマンとブラームスはアヤしい関係であったが、シューマンの冥界からの 嫉妬が怖くて再婚できなかった、とオチをつけた。 もちろん、それはウソである。←最近、とみにウソがおおい(^^; ブラームスのドイツ舞曲を練習していると、この人も絶対結婚できない人種だな、 と分かってしまうのである。 アスペルガー症候群というものがある。 病気ではない。 単にそういう性格。 頭も悪くないし、言語能力もちゃんとある。 場合によっては芸術的才能に恵まれていることも多い。 しかし人間関係をどうしてもうまく処して行くことができない、 というような性質を持つ人たちを指すタームである。 あまりに↑はしょりすぎだけど。 そういう症状のことを知ってから幾分私のストレスは軽減した。 別に病気ではないので治療する必要もない。 ただ自分がそのような気質を持っていると自覚すればいい。 無理に他人と同じにしようとする必要はない。 私はアスペルガー症候群の方ほどの困難はないが、他人に合わせるのが苦手である。 いや、逆に自動的に他人に合わせようとする心理的圧力が非常に強い、といってもいい。 黙ってればいいのに、なぜか余計なことを言ってしまう。 喋りつづけ「自分はあなたの敵ではありませんよ」と絶えず表明しなけ ればという心理圧がそうさせる。時に不必要に道化てしまう。 結果、後で一人になった時、異常に疲れてしまっている。 私は他人の反応が恐ろしいのだ。 自分では「普通」だ、と思っているのに他の人の反応はまったく違う。 周囲がどう思っているのか理解できないことが多い。 いわゆる空気が読めないので自分で暴走したまま気がつかないこともある。 いやぁ、本当に申し訳ない。 特に私と生活を共にした人、している人には迷惑をかけてきたと思う。 ブラームスのこの初期のピアノ曲を弾いていると、この男の社会生活上の困難が 偲ばれて痛ましい。 感情が揺れ動いて安定することはない。カプリチオーソというか。 調性が絶えず変わり、非常に気分屋的である。 北方的憂鬱というか気難しいというか。 しかし、シューマンとは違って形式を整えようとする理性が全体を統合している。 だからこの人は周囲との調整に心を配っていたハズなのだ。 他人が自分とは違うのが分かっている、というか。 女性によって喚起される情熱は他の人々同様にある。 しかし結婚してからの自分が、どのような負担を相手に強いるかと考えると 結婚するのが非常に怖くなる。 どうすることもできない鬱屈をこの曲からふと聞いてしまい、ここにも自閉気味の青年 がいると思ってしまうのである。 ブラームスが交響曲を書き始めるのは40越えてからだ。 青年期に見られた繊細な感情のゆれは堂々とした形式感の中に見事に統合され、 豊饒な世界の彩りというように昇華されている。 やはりその自制心と、自分の鬱屈を高次なレベルに統合し昇華することができた 大芸術家というべきである。 自分の感情を制御できず、アチラの方に行ったまま帰ってこなかった芸術家も多い。 シューマンがそうだったろう。 シューマン的な生き方は、こういうと冥界から罵声が飛んでくるのだが、 幸せだった。他人の思惑よりも自分の命題に集中できた人なのだ。 ブラームスは他人との違いを意識し、自己の生き方との調和を芸術上で果たした人ではないか。 だから後年の円熟した作品がわれわれに残されているのだ。 しかしこの男は人生の孤独から開放されることはないと私には思える。 芸術家として成功したブラームスの晩年の姿で私の目に浮かぶのは、晩秋のバーデン・ バーデンのクア・ハオス前の落ち葉の上をむっつりと歩いている光景である。 他人に合わせようと無理する必要はない。 人間は多様で、それぞれ違っていて当然だ。 違っているから豊かなのである。 |
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