ワルソーコンチェルト  .. THE EASY WINNER (S. Joplin)
[ピアノのお稽古]

インテルメッツオ op.119の2 (ブラームス)

2016/9/8(木)13:33


多分もう新曲に挑戦、暗譜というようなことはない。
ショパンとラフマニノフの主要レパートリーをさらい、あとはアルベニス等の言わばエンターテインメント系均一リズム舞踊曲を、ここんところ楽しんで弾いていた。

この八月に少々自覚症状があり、脳ドックを受けたら脳梗塞で今にも逝きそうな脳血管画像を見せられた。
そうか、いつかはとは思ってたが、まさかそれが今日だなんて。
覚悟は以前からやってたが、準備はなおざりだった。

台湾旅行帰国早々、もう一度血管造影剤を流し精密検査したら、まだ半分くらいは結構流れていて、それほど切羽つまった状態ではないとの結果。
まあ後は血管にコレステロールが溜まらないように食事とか生活習慣改善とか、メンドくさいことにはなるのだが(^^;

しかし、もう目の前にソレが来ていると告知されたのは、やはり当人にとってかなり生ナマしくも新鮮な体験だった。

そうか、オレの人生もこの辺りが終点だったのか・・・

幸い社会サマからはとっくにリタイアし、別に何も急いでやることもない。
最後にもう一度くらい人生規模のリセットを試みたかったのは事実だが。
もうその日まで淡々と今の生活を続けていくしかない。
そうと知れば、今見ている世界も、それはそれで愛おしい。

「末期(まつご)の目」という表現はない?
末期の水はあるが・・・
この世を半分向こうから眺めているような奇妙な感覚。
心は向こう、身体はまだこっち。

ピアノに向かっても日頃楽しんで弾いていた曲が出てこない。
たまたま譜面台に乗っていたBRAHMS KLAVIER=WERK2の楽譜をはらりと繰ると最後のインテルメッツオ119−2の中間部だった。

清明な慰めに満ちたメロディが心に滲みていく。
そうか、これがこの世で最後に聞くメロディだったのか。
ふと聞こえてくるブラームスの子守歌・・・。

ブラームス最晩年のインテルメッツオ。
老境に入り、おそらくもう向こう側からこちらを見ている目で、回想・・・というのか、そのようなフィルターから浮かび上がる光景。
過ぎ去った世界への、もう二度と触れられないことへの、愛おしさ。

作品117の3つのインテルメッツオはNO.1が若い頃から好きだったので半暗譜曲になっていた。
苦渋と諦念と憧れとの混合物。
晩年のブラームスの音楽にはリタイアした者でなければ感知できない微妙なフィルターがかかっているようだ。

「ブラームスの子守歌」とはop.39のドイツ舞曲の第15曲で、それが終曲か、と思えば全体のコーダとしての第16曲が「ふと」ついてくる。
なかなかブラームスの諧謔・皮肉・すっと身をかわしてやり過ごす難儀な性格が出ている。
直情あふれるシューマンではない。
クララ・シューマンへの鬱屈した愛情とか。

・・・・いろんな事が過ぎて行った。
最後にまた独りで回想するでもなく、ただ過ぎて行った光景が眼の前を通り過ぎていく。

最後のインテルメッツオ。
束の間の人生の間奏曲。

Andantino un poco Agitato ちょっと急いで、多少せわしなく。
カプリチオーソな、切れ切れな光景がグルグルと回っている。
意味もわからないが、時に高まったり収まったり・・・

やがてあの光景がゆっくりと立ち返ってくる。
Andantino grazioso しかし歩みはとめず・・・

あまりうまく行かなかったのだけど、別にこの世界がそんなにイヤでもなかった。
母が歌ってくれた子守歌のような。


もう一度すべての光景が回想され、そしてもう一度ゆっくりと清明で甘美な時が・・・

しかし、それはもうない。
これで終わりなのだ。
もう二度とこの世界が立ち帰ってくることはない。
ただ、最後に母の子守歌が聞こえているようだ。
永遠の時の向こうに消え入るように。


   ・・・ 

というような感じで、しばらく119−2しか弾けなかった。

しかし、なんだかもう少しこちらに居るようなので、また当分エンターティンメント系をガンガン弾きまくります(^^;


Special thanks to M.Himeno
ここ5年にまだ三回しかレッスンを受けてないのだが、それもピアノの演奏を見てもらうまで行かず、このプロのピアニストと勝手な会話をさせていただくだけなんだけど(^^;
前回のレッスン(?)でブラームス後期のピアノ曲の「全てを突き抜けてからやってくる清涼な境地」というような話になり、次はop.118 Romanzeあたりをとかいうことになってた。
「次」ってまだあるのかねぇ(^^;

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