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[ピアノのお稽古] |
エチュード 第二集 (ショパン) |
2017/6/4(日)13:22 |
![]() 小説を読めなくなった。 架空の物語にはどうしても頭がついていかない。 毎日ピアノを弾いているのだが、もう大曲に取り組もうという精神の集中力がなくなっている。 架空の物語には頭がついていけないことと相似している。 3ヶ月前に足を負傷し室内自閉の時間が増え、午前中の3時間はピアノを弾いているはずだ。 今年始めまでは先ずショパンの前奏曲とエチュードNO1からのレパートリをさらうのが毎日の始まりルーチンだった。 ショパンの前奏曲 OP28 より 1 Cmaj 3 Gmaj 5 Dmaj 13 F#maj 16 Bbmin 17 Abmaj 18 Fmin 21 Bbmaj 24 Dmin エチュードNO1 OP10より 1 Cmaj 3 Emaj 4 Cmin 5 Gbmaj 6 Fmaj 10 Abmaj 12 Cmin 続けて英雄ポロネーズをさらうと大体一時間経過。 それからブラームスやアルベニス等の暗譜練習を始める習慣だった。 エチュード第二集もたまに試みていたのだが、何故か暗譜にとりかかろうとは思わなかった。 前奏曲とエチュード第一集は開始曲から最終曲までバラバラと満遍なく選曲暗譜ができていていかにも抄演奏という感じがする。 つまり全曲弾けるのだが、時間の関係で間引いて演奏するだけで、やれ、と言われれば全曲でも可・・という感じがする(^^; 実際、暗譜はしてないが全部演奏はできるだろう。 前奏曲中の「雨だれ」なんかはワザと省いてある。 曲想が悠長すぎ運指練習用には向いてないので。 エチュード第二が定例練習レパートリに入ってなかったの理由に今気が付いた。 開始曲はまずまずとして、終曲のCminの暗譜がかなりメンドくさいのでいつも途中で投げ出していた。 テーマの曲想が多少重苦しく、暗譜するのに何回も弾き返しているうちに気分が滅入って来る。 それに第二集の白眉の11番「木枯らし」が私には絶対無理という自信がある。 簡単な軽い2曲くらいは暗譜してるのだが、曲集全体を抄演奏しているという「まとまった感」がないので今まで暗譜レパートリにはなっていなかったのだ。 しかし今はもうブラームスやシューマンの物語に入り込んでいく精神的余裕がない。 というよりも感受性が欠落し、微妙な演奏ニュアンスや解釈演奏を楽しむことができない。 いきおいエンターティンメント系のジョプリンやアルベニスばかり弾くハメになる。 しかし、エンタティンメント系ピアノ曲の調子良さにも私の気分がついていかなくなってきている。 ショパンのエチュード第二を最初からやってみる。 物語性と言う程のメンドくさい語り口はなく、単なる運指練習というにはしかし独自の光景が見えもする。 やはりショパンのエチュードが私には入りやすく、いつまででもそこにとどまって居られる。 何も考えず、無心にピアノを弾く。 何も考えず、ただ無心に生きているように・・・。 No.11「木枯らし」には手を出していない。 しかし、同じように私には無理とおもっていたNo.6 G#min(冒頭譜例)に取り組んでみると案外素直に指が動いてくれた。 三度の二重音の半音階の連続。 二本の指を同時に親指の上をまたがせ、切れ目なく上行・下行を繰り返す。 うむ、 これは前奏曲の最終曲24番Dminのクライマックスでイヤというほど練習した。 ![]() ![]() 昔練習しておいた動きが後で役に立つ・・・ 一度勉強すれば必ず生きていつか役に立つ・・・ なんという簡明で素直な世界であることか(^^)/。 第六曲 G#minをコアとし、前後の2、3曲、開始曲と終曲の暗譜を完了。 こうしてショパンのエチュード第二集が私のレパートリになった。 エチュードNO2 OP25より 1 Abmaj 2 Fbmin 4 Amin 6 G#min 8 Dbmaj 9 Gbmaj 12 Cmin(-Cmaj) 少しずつ、少しずつだが私にできることが増え、そしてその度に達成感があり、生きている歓びを感じる。 外の世界では感受性が枯れ果てた私に新たな物語が生起することはもうない。 私は内にこもり無心になってピアノの練習を繰り返す。 私はまだ生きている。 |
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